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アオサギの秘かな決意

大エルミタージュ展(六本木・森アーツセンターギャラリー)に行ってみました。クラーナハやティツィアーノなど、いちど通り過ぎたあとに後ろ髪をひかれ、ステップバックしてまた眺め直したいような作品がずらりと並ぶ、見応えじゅうぶんの展示でした。
そのうちのひとつが、たとえばこんな作品です。

鳥のコンサート

フランドルの画家スネイデルスが描いた動物画で、タイトルは「鳥のコンサート」。
開かれた楽譜を前にして指揮をとるフクロウの周りに、いろいろな鳥たちが集まっています。
みんな仲良く声を合わせ、青空を天まで届けとばかりに合唱をしているのでしょうか。
鳥には鳥の「連帯」があるのだ、ということを思わないではいられません。

なぜか、ちゃっかりコウモリがまぎれたりしています。
猛禽類代表の鷲に、「おまえ、鳥と違うだろう」と「出て行けコール」をされているみたいでかわいそうです。

同じく、そのコウモリに因果を含めて立ち退かせようとしているのは、どうも「青鷺(アオサギ)」のようです。
このアオサギ、ほかの鳥たちに比べて栄養状態がよくないように見えます。
そのせいでギスギスしているのでしょうか。
そうではなく、たぶん、もともと融通が利かない性格なのでは。コウモリは哺乳類。仲間と認めるわけにはいかない。
原則を貫けばそういうことになります。原則は大切、でも原則に厳しすぎると、ときに敬遠されたりもしますね。ひとつ間違えば、みんなに嫌われてしまいます。

そういえば、枕草子でも、「鷺は、いと見目も見苦し。眼居(まなこゐ)なども、うたてよろずになつかしからねど」(第38段)、要するに「見苦しく、目つきなども気味が悪く嫌な感じで好きになれない」、と、さんざんな言われようでした。
見た目で損をするタイプの鳥なのかな、と思います。

これは、つい先日出会った、川辺にたたずむアオサギです。

IMG_0414.jpg

動物画の中のアオサギに比べて、栄養状態に問題はなさそうだけど、なんだかとても険しい目つきをしています。
場所は、広島の平和記念公園の脇を流れる元安川。視線の先にあるのは原爆ドーム。

IMG_0415.jpg

このアオサギの目つきには、見た目でどう思われようが揺るがない決意がみなぎっています。
原則には例外などない、と語っています。
「決意」ということばをかたちにすれば、こういう険しい目つきになるんだろうなあと思います。

じぶんにもこういう目つきをした瞬間というものがあったのだろうか。
考え込んでしまいますね。
そもそも、なにかを「決意」したことがあったのかどうかも危ういものです。
「決意」すべきときにはきっぱりと「決意」しなければいけない。そう決意しようと思います。
いま、ぼくの目つきは、かなり険しくなっているはずです。

それでは。



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『若冲展』で思ったこと

ゴールデンウィークの最中、『若冲展』 (東京都美術館)に行ってきました。
混雑は覚悟のうえ。だから、早朝8時半にすでにこんな行列が出来ていても驚いたりはしません。

IMG_0280.jpg

ちょっとびっくりだったのは、係の人が行列待ちの人たちに「日傘」を配っていたこと。
「転ばぬ先の日傘と帽子」は、今回の『若冲展』では欠かせないアイテムかもしれません。

さて、行列はすごかったけど、早起きした甲斐があって、9時半、開館と同時に入館ができました。
中の混雑は、これはもう仕方がありません。
お目当ての「動植綵絵三十幅」は、広いスペースの中、ずらりと展示されていました。
「ゆったり」というわけにはいかないけれど、そのすばらしさをじゅうぶんに体感、堪能できた気がします。

「動植綵絵」については、「神業としか思えない超絶技巧」などと言われます。実際、その表現力や想像力にあふれたどの作品を前にしても、見入れば見入るほど頭がくらくらしてきます。もうほんとにすごいです。

今回、この「動植綵絵三十幅」に囲まれていると、若冲はなにを考えてこんな絵を描いたのかがやっぱり気になってきます。
脈絡もなくふと「欠落」とか「孤独」という言葉が浮かんできました。

