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梅が見頃の「亀戸天神」

空気は冷たいけれど青空が広がった休日。
近くの亀戸天神に出かけて、梅を見てきました。

池を囲んで、満開の梅です。
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池の中程に置かれた石の上で、亀と鴨とがまどろんでいました。
鴨は、周囲の景観に無関心。
首を羽毛にうずめて午睡の最中のようです。
いっぽう、亀はといえば・・・
首を長く伸ばして、池を取り囲んで咲く梅の様子を眺めています。
このことから、亀は鴨よりも「風流心」に富んだ生き物であることがわかります。
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紅梅と白梅が、あちこちで咲き競っています。
『万葉集』の時代には白梅が、平安時代には紅梅が好まれたとのこと。
その両方がいっぺんに咲き誇っているさまを見渡せる。
ぜいたくな気分です。
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すこし不思議な梅の木を発見。
一本の木なのに、枝から紅梅と白梅がそれぞれ花をつけています。
自分はいったい何者なのか。
この梅、池面にうつるおのれの姿を見て、アイデンティティを見失わなければいいけど。
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これは、「しだれ梅」。
「しなだれかかる妖艶さ」というよりは、可憐にはにかむ乙女のたたずまいを感じさせます。
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かろうじて花をつけているのは「臘梅」です。
紅梅と白梅に囲まれて、臘梅の黄色はここちよいアクセントになっています。
一輪挿しにすると部屋が引き立つな、と思ったけど、さすがに手折るわけにはいきませんでした。
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ふと見上げると、東京スカイツリーが。
あの天辺では、たくさん人が作業をしているのでしょう。
ほんとうにご苦労様です。
天空の作業場から、ここで繰り広げられている梅の競演を見下ろせるのだろうか。
でも、よそ見をしたらいけないですね。
なんといっても足元があぶないから。
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匂いにひきつけられて、花びらのアップを撮ってみました。
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鼻を寄せると、梅の芳香に顔全体が包まれます。
目までがちかちかとしてきます。
可憐なたたずまいからは意外に思える、官能的ともいえるような匂い。
藤原定家が、こんな歌を詠んでいます。

大空は梅の匂ひに霞みつつ くもりもはてぬ春の夜の月

夜空の月もかすんで見えるぐらいに思える梅の匂いだったんでしょう。
匂いが視界までをかすませる。
梅というのは、なかなか油断のならない花でもあるんだなあと思います。

さまざまに名前のつけられた梅の中で、目についたのがこれ。
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「思いのまま」というのは、気になる名前です。
主語は「誰」なんでしょう。
シェイクスピア作の喜劇のひとつ、『お気に召すまま』。
原題は、「As You Like It」だから、主語は「あなた」ですね。

でも、梅の花の場合、「わたし」が主語になるほうがふさわしいような気がします。
色とかたちと匂い。
この三つを自在にあやつり、見る人を「思いのまま」に魅了する。
あるがままに生まれ、思いのままに咲く。
生き方としては、すこしうらやましいですね。

それでも・・・
時が流れれば、梅にも散るときが来ます。
こればかりは「思いのまま」というわけにはいきません。
梅はただ梅としての自覚の中で散るだけです。

歌人の小島ゆかりさんに、こんな歌があります。

死は一度 梅には梅の花が咲き 雨の降る日は天気が悪い

ほんとに、どうして雨の降る日は天気が悪いんだろう。
やっぱり、どこかで誰かが「思いのまま」に決めてしまうからなんでしょうね。

それでは。
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親から子へ(2)

親子3代に渡り受け継がれていくものについて、前回、書きました。
3代の継承だって大変なのに、15代にわたり伝統を受け継いできた家系があります。
慶長10年(1605年)に初代沈当吉が開釜して以来、約400年間、桃山時代から現代まで、「薩摩焼」の技法を伝えてきた沈寿官窯。
「沈壽官」というのは、子孫が襲名する名称です。

