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京都旅行見聞記

シルバーウィークを利用して京都に行きました。
定番の観光スポットを中心に歩き回った二泊三日。
京都に行くと、どうしても心が浮かれてしまいます。
浮かれるままにバスを乗り換え歩き回り、夕暮れ迫るころには精も根も尽き果てる三日間でした。
この消耗はなにゆえか。一日の予定に「あれもこれも」と貪欲に詰め込みすぎるからなんでしょうね。

たとえば東京を歩くことを考えてみれば・・・
観光バスを使わずに、浅草、仲見世、スカイツリーからお台場、という一日コースを回るのはハード過ぎます。二の足を踏んでしまいます。
東京で踏む二の足を、京都ではためらわずに踏み続けてしまう。
足が鉄の棒になるのもいたしかたがないのかなと思います。

ということで、旅行中、数限りなく画像を撮りました。
画像を厳選したとしても、それでも大変な枚数になってしまいます。
熟慮の末、この一枚だけをアップすることにしました。



伏見稲荷で見かけたネコです。
なかなか趣きのある老猫(たぶん)です。
徒然草89段にある、『奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる』というお話を思い浮かべたりします。『山ならねども、これらにも、猫の経上りて(へあがりて)、猫またに成りて、人とる事はあなるものを』と続くお話です。
このネコも、「猫また」には至らずとはいえ、すこし「きつね化」しているように見えないことはありません。「稲穂」でも咥えさせたら似合うのではないのだろか。そんな気がしたのでした。

せっかく京都観光に行って来て、感想はそれだけか、と叱責されそうですね。
タイトルの「見聞記」に偽りあり、と批難されるかもしれません。
でもまあ、「世の中、簡単に語り尽くせないこともある」ということで了解いただけるとうれしいです。

それでは。



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東京の運河は巡る

東野圭吾の『祈りの幕が下りる時』(講談社)を読んでいたら、主人公の加賀刑事が捜査のために神田川と日本橋川を船でクルーズする場面が出てきました。




事件の真相解明とは関係してこない寄り道のような記述なんだけど、読んでいてとても興味をそそられます。
いつも身近に流れているのに、あまり意識することもない神田川と日本橋川。
この二つの川が合流して行き来できることも知りませんでした。
調べてみると、実際にそういうクルーズが運行されています。
さっそくチャレンジしてみました。


出発は、日本橋のたもとにある船着き場。
35人ほどで満席になる、小型船でのクルーズです。

 



日本橋にあるこの麒麟像は、同じく東野圭吾原作の『麒麟の翼』で一躍有名になりましたね。
近くから見上げると、胸をそらしたこの姿、じつに堂々としていて、迫力十分です。


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出航と同時に船はこの麒麟像の下をくぐり、日本橋川をさかのぼっていきます。



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普段、見慣れた東京のビル街が、川面から見上げるとまったく違った景色に様変わり。川の真上に沿って蓋をしている首都高がいかに無粋きわまりないか、実感としてよくわかります。


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日本橋川の石垣の由来や工法などについて、ガイドの人が詳しく教えてくれました。いろいろお聞きしたのにほとんど覚えられなくて申し訳ないです。



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やがて、合流地点から船は神田川へと方向を変えます。飯田橋から水道橋へ、JR中央線に沿って、おなじみの街並みが両岸を流れていきます。


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そして、お茶の水駅近くの聖橋。名前の由来は、湯島聖堂とニコライ堂という二つの「聖堂」を結ぶ橋、ということなのだそうです。神田川にかかる数ある橋の中でも、ひときわ風格を感じさせます。


0008.jpg



しだいに隅田川が近づいてきます。たくさんのゆりかもめがじっと並んでこちらを見下ろします。閲兵のために整列する、ちょっと行儀の悪い水兵さんたちみたいです。



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神田川から抜け出てみると、さすがに隅田川は大きいなあと驚きます。波に大きく揺られて、とたんに船酔いしそうになります。
これは清洲橋の真ん中を突き抜けて見える東京スカイツリー。どこから見てもそれなりに絵になる東京スカイツリーなのでした。