「喪失」ではなくてただの「欠落」。
「孤高」ではなくてただの「孤独」。

そう思って眺めると、画の中の鶏も鶴も雁も小鳥も、さびしそうに見えてきます。
たくさん群れている雀や魚や虫たちだって、せんじつめればみんなひとりぼっち。
深い孤独と不安の中、「何か」に取りすがろうとしているような息苦しさが感じられてきます。自分の力ではどうしようもない、宿命的に欠落している「何か」です。
その欠落を埋め合わせるためには、イメージにかたちを与え、増殖させつづけるしかありません。

今回、「動植綵絵三十幅」と同時に、「釈迦三尊像」三幅が展示されています。
「動植綵絵」はもともとこの「釈迦三尊像」を厳かに飾るために描かれたものなのだとのこと。でも、それは話が逆ではないかな、と思いました。
「動植綵絵」のためにこそ、この「釈迦三尊像」は描かれた。
三尊から放たれる光明は「動植綵絵」の中のすべてのいきものたちに安らぎを与えます。
行き場のない不安を慰藉し、増殖し氾濫するイメージをなだめます。

では、「安らぎ」のその先に「救済」はあるのか。
それとも、所詮「安らぎ」は束の間のものに過ぎないのか。
若冲は晩年の水墨画で、その答えを探り続けていたのかもしれません。

これは、若冲75才のときに描いた『蓮池図』です。

若冲

欠けても枯れても破れても、月日が巡ればまた「再生」する。
寄る辺ないように見えて、実はたくましい蓮の花です。


自宅近くに空き地があります。そのアスファルトを突き抜けてポピーが咲いていました。



地面から、というよりも、もっとずっと深いところからすっくと立ち上がっているみたいに見えます。
「妙なところから顔を出してしまった」と、がっかりしているひまはありません。
場所を選べないなら、はじめから場所は選ばない。
淡々としていて、なかなか潔いです。
若冲だったらこのポピー、どんな画に描いてみせてくれたでしょうね。

それでは。




『モネ展』を観てお汁粉を食べる

『モネ展』(上野:東京都美術館)に行って来ました。

土曜日の朝9時過ぎ。扉の前には、予想どおりの長い行列ができていました。
入り口を通り抜け、音声ガイドはパスして最初の展示室へ入ると・・・
覚悟していたとはいえ、開場直後の入り口近辺はやはりすごい混雑です。
展示作品の前には、それぞれすでに人がみっしり取り付いています。
ローマ軍団が誇る重装歩兵による密集隊列みたいです。
割って入る隙などありそうにも思えません。

仕方がないので、作戦変更です。
いきなり本展示の目玉である『印象、日の出』を目がけて突進しました。
桶狭間でひたすら本陣目指して殺到した織田軍の心境です。
ひとつ上のフロアに、それは展示されていました。幸い、まだ人だかりは出来ていません。
「幾重もの人垣」に視界をさえぎられ、行く手を阻まれることもなく、思う存分の鑑賞を楽しめました。

印象、日の出

『印象、日の出』は、なぜ「日没」でも「落暉」でもなく「日の出」なのか。
なんとなく疑問に思っていました。実際、過去には「入り日」のタイトルがつけられていたこともあったとのこと。
制作日時などからの実証的な検証もなされているのだそうです。
でも作品を前にすると・・・
やっぱりこれは「日の出」なんだ、ということを実感しました。
天井からの絶妙なライティングを浴びて輝くオレンジ色は、理屈を超えて「日の出」です。
しみじみとただ、そう納得しました。今日の鑑賞は、この納得だけでもうじゅうぶん。

ところが。
今回、展示の最後に、もうひとつサプライズが待っています。
モネの最晩年の作品を集めて展示した部屋です。
広々としたスペースに、360度のパースペクティブで16の作品が展示されていました。

光が洪水となって淡くとろけさせるような「睡蓮」の連作とはだいぶ雰囲気が違います。
キャンバスの中でぶつかりあい、からみあい、もつれあっている赤や青の色の塊り。
キャンバスから逃れ出ようともがいているようにも見えます。
「もの」の属性であるはずの色彩が、「もの」自体の引力を渾身の力で振り切ろうとしているようにも、あるいは逆に、その引力に身を委ねて渦を巻いているようにも見えます。