その沈壽寒窯が造りだしてきた作品を展示する「歴代沈壽官展」を、先月、日本橋三越本店で見てきました。

圧巻は十二代沈壽官による一連の作品です。
「白薩摩」の気品のある「白」。
そこに、巧緻極まる装飾がほどこされています。
「浮彫」、「透かし彫り」という技法なのだそうです。
どれだけ見ていても見飽きぬものばかり。
たとえ何十年修行しても、これは絶対に自分では作れないな、と、確信しました。
伝統工芸の家系に生まれなくよかった。
もっとも、ぼくの場合、「作る」のは向いていないみたい。
家でもオムレツひとつ作らせてもらっていないし。

ところで、司馬遼太郎が、十四代沈壽官を主題にしたエッセイ風の読み物を書いています。
『故郷忘じがたく候』(文春文庫)という本。



この中で、流行の展覧会作品を作りたい、という十四代に、父である十三代沈壽官が答える場面があります。

「わしからみればこの十数代は山脈(やまなみ)のようなものであり、先祖のものを伝承しているだけのようにみえて、一人ひとりの遺作をみるとみな個性があり、ちょうどその一人ひとりは山脈を起伏させている峰々のようなものだ。山容はみな異なる。その峰の一つになろうとするだけで、非常な生涯を送れるではないか」

この言葉になお納得のいかない十四代はいいます。

「自分というものは、何のために生きているのでしょう」

答えを切実に求める十四代に、十三代が、「生涯の哀歓が煮詰まった」ひと言を言います。

「息子をちゃわん屋にせえや」
わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目もそれだけしかない、といった。


このエッセイ風読み物は、司馬遼太郎独特の、フィクショナルな味付けもされているのだろうとは思います。
それでもこの部分には、何代にも渡り伝統を承継させていく、そのことの真理の側面が語られているように思えました。

野球ならば先発投手がいて、中継ぎ投手がいて、ワンポイントリリーフがいて抑え投手(クローザー)に繋ぎます。
伝統工芸の世界にも、代々の「投手」ならぬ「当主」がいて、それぞれの持ち味をいかし、役割を果たします。
ただ、野球とは異なり、「最終回」が決められているわけではありません。
いつ終わるともしれない「延長戦」を戦い続けなければならない。
「息子をちゃわん屋にすることだけを考えろ」というのは、無窮の「時間」を前にした人間に出来うる、精一杯の抵抗のようでもあり、困難な現実を見据えた「諦観」のようでもあります。

「歴代沈壽官展」の会場には十五代の新作も展示されていました。
巧緻な作りはそのままに、斬新な試みが加わり、見ていてるだけで心が浮き立つ、洗練された意匠の数々。
どの作品にも、伝統が醸す風韻がしっかりと奥深くとどめられているように感じられました。

息子をちゃわん屋にすることを考える。
襷(たすき)をつなぐことだけを考えなければいけない駅伝ランナーの宿命と同じですね。
でも、自分の「受け持ち区間」をどう走るのかは、それぞれのランナーに委ねられます。
磨きあげた個性を存分に発揮し、区間新記録を塗り替えるような走りを見せる。
限界さえも突き抜けて区間を走る抜ける。
そういう走者もときに現れます。
そしてそのことが、承継する「襷」の価値を高め、いっそう輝かせていくのだろうな、と思いました。


それでは。


親から子へ(1)

前回触れた、「新明解国語辞典 第4版」。
その編者の筆頭に金田一京助の名前があります。
明治15年生まれの言語学者。
石川啄木と深い親交があり、しょっちゅう、お金をたかられていた、というのは有名な話です。
そのいっぽう、アイヌ語の研究で知られ、戦後は国語審議会の一員として「現代かなづかい」の普及に努めました。

先日、NHKで放映された、「トライ・エイジ~三世代の挑戦~ 金田一家三代の物語」。
この金田一京助と、息子春彦、孫の秀穂氏へとバトンが受け継がれる様子が、ドラマを交えて描かれます。