時間にして約100分。出発点の日本橋に戻ってクルーズは終わりました。
東京の「いつもと違う別の顔」を「低い視点」から眺め上げる楽しさを味わえるひとときでした。
なんだか、その昔、はじめてTDLで「ジャングルクルーズ」に乗ったときの昂揚感を思い出してしまいます。
筏で川下りするハックルベリーの冒険物語を読み直してみたくもなりました(^_^)

それでは。


富岡製糸場を見学してきました

世界遺産への登録が確実となった富岡製糸場に行って来ました。
明治維新直後に創設された、近代的な器械製糸工場。
「日本の殖産興業を担ってきた」と、歴史の教科書でその名前だけは教わる、貴重な産業遺産です。

高崎駅で上信電鉄に乗り換えて約40分。
目的地の上州富岡駅に着きました。

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町中を10分ほど歩くと、富岡製糸場の入り口が見えてきます。


010.jpg
到着したのは朝10時。もうすでに入場者の行列が入り口の周りをぐるりと取り囲んでいます。長蛇の列の最後尾にたどり着くまでにひと汗かいてしまいました。「世界遺産登録へ」のニュースに、観光客が全国各地から殺到しているのがわかります(ぼくもそのひとりです)。けっきょく、約1時間待ちでの入場となりました。


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工場の内部の様子です。創建は明治5年。広々とした内部には、両側に設けられた大きな窓からの採光が行き渡っています。大勢の女工さんたちが必死に働いていたとき、ここにはどんな音や匂いや光があふれていたんでしょうね。その女工さんたちはみんな、それぞれどんな人生をたどったんでしょうか。辛いこともたくさんあっただろうけれど、この工場で働くことで幸せのきっかけをつかむことができたにちがいない。そう思いたいです。


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ずらりと並んだ器械のひとつひとつがじつに精巧につくられていて驚きました。この器械がどのように動いて繭玉から糸を縒り出すのか。その様子を紹介する映像コーナーもあります。器械なんて見たことも触ったこともなかった女工さんたちが、懸命に操作方法を学んでいった。そのことを思えば、ぼくも早くスマホの取扱いに習熟しないといけないです。



元はといえば、桑の葉を食べる蚕(カイコ)がつくる繭。
それがどのようにして絹製品へと姿を変えていくのか。
見学してみて、そういう基本的なことを何もわかっていないことが痛感されました。
学校で教わったのも、「殖産興業に乗り出した明治政府は、富岡製糸場など紡績業を中心とする官営模範工場の運営を積極的に進めていった」というような、じつにじつに表面的なことだけだったんですね。

養蚕の歴史は弥生時代にまで遡るそうです。
古事記にも、スサノオの怒りを買って斬り殺されたオオゲツヒメの頭から蚕が生まれ出た、というお話が残されています。
日本人とはずいぶん長い付き合いということになります。
イヌでもネコでも、ヒトとの付き合いが長くなると野性を失いがちになる。
蚕蛾もまた、飛ぶための筋肉が退化してしまい、もう空を舞うことはできないのだとか。
たくさんの女工さんたちがその青春を捧げ、物言わぬ蚕蛾たちが飛ぶことをあきらめたことと引き替えに、日本は近代国家へと飛翔しました。
たしかに、遺産として語り継いでいかなければ「ばち」があたる話ではないかと思います。


それでは。


初詣での「初注意」

三が日も終わった日曜日、亀戸天神にお参りしてきました。
朝の10時、まだ人影はそれほど多くありません。
それでも、警備員さんが太鼓橋の近くでしっかりと目を光らせていました。
なにしろ狭くて急勾配なので、渡るのにあぶない橋なんです。
上ろうとしたら、「足下に気をつけて!」と大声で注意されました。
ぼんやりした人間であることを眼光鋭く見抜かれてしまったんですね。

今年もさまざまな人から注意をされると思います。
忠告を受けることも、叱られたりすることも、日々積み重ねてゆくでしょう。
でも、なにごとであれ、「はじめて」というのはおめでたいもの。
思わぬ場所で思わぬ人から、平成26年、年が改まっての「初注意」を賜ることとなったのでした。