モネが自らの死期を前にしてみていたもの、みなくてはならなかったものはなんだったのか。
肉体からずるずると抜け出ていく魂、視覚の対象物へと憑依し、「もの」の精霊たちと一体化していく魂だったのか。
そう考えると、少しうすら寒くなる気がします。この作品群は、モネにとっての涅槃図だったのではとも思えてきます。

ということで、展示室の中央に立ち、この16点の絵画を見回していたら、頭の芯が重くなってきました。
体の中心線を見失うような酩酊感に立ちくらみしそうになります。
でも、くらっとするのはただ空腹のせいだったかもしれず、結局なんだよくわからなくなったのでした。

この16点の作品のうち、4点は「しだれ柳」というタイトルです。
これは、そのうちの一点です。

しだれ柳

美術館を出て上野公園に向かうと、ちょうどそのしだれ柳が目に入りました。

しだれ柳

しだれ柳はシルエットが美しいです。ただ、じっと見つめていても、とくに赤や青の色彩の塊りとなって迫ってくることはありませんでした。ということは、ぼくの魂はいまのところまだぼくのからだから逃れでようとはしていないみたいです。安堵の吐息をつくと同時に、再び空腹感に立ちくらみしそうになりました。こういうときには甘い物を食べるのがいちばんです。かくして、美味しいお汁粉を食べるべく、上野駅へと足を向けたのでした。

それでは。



『無言館』ふたたび

信州上田『無言館』に行って来ました。
5年ぶりの再訪になります。
http://noguchioffice.blog133.fc2.com/blog-entry-62.html

入館するとすぐに一枚の裸婦像が目に入ります。
「あと5分、あと10分この絵を描き続けていたい。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから」。
恋人にそう言い残して出征し、そのまま戦死された方の、最後の作品です。
この女性は、絵を完成させてくれる約束をこの場所でずっとこうして待ち続け、来る日も来る日も、来館者の顔に「彼」を探し求め、そのたびに落胆し、ため息をつき続けているのかもしれません。
もしそうだとすると、再訪することで、ぼくは彼女を二度も落胆させてしまった。
そう思うと、なんだか申し訳ないような気がしました。

絵画作品と並んで、数多くの遺品資料が展示されています。
美術学校の卒業証書があり、家族とのスナップ写真があり、戦地で書いたはがきや書簡があります。
そして、ひときわ鮮明に記載された、国や戦地からの「死亡通知書」。
短かった一生のエピソードが、展示されたわずかな資料の中に凝縮されています。

フィリピン・ルソン島で亡くなった方の遺品資料にも、「死亡通知書」がありました。
よく見るとその隣に、部隊長名の文書が並んでいます。

「ラヴニオン洲」とあるを「ラヴニオン州」と訂正

死亡場所の誤記を遺族に通知する文書でした。
戦争をすることも、戦地でむなしく「草生(くさむ)す屍(かばね)」となることも、どちらも理不尽なことだけど、律儀に「死亡通知書」の誤記を訂正することでその理不尽がいくらかでも緩和されるとでもいうのでしょうか。
この奇妙なまでの律儀さにどこか違和感を感じないではいられませんでした。

お役所仕事って、こういうところがあるんだよなあと思いつつ外に出ようとすると、晴れていた空がいつのまにか暗くなっていました。
軽食レストランでコーヒーを飲んでいると、窓の外では驟雨が地面を叩き始めます。
そのときふっと頭に浮かんだのは、さっきの訂正文書が、「部隊長名」によるものであったこと。
その部隊長が、どんな思いでその文書を書いたのだろうか、ということ。

ひょっとしたら、若くして非業の戦死を遂げた部下の遺族に、せめてその最期の場所だけは正確に伝えないといけないと思ったのかもしれません。自分たちにはどうしようもない過ち、改めようのない過ちとは違い、訂正できる過ちはきちんと訂正しなければならない。そんな責任感の発露だったようにも思えてきました。

真相はもちろんわかりません。
死者たちはみな沈黙するばかりです。
だからぼくたちには、残された絵画作品や展示ケースの中の遺品が語りかけてくる、その言葉に耳を傾けることしかできません。


それでは。



弥生美術館で村岡花子の生涯をたどる

文京区本郷にある弥生美術館に行ってみました。

弥生美術館 



「言問通り」から脇道に入ってすぐのところにある美術館です。
脇道の先にあるのは「暗闇坂」という名のついたゆるやかな上り坂。
日が暮れると暗闇の中で寂しさが募ってくるような名前ですね。


さて、いまここで開催されているのは『村岡花子と『赤毛のアン』の世界展』。
NHK連続テレビ小説によって注目が集まっている村岡花子の生涯を、数多くの資料を元にたどることができます。
展示スペースがコンパクトなので、ひとつひとつの資料をじっくりと観て歩くことができました。

直筆の手紙や日記が豊富に展示されています。
それらを間近に目にしていると、村岡花子という一人の女性の息づかいまでが聞こえてくるような気がします。
『赤毛のアン』が出版されるまでの経緯(いきさつ)も、資料によってわかりやすく語られます。
もしこの女性の強い思いがなかったら『赤毛のアン』が日本に紹介されることはなかったかもしれない。
人と人との巡り合わせや、持って生まれた運命の不可思議さみたいなものを感じてしまいます。

ガラスケースの中に、劇団四季のミュージカル『赤毛のアン』のパンフレットが展示されていました。
そういえばこのミュージカル、12年ほど前に観に行ったことがあります。
家に戻ってあちこち探し回って見つけ出した、そのときのパンフレットがこれ。

赤毛のアン1 赤毛のアン2


ずいぶん時間が経ってからの思わぬ再会です。
これもまたささやかな巡り合わせなんだろうと思います。

パンフレットには、村岡花子の孫にあたる村岡恵理さんの文章が載せられていました。
そこでは、村岡花子が『赤毛のアン』を翻訳したのは、「困難や悲しみを乗り越えていかなくてはならない大人のため」でもあったのだ、と書かれ、さらにはつぎのような言葉で結ばれています。

道には曲がり角がある。
そして、人はひとりでは生きられないのです。
いつの時代も。人が人である限り。


シンプルで力強いメッセージです。
『赤毛のアン』という作品世界が時代を超えて愛され続けている所以(ゆえん)でもあるんでしょうね。

それでは。


「ターナー展」で確かめた、ある記憶の真偽

小学5年生のとき、「美術全集から好きな絵を選んで模写をする」という図工の授業がありました。
「好きな絵」と言われて、まさかボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を描くわけにもいきません。
そこで選んだのは、明るい感じの風景画。

いま思い出してみると、場所はどこかの港で、ゴンドラみたいなものが描かれていました。
だとすると、場所はヴェネチア、作者はことによるとターナーだったのでは。
……という記憶の真偽を確かめたくて、開催中の 『ターナー展』 (東京都美術館)へ。

ヴェネチアの港を描いた作品が展示されています。
でも記憶の中にある港とはまったく違いました。
薄暮に近い港には、川面にも空にもまだ淡い光がもわもわと漂っています。
輪郭のかすんだ月が遠くに浮かび、ゴンドラも水墨画のようなシルエットを見せています。
空気と光と靄(もや)、すこしずつ移り変わる時間、といったものを意識させられる絵画です。

でも、かつて模写した、あの港の光景とは、まったく違いました。
模写できるような親しみ安さはどこにもなく、そこにあるのは深く沈んだ情感のようなもの。
小学生が模写したいと思う絵ではありません。
模写できるような絵でもありません。
まだしも「ヴィーナスの誕生」を選ぶほうが自然だったでしょうね。

展示を観て回っていると、ターナーの作風が初期からどんどん変わっていく様子がわかります。
名所旧跡を淡々と水彩で描いていた時代から、自然現象の持つ「荘厳さ」に惹きつけられ、やがて画面に光が溢れ出して、ついには抽象的な表現に至ってゆく。

でも、その変化は、ひとりの画家が「進化していく過程」ということとは、すこし違うのかなという気がしました。
単純に直線的に出世魚のごとく「進化」したのではなく、自分の中にある「どうにもならなさ」とか「もどかしさ」を廻って試行錯誤を繰り返した、その「うねり」の軌跡こそが、残された作品群なのでは。
なんとなくそんなふうに思えたのでした。