気温が低かったせいか、境内の池にはおなじみの亀たちの顔が見えません。
甲羅もしっぽも見えません。
どこか風の当たらない場所で、身を寄せ合って暖をとっていたんでしょう。

亀は見ることができなかったけど、猿がいました。

亀戸天神

こんな寒空の下、朝から不満もこぼさず働いている。
猿なのにえらいなあと思います。
今年一年、骨惜しみなどしないでがんばらないといけない。
このお猿さんに、今年最初の「初忠告」をされてしまった気分です。

亀戸天神は、学業の神様で知られています。
したがって、専門外となるお祈りや願い事は謹んで控える。
そういう「たしなみ」は大事に持っていたいものです。

ということで、ぼくも、「無病息災」と「家内安全」だけ、手を合わせてお祈りしました。
漢字8文字に凝縮したお祈りなので、きっと大目に見ていただけると思います。
あ、実を言うと「商売繁盛」の4文字も心の片隅をよぎりました。
でもまあ、これは「できれば」でかまいません。
「たしなみ」は大事にしないといけないですから。


なにはともあれ、今年もおだやかでよい年になるといいですね。


それでは。


空蝉がメタセコイアと夢を見る

『私の植物散歩』(ちくま学芸文庫)という本があります。
植物分類学を専門とする著者による、樹木や草花をめぐるエッセーです。
この中に、「メタセコイア」についての記述があります。

当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたメタセコイア。
1945年に中国四川省で現存することが確認されました。
そのため、「生きている化石」とも呼ばれています。
和名の「アケボノスギ」は、この本の著者(木村陽二郎)による命名なのだとのこと。
悠久の時を経て太古の眠りからいま目覚めました、というニュアンスが感じられるネーミングですね。

このメタセコイアを、東京国立博物館(上野)の前庭で見かけました。(↓)

メタセコイア


セミの抜け殻がしがみついています。
見上げると、手の届かない高さの枝先にまで登ってしがみついているものもいます。
夏が終わり秋が過ぎ、もう今日からは師走だというのに、まだ離れません。
どの抜け殻も、しっかりと葉に爪を立てて、なにがあっても引きはがされまいとしています。

セミの一生は、地中7年、羽化して7日、などとも言われます。
メタセコイアが根を張る大地に抱かれ、何年もの間、育まれてきた小さな命。
抜け殻から出ていった体のほうは、みんなまた土に還ってしまいました。
残されたこの空蝉は、いま何を思っているのでしょうか。
太古から連綿と続く「時間」の先端にしがみつき、はかなく終わった「うつし世」に名残りをとどめているのか。
……そう決めつけてしまうのは、なんだか寂しすぎますね。

抜け殻は、ただ居心地の良さにまどろんでいるだけなのかもしれません。
揺りかごのような葉の上で、メタセコイアに流れる生命力に同化し、そのエネルギーを吸い取り、いつかまた再生する夢を見ている。
だんだん、そんなふうにも思えてきます。
そうに違いないような気がしてきます。

夢の中ではきっと、メタセコイアが繁茂していた100万年前の、鳥やトンボや魚たちと一緒に戯れているんでしょう。
ときには「100万年後」を夢に見る、ということだってありそうですね。
それがどんな世界なのかはちょっと想像できないけど。
すくなくとも、「悪夢にうなされる」ような世界でなければいいなと思います。

それでは。





「乙巳(いっし)の変」の現場を行く

前回のつづきです。

今回の奈良行きでは、テーマにしていたことがありました。
それは、「蘇我入鹿暗殺現場を踏むこと」です。

知られているように、蘇我入鹿は、中大兄皇子らによって暗殺されました。
西暦645年のことです。
大化改新の発端ともなる、このクーデター。
乙巳(いっし)の変ともいわれています。

石舞台を後にして、10分ほどで、その現場にたどりつきました。
「飛鳥板蓋宮跡」です。

飛鳥板蓋宮跡

入鹿の一瞬の隙をついた、電光石火の実行行為。
クーデターの首謀者みずからが手を下して、時の最高権力者をうち倒す。
しかも一気に政権交代まで成し遂げる、という点で、世界の歴史を眺め回しても希有な事件ではないかと思います。
血気盛んな中大兄皇子と、中臣鎌足という名参謀とが気息を合わせたからこそ可能だったんでしょう。

この種のクーデターの成功がいかに難しいかは、たとえばヒトラー暗殺未遂事件を描いた映画『ワルキューレ』を観るとよくわかります。
慎重に周到に準備を重ねたにも関わらず、けっきょくは失敗に終わってしまう。
おそらく、この事件の首謀者シュタウフェンベルグ大佐には「中臣鎌足」がいなかったことが最大の敗因だったのかもしれません。

それにしても、かつて凄惨な事件現場だったとは思えない静けさです。
観光客の姿もなし。
でも、たしかにその日そのとき、入鹿は惨殺されました。
切り落とされたその首は空高く舞い上がり、飛んでいったと伝えられています。

落ちたとされるのが、この場所、「入鹿の首塚」です。

入鹿首塚

飛鳥板蓋宮跡からは600メートル以上の距離。
すこし離れすぎていますね。
実際にはどういうことがあったのか。
誰がなぜ、どのように遺体を動かしたのか。
入鹿のDNAなどがもし遺跡から発見されることがあれば、新たな展開があるかもしれません。
いずれにしても、明日香周辺ののどかな光景からは想像しにくい、血なまぐさい出来事です。

これは、近くの場所でみかけたトンボです。

蜻蛉

捕まえられているチョウチョは、クロヒカゲのようにもジャノメチョウのようにも見えます。
何をしているのかと思ったら、頑丈そうなトンボの顎が上下に動いて・・・
少しでも隙(すき)を見せれば、すぐに強い者の餌食になる。
いっとき「勝者」となっても、さらに強い者がまた現れる。
昆虫が昆虫として生き抜いていくというのも、大変なことなんでしょうね。

首塚からすこし離れた場所に、小高い起伏があります。
標高148メートルの甘樫丘(あまかしのおか)です。
ここには、入鹿の父である蘇我蝦夷がこもる館がありました。
老いたとはいえ、蘇我氏系の豪族をまとめるだけの求心力ある蘇我蝦夷。

小説家の清水義範に、もしこのクーデター当時、テレビがあり、NHKニュースやワイドショーがあったら、という仮定で書かれた、面白い短編があります( 『偽史日本伝』 、集英社文庫)。

事件勃発を知って、軍事アナリストまで引っ張り出すワイドショー。
そこではこんなやりとりが交わされます。

「もし戦になった場合、どちらが勝ちますかね」
アホなテレビ人は戦争が始まるといきなりそれを質問する。アナリストは平気で答える。
「おそらく、蘇我氏側が勝つでしょうね。というのは、そもそも甘橿岡の館というのは、入鹿がこのような、非常事態を想定して建てたものですから。岡の上にあって、まわりを城柵で固めていますよ。つまり要塞なんですね。そして常に東国出身の兵士に警護させているわけですから。(略)このあたりの軍人に、皇族・氏族の兵が勝てるとは思えないわけです」


いかにももっともらしい分析ですね。
いずれにしても、クーデター直後、まだ日和見を決め込む豪族も多く、予断を許さない情勢にありました。
甘樫丘というこのなだらかな丘陵が、日本の歴史の中で、ただ一度スポットを浴びた瞬間です。
結果としては、翌日になって蝦夷はあっけなく自害してしまいます。
意外とあきらめのいい蝦夷だったのでした。

さて、甘樫丘の麓にある売店近くに自転車を置き、頂上を目指しました。
歩いて約10分。
とてもゆるやかな傾斜です。
この地形では、蝦夷勢が中大兄皇子の軍勢を防ぎきるのは、やっぱり難しかったのでは。
軍事の素人ながら、そんな気がしました。

そして頂上に着きます。
目の前に大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)の展望が開けてきます。

いちばん左に見えるのが畝傍山。(↓)