そもそも物事は、時が経つに連れてどんどん「進化」していくものなのでしょうか。
もしもそうだったら、世界の未来も運命も、捨てたものではありません。
だって、いつでも今日よりはましな「明日」を信じられるのだから。

でも現実はなかなかそういうわけにはいきません。
自分を省みても、日々進化するのは「年齢」だけ、というのが悲しいです。
気を付けないと、「体重」や「コレステロール値」も。
口の悪い人なら、「それは進化ではなく老化だ」と指摘するでしょう。
人生は、「どうにもならなさ」とか「もどかしさ」で満ち満ちているみたいです。

それにしても、小学生のときに模写したあの「港の絵」は、誰がどこを描いた作品だったのだろう。
今回、謎は謎として残ってしまいました。
NHKスペシャルのナレーション風に言えば、「記憶の迷宮への挑戦はなおも続くのであった」と締めるところです。


それでは。


日帰りで行く「中之条ビエンナーレ」

「中之条ビエンナーレ」に行ってきました。
群馬県の中之条で2年に一度行われる、現代アートの祭典です。
町全体、そして山や森や高原。
展示の舞台は広汎です。

早朝に東京を出て、中之条到着が10時過ぎ。
予約しておいた「日帰りツアーバス」に乗り込みました。
バスツアーのコースは3つあります。
選んだのは「六合渓谷コース」。
バスは一路、「暮坂高原」へと向かいます。

広々とした空間を利用したオブジェが随所に点在していました。

中之条ビエンナーレ0

中之条ビエンナーレ3

中之条ビエンナーレ5

高原の一画で咲き誇る、フジバカマの群生。
アサギマダラが舞い飛んでいました。
中之条ビエンナーレ4

ちょっと数が数えられないほどたくさんのアサギマダラ。
「地上の楽園」などという、手垢の付いた言葉が浮かんできてしまいました。

昼食をはさんで、バスは、古民家や土蔵、廃線となった鉄道跡、などを廻ります。
たとえば、古民家の中に入ると、こんな感じです。

中之条ビエンナーレ6 中之条ビエンナーレ7 中之条ビエンナーレ17 中之条ビエンナーレ9

そしてこれは、かつて養蚕農家だった民家での展示。

中之条ビエンナーレ10 中之条ビエンナーレ11
中之条ビエンナーレ12 中之条ビエンナーレ13

人形たちには、ほんもののカイコの糸が使われているみたいでした。

静かに滅んでいくものや、ただ朽ち果てるの待つもの。
そういった場所で展示されるアートたちです。

「時間と記憶」とか、「存在と不安」とか、たまにはむずかしいことを考えようと準備していたけど、次々に接するアートの数々に、ただただ「へえ~」と驚くばかり。
驚きながら、すっかり楽しんでしまったのでした^^

廃止された鉄道駅の前には、さりげなくこんなアートも。

中之条ビエンナーレ8

紙粘土で造られた人形は、森の妖精みたいです。
そしてこれは・・・

中之条ビエンナーレ2

ただの「クリ」です。
アートでもオブジェでもありません。
そしてこれ。

中之条ビエンナーレ16

森の入口で見かけたこの掲示板。
「注意」と言われても、どう「注意」したらいいんでしょうね。

ツアーが終わって思ったのは、アートと「町や自然」とのボーダーがあいまいになってしまったこと。
目に入るものがことごとくアートに見えてきます。

この立て看板も、もし日比谷公園の中に立てれば、「アート」に変身するかもしれません。

「中之条ビエンナーレ」、開催は10月14日までです。


それでは。



「永遠の微笑み」へのタイムスリップ

パリを舞台にした映画を、衛星テレビで観ました。
ウッディ・アレン監督、『ミッドナイト・イン・パリ』という映画です。

監督自身を思わせる、どこかぱっとしない作家志望の男が、パリを訪れます。
そして、深夜の到来とともに、1920年代、エコール・ド・パリの時代にタイムスリップ。
そこで出会うのは、なんと、フィッツジェラルドとその恋人ゼルダ、ヘミングウェイ、そしてガートルード・スタイン。
ピカソやダリや、若き日のルイス・ブニュエルも現れるというにぎやかさ。