畝傍山

そのすこし右側には耳成山があります。(↓)

耳成山

視線をさらに右に転じると、そこに見えるのが天香具山。(↓)

天香具山

万葉集には、この山々を詠んだ歌が残されています。

香具山は畝傍ををしと 耳梨と相争ひき 神代よりかくにあるらし
古(いにしへ)も然(しか)にあれこそ うつせみも妻を争ふらしき


この歌によると、神代の時代、これらの山々は、三角関係にあったらしいことがわかります。
畝傍山をこよなく愛していた天香具山。
言われてみれば、小さくこんもりとした畝傍山は、どことなく愛らしく見えます。
その畝傍山と耳成山がいい仲となってしまう。
あきらめきれないのが天香具山。
このまま畝傍山を取られてしまうことが「惜しい」と思い詰めます。
そして耳成山と、泥沼の争いをはじめてしまう。

歌の作者とされるのは、クーデターの首謀者であり、大化改新の推進者でもあった、中大兄皇子。
「昔から妻を取り合う争いがあった。いまもまた同じだ」と歌うこの歌、額田王をめぐる、弟・大海人皇子との三角関係が背後にあるようにも思われて、興味深いですね。

天香具山は、いまは畝傍山と距離を置いています。
間には耳成山が、割り込むようにして、その起伏を見せています。
いきさつはいろいろあったにせよ、今は落ち着きを取り戻しているように見える三山の関係。

でもどうなんでしょうね。
人みな寝静まった夜更け、天香具山が耳成山をひそかに迂回して・・・
などということも、神代の時代ならばあったのかもしれません。


さて、「猿石」からはじまった明日香路の旅も、この「甘樫丘」が終着点です。
出発から約6時間半。
またもし訪れることができたら、こんどは大和三山をぜひ登ってみたいなと思いました。

それでは。


明日香路をサイクリング

夜11時の新宿西口ヨドバシカメラ前。
眠い目をこすりつつ、高速バス乗り場の待合室に座っていました。
旅の目的地は、奈良・明日香路です。

バスに乗り込むと、窓はすべてカーテンで覆われ、外はまったく見えません。
あっという間にぐっすりと寝付いてしまいました。
寝付きがいいのは、自慢できる、数少ないことのひとつです。
目が覚めると、バスはもう奈良県内に。
かつて、トンネルを抜けると雪国だったと書いた川端康成。
彼だったら、「夜の底が奈良になっていた」と驚いたかもしれません。

近鉄奈良駅に到着したのが、朝の6時半。
早朝の奈良駅周辺は森閑として、行き交う人影もほとんどありません。
野良猫もいないし、奈良公園を根城とする鹿も見あたらない。
『バイオハザード』の一シーンみたいです。

凝りに凝った首と肩をほぐしてから近鉄線に乗って、橿原神宮前に移動しました。
9時営業開始の駅前レンタサイクル店で自転車を借り、さっそく明日香めぐりに出発です。

この地をサイクリングで回るのは、学生時代以来のこと。
5月の若葉風が肌に心地よい朝です。

最初にたどり着いたのは、欽明天皇陵近くに置かれた、「猿石」でした。

猿石

猿といえば猿のようにも見え、人といえば人のようにも見えます。
伎楽(ぎがく)の面を表現したもの、とも言われていたと思うけど、ほんとうのところはどうなんでしょう。
居合わせた土地の「古老」と言葉を交わしました。
いわく、「このあたりを掘り返せば、こんな石はごろごろ出てくる」のだそうです。
実際に明日香のこの地に立ってお聞きすれば、説得力豊かに感じる言葉ではありました。

10分ほど自転車を漕ぐと、ソフトクリームの旗を立てたお店が見えてきます。
近くで取れたいろんな野菜も商っています。
そのお店の真横に、「亀石」がうずくまっていました。

亀石

愛嬌たっぷり、思わず和(なご)んでしまう表情をしていますね。
いつごろ誰が、なんのために、ということのよく分からない、謎多き石造物。
でも、この亀石が大地を抱き留めているかぎり、明日の「日の出」を信じてもいいような気がしてきます。

お昼前には、「石舞台」に到着です。
低い丘陵にあるこの古墳、被葬者は、蘇我馬子とも言われています。

石舞台1

そう言われてみると、古墳のかたち全体から、どことなく「馬」という文字が浮かんで見えてこないでしょうか。
(↓)
「見える」と思えばなんでも見えてくるものです。

石舞台2

この古墳は、中に入ることができます。
(↓)

石舞台4

入ってみると、こんな感じでした。
(↓)

石舞台3

内部の花崗岩の表面に、てのひらを当ててみました。
てのひらを当てることで時空間を一気に跳び越えて、飛鳥時代へと移動する・・・・
なかなかそういうわけにもいきませんでした。
ひと眠りしているあいだに新宿西口から近鉄奈良駅まで移動するのとは話が違います。

積み重ねられた岩の隙間から、正午に近い光が箭(や)となって中に射し込んできます。
蘇我馬子の時代から、絶えることなく射し込みつづけてきた光です。
馬子が没してから、約1400年。
1年365日として計算すれば、約51100回、こうやって、光が入りつづけてきました。

日の出と日の入りを繰り返し、人はつぎつぎと入れ替わります。
でも、こういった石造物たちは雨ざらしのまま、いまにいたるまで残ってきました。
きっと、このあと1400年経っても残り続けているんでしょうね。
いま地上に生きている命が、すべていなくなったそのあとも。

茨木のりこさんの詩に、こういう一節があります。

 ・・・・
 かつて幕末に生きし者 誰一人として現存せず
 たったいま産声をあげたる者も
 八十年ののちには引潮のごとくに連れ去られむ
 さればこそ
 今を生きて脈うつ者
 不意にいとおし (以下略)
 

いにしえの昔、遙か古代に夢をはせるということ。
それは、今を生きるすべての命を愛おしむことにも繋がるものなんだなと思います。

そういえば、茨木のりこさんも明日香路をレンタサイクルで回ったことがあるみたいです。
「高松塚」と題された詩に、こんな一節をみつけました。

 ・・・・ 
 千年くらいは ひとねむり
 うつらうつらの 夢また夢
 1980年の青春はレンタサイクル乗りまわし
 はつなつの風に 髪なびかせて行く



いまサイクリングするのなら、日射しがきついから、髪はなびかせず、帽子をかぶったほうがいいでしょうね。
紫外線を避けるためには日焼け止めも要るし・・・
どうも、古代の人たちに感応しようと思うにしては、「雑念」が多すぎるという気もするのでした。


それでは。


  

亀戸天神に藤とアオサギ

朝からの雨がやんだあと、近くの亀戸天神に行ってみました。
しっとりとした紫が広がる中、片隅の黄藤が目を惹きます。

黄藤

雨あがりの少し冷たい空気の中、露に濡れて垂れ下がる藤は、心なしか、寂しげなようにも見えます。

藤

そんなことにはおかまいなく、池が根城の亀たちは、ファミリーで束の間の甲羅干し。

亀

池には、つがいのアオサギが羽を休めています。

アオサギ

間近に見るアオサギが大きいことにびっくり。
水面をみつめる立ち姿は、なにやら物思いにふける老僧みたいです。

歌人の伊藤左千夫が、亀戸天神の藤の花を見て詠んだ歌があります。

 池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる

この日、もう雨はあがっていたけれど、やっぱり池水は濁っていて、藤の花房の影は見えませんでした。

亀戸天神

伊藤左千夫という人は、20代で独立し、牛乳採取業を営んでいます。
場所は本所界隈。
その縁もあって、亀戸天神から徒歩15分、錦糸町駅前には、彼の歌碑があります。

伊藤左千夫歌碑

 よき日には庭にゆさぶり 雨の日は家とよもして児等が遊ぶも

家庭人としての左千夫の横顔がうかがわれる歌ですね。
実際は、頑固で偏屈な一面もあったとのこと。
でも、きっと雨があがったあと、子供を連れて亀戸天神に行って、帰りに「船橋屋」でくず餅を食べたりするひととき、というものもあったんだろうなあと思います。
100年、昔のお話です。