でもストーリーはそこにとどまりません。
さらにもういちどタイムスリップ。
今度は1880年代後半のパリです。
そこの酒場で出会うのは、ロートレックでありドガであり、ゴーギャンです。
パリをこよなく愛しているウッディ・アレン。
そのことがありありと伝わってくる、とてもごきげんな映画でした^^

先日、『ブーシキン美術館展』(横浜美術館)に行ってきました。
展示されているのは、ロココからエコール・ド・パリの時代まで、300年間に渡るフランス絵画。
やはりパリをこよなく愛し、憧れつづけたロシアの収集家たちによるコレクションです。

見どころがいっぱいでした。
たとえば、ルノワールが描いた「ジャンヌ・サマリーの肖像」。
彼の肖像画作品中、最高傑作とも言われているそうです。

プーシキン美術館展

赤、黄色、青、緑、そしてピンク。
色が溢れて画面からこぼれてきます。
洪水になって渦を巻いて、炎(ほむら)立って迫ってきます。
氾濫する色の中で、でも視線は次第に、ジャンヌのブルーの瞳と朱の唇に収斂していきます。
最後にはこの「微笑み」だけに吸い寄せられます。

モデルとなったジャンヌは、当時のパリの売れっ子舞台女優でした。
でも、憧れの女優、サラ・ベルナールの名声には届かず、その後33才で亡くなったそうです。

彼女がこのとき見せた「永遠の微笑み」。
そしてそれを描きあげたルノワール。
制作された現場に一瞬でいいからタイムスリップして立ち会えたら、と思ってしまいました。

こういう「微笑み」に、「絵画」ではなく「映画」の中でかつて出会ったことがあるような気がする。
そう考えていたら、突然思い出しました。
シャーリー・マクレーンです。
ジャンヌの死から40年後、1934年生まれのアメリカ女優ですね。
彼女がいちばん生き生きと輝いていたころの作品に、『あなただけ今晩は』(ビリー・ワイルダー監督:1963年)があります。

この映画でも、舞台となるのはパリ。
シャーリーが演じたのは、パリの裏町で暮らす気のいい娼婦でした。
衛星テレビで放映してくれたら、ぜひまた観てみたいと思います。
いまは、昔の映画でも自宅に居ながらにして観ることができるのがうれしいですね。
わざわざタイムスリップの手間をかけなくても。

それでは。


尾形光琳の『紅白梅図屏風』

熱海のMOA美術館まで、日帰りで行ってきました。

MOA美術館

毎年、梅祭りの開催中に公開される、尾形光琳作の国宝『紅白梅図屏風』がお目当てです。
本やテレビでは何度も観ているこの屏風。
一度、是非とも直接観たかった、その願いが叶いました。

紅白梅図屏風

撮影自由だったので、撮らせてもらった画像です。

屏風の左隻に描かれた、咲き始めたばかりの白梅。
そろそろ夕暮れが近づく頃合いの風景でしょうか。

鋭角に折れ曲がった枝には、次に咲くのを待つたくさんの蕾がついています。
川に向かって振り上げたような枝は、向こう岸に何かを呼びかけてでもいるかのようです。
その向こう岸、屏風の右隻には、とろけるように咲く紅梅が立っています。
目を近づけて見れば見るほど、リアルに描かれているのがわかります。
梅林の、すこしひんやりとした空気をふるわせ、鳥の囀(さえず)りが聞こえてきそうなぐらいに。

そして、両側の紅梅白梅を断ち切るように真ん中を堂々と流れる川。
異様な迫力があります。
上から下の方向に流れているのか、それともその逆なのか、あるいはひたすら激しく渦巻いているのか。
それはぜんぜんわかりません。
わからないのに、なぜか圧倒的な、水の「存在感」だけがあります。

紅梅、白梅、そして春の水が織りなすアンサンブル。
以前、黒澤明監督の残した、「天使のように大胆に 悪魔のように繊細に」というフレーズを、なんとなく思い出してしまいました。

この屏風は、尾形光琳の最晩年に描かれたとのこと。
自らの人生の総決算を考えていたとしても不思議ではありません。
だとすると、真ん中にただ「存在」する川の両側で呼応しあう紅梅と白梅は、互いに何を語らっているのでしょうか。
やるべきほどのことはすべて成し遂げた。
そんな充実感で、自分自身を嘉(よみ)しているようにも思えます。
そうでしかありえないような気がします。