それでは。


筍の生命力(向島百花園の春)

墨田区の向島百花園に行って来ました。

向島百花園

前回、ここを訪れたのは秋。
萩の季節でした(向島百花園:秋)。

この日、園内にはまだ桜の花も残っています。
折からの南風にその花びらを散らす光景も見られました。

これは、著我(しゃが)の花
気品ある模様が目をひきつけます。
(↓)
著我の花

こちらは花ニラです。
(↓)
にらの花

いかにも可憐な風情なんだけど、あたり一面に群れ咲いている様子には、野趣も満ち満ちています。

そしてこの花は貝母(ばいも)。
ひとつひとつの花がみんな、羞じらうようにうつむいています。
清楚でさびしげなたたずまいの花ですね。
(↓)
貝母の花

孟宗竹の植えてある一画には、筍が顔を出していました。
(↓)
筍2

木洩れ日を浴びて、ほかほかとあたたかそう。
思わず掘り出してしまいたくなります。

掘り出すことができないほど、堂々と成長した筍がこちら。
(↓)
筍1

孟宗竹は、一日に50センチから100センチも伸びることがあるそうです。
すごい生命力ですね。
眺めているその間にも、数センチほど成長したかもしれません。

まったく、ぼくの収入もこのぐらいの勢いで増えてくれるといいんだけど……
などというのはただの妄想竹。
しゃれにもなりません。

地に足をつけて働くことを考えた方がいいですね。
貝母(ばいも)の花のように、足もとをしっかり見つめて、多くを望まず慎ましく……
でもやっぱり筍の生命力にも、すこしぐらいはあやかりたいなと思いました。


それでは。



さまざまなことを思い出す桜

上野公園を通りかかったら、桜が満開でした。

ソメイヨシノ

すごいですねー。
もこもこと、雲が地面から湧き上がっているみたいに見えます。
その雲の下は、花見客でびっしり埋まっていました。
咲き誇る桜の花びらの数と、たぶん同じぐらいの人数が押し寄せていたと思います。

この日は、公園ではなく、国立博物館に足を向けました。
公園周辺とは打って変わり、平成館の周辺には、ほとんど人影なし。

サクラ

ぜいたくにも、桜を独り占めしてしまいました。
そしてこれはシダレザクラ。

シダレザクラ

観る人がいようがいまいがおかまいなく、見事に枝垂(しだ)れています。
思う存分、枝垂れています。

国立博物館の裏手にある庭園に入ると……

ヤマザクラ

こんな風景が眺められます。
この桜は、ヤマザクラでしょうか。
姿の見えない小鳥たちのさえずりが、絶え間なく頭上から降り注いできます。
公園の喧噪とは別世界が目の前に広がっています。
ちょっと得した気分でした。

満開の桜に誘われて、「さまざまのこと思ひ出す桜かな」と詠んだのは松尾芭蕉。
たしかに、桜に呼び起こされる記憶というものがあります。
さまざまのこと。
それはたとえばどんな折々の記憶なのか。
よく言われるのが「入学式の桜」です。

そういえば小学校の入学式の日に観た桜のこと、なんとなく覚えています。
母が和服を着ていたこと。
手をつながれていたこと。
花曇りというのか、空がどんよりしていたこと、などなど。

そのときの桜、新一年生のぼくにはどう見えていたんでしょうね。
こぼれるばかりの咲きぶりを見上げ、「美しい」とつぶやいた。
……などということは、間違ってもありえません。
なにしろ6才の子どもなんだから。

それでもいまだに脳裏によみがえる「さまざまなこと」。
思い出すのは必ずしも「桜の花」そのものとは違います。
桜が咲いていた、その束の間の「時間」です。
桜の花びらのひとひらごとに刻まれた、「さまざまな時間」。
思い出すほどに体の芯がほんのりほぐれてきます。

そんなひとときを味わい、のんびりまったりするのにもってこいの桜に出会えた一日でした。


それでは。


プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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