この日、熱海方面は気温25度を超える夏日でした。
美術館の庭園に咲いていた紅梅も白梅も、すこし汗ばみ、苦笑しているみたいでした。


それでは。


『ツタンカーメン展』の棺と、冷蔵庫の「納豆」パック

『ツタンカーメン展』 (上野の森美術館)を観てきました。

開場時間は朝の9時。
土曜日の朝8時半に行ってみると、すでに長蛇の列が上野の森でとぐろを巻いています。
それでも、開場を早めてくれたせいか、9時過ぎには入場できました。
混雑緩和のためか、数十人ずつのブロックに分けて、順次入場させてくれます。

それでも中の混雑は相当なもの。
最初のガラスケースの前にたどりつくだけで、すでに青息吐息です。
この先、どうなることか・・・
と思ったけど、次第に混雑にも体が慣れてきます。
「流れ」に乗り、「隙(すき)」を見つけて体を潜り込ませ、さほどのストレスもなく、全体を観て回ることができました。

展示されていたのは、ツタンカーメンの王墓から見つかった副葬品の数々。
とくに強い印象を残すのが、いちばんの目玉ともいうべき『チュウヤの人型棺』。
つまり、「人のかたちをしたひつぎ」です。

「チュウヤ」という人は、少年王ツタンカーメンの曾祖母なのだとのこと。
なんで「曾祖母」とわかるかといえば、最新のDNA研究の成果です。
科学というのはすごいもので、このDNA研究やCTスキャンを駆使することで、ツタンカーメンが、「足の先に血液が流れにくい病気だったこと」や、足の骨折が死の原因であった可能性までも突き止めています。

それはともかく。
少年王ツタンカーメンではなく曾祖母のものとはいえ、すごい棺でした。
眼を貫いてくるような黄金の発色。
なんといっても、「今から3300年前のもの」です。
その事実を絶えず意識しつづけなければ、いまどこにいて何を観ているのか、見失ってしまいそう。

木彫りの棺の全面に貼られた金箔。
棺の表面にはびっしりと文字が書かれ、神々の姿で覆われています。
長い年月、護符の役割を果たし続けてきた装飾です。

ガラスケースの周りを巡って観ていると、棺そのものがまさに「乗り物」に見えてきます。
時間の流れに浮かび、どこへともなく漂い続ける乗り物。
思わず「乗ってみたいか」と自問しました。
答えに困ってしまいました。

その他にも、さまざまな副葬品が展示されています。
儀式用水差し、「シャブティ」と呼ばれる、ミイラ形をした小型の彫像、スカラベをあしらった胸飾り、「♀」という字に似た祭具……

印象に残る色彩は、やっぱり、まず褪せることがあるとは思えない輝きを放つ黄金色。
そしてもうひとつは「青」です。

「マリンブルー」のような深みのある「青」ではありません。
「縹(はなだ)色」と呼ばれる、明るい薄青色よりも、さらに明るい「青」。
たとえていえば、雪がひと晩中降った翌日に、透明に澄んで冴えわたった空に広がる「青」です。

3300年、つまり33世紀にも渡って、どうしてこんなにすがすがしい色をとどめておくことができるのか。
古代エジプトの辞書には「諸行無常」という言葉はなかったのか。
たぶん、なかったんでしょうね。
永遠なる太陽神の国です。
「無常」なんて、お呼びであるはずがありません。

すこし前に自宅の冷蔵庫を開けたときのことを思い出しました。
片隅に押し込まれ、ひとつだけ残っていた納豆のパック。
食べてしまおうと思って発泡スチロールのふたを開くと……
ちょっとグロテスクなので細かい描写は省略。

ともかく、黒ずんで凝固していました。
買ったのはたしか三週間ほど前。
忘れていたといっても、たかだか三週間です。
それに、もともと大豆を発酵させてつくったもの。
これ以上に腐ることなどないと思っていました。
なのにたかだか「三週間」という時間で、劇的に変化してしまいました。

「冷蔵庫」は、納豆にとって、考えうるもっとも快適な安置場所でしょう。
でもそれは、時間の流れを快適に漂う「乗り物」ではありえなかった。
つくづくと「諸行無常」を感じさせられます。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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