息子・春彦は、著名な学者である父親に反発します。
その反発から、学者にだけはなるまい、と思う。
そしてのめりこむ音楽家への道。
しかし、「一流になること」の壁の前でうちのめされ、自ずと「学問の道」に戻ってきます。
そして「アクセント」や「方言」の研究にのめりこみ、第一人者となっていきます。
音楽で培った音感をいかして。

彼は言います。

学者にはなったが、父とはまったく違う道を歩いてきた。
学者としては父にはかなわなかったが、父にはできないようなことがたくさんできた。


いっぽう、父親の京助は・・・

私は学者として思うように生きた。息子も同じように生きてくれるだろう。

廻り道をしたけれど、それがけっしてむだにはならなかった。
しかもその結果、父親の業績をただ辿るのではなく、異なる分野を開拓することにつながる。
息子の紆余曲折をまるごと包容し、だまってみつめる父親。

同じことが、やや形を変えて、春彦から、その息子秀穂氏へと繰り返されます。

進路を見極めきれず、世に棲む日々をつづける秀穂氏。
父・春彦は、なにもいいません。
でも、秀穂氏がにわかに発起するや、さりげなく適確なアドバイスを送る。

親から子への「事業承継」。
その難しさを考えるうえで、興味深いものがある番組でした。
「事業」を子に継がせる、というのはどういうことを意味するのか。
「継がせる」という親の思いの中に、じつは落とし穴が潜んではいないか。

「継ぐ」ことと、「継がせる」こと。
両者の境目をなくし、ひとつになじませる。
理想にすぎないのかもしれません。
でも・・・
たとえ理想でも、掲げてみて悪いことはないのでは、という気がします。
すくなくとも、失うものはなにもないのだから。

それでは。

辞書の面白さ~『新解さんの謎』

手元にある国語辞書で「愛」という言葉を調べると、こう書かれています。

個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。

とても格調高く定義されているなあ、と思います。
ついでに「恋愛」の項目を読んでみると・・・

特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

生真面目でありながら、思いが溢れ出てくるような定義ですね。
「出来るなら」とか「常にはかなえられない」というところなど、人生の辛酸をなめた人でないと語れないような説得力があります。
「まれにかなえられて歓喜」という表現からは、「詩の源泉」というべきものさえ感じとれます。

ちなみに、手持ちの電子辞書で「恋愛」を調べてみると・・

男女が恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。

砂を噛むような説明です。
100年の恋も瞬時に冷めてしまいそう。

では、恋愛の先に待っている(ことのある)「結婚」についてはどうか。
国語辞書に戻って調べてみました。

(正式の)夫婦関係を結ぶこと。法律的には婚姻という。

なんだかそっけないですね。
「恋愛」を語ったときの、あの豊潤なイメージのほとばしりはどこに。
でも、この「そっけなさ」の中に、そして「恋愛」とのギャップの中に、真実が語り尽くされているのかもしれません。
ぼくには理解が及ばないところだけど。

さて、この国語辞書は、三省堂発行の「新明解国語辞典 第4版」
個性あふれる内容のゆえに、一部では根強い人気があるそうです。
その面白さを世に広く知らしめたのがこの本。
赤瀬川原平 (著) 、『新解さんの謎』 (文春文庫)です。



ここでは、辞書による「定義」だけではなく、「用例」のユニークさにも注目し、紹介されています。
たとえば、「おそかれはやかれ」という副詞についての用例。

【遅かれ早かれ】遅い早いの違いは有っても、いつか必ずそのような事態に立ち至るこどだけは疑い無いという判断を表わす。
「遅かれ早かれ一度は死ぬのだ」

007、ジェームズ・ボンドは、二度死ぬそうです。
普通の人でも、輪廻転生することがあるとはいえ、それでも「一度は死ぬ」。
動かしがたい真実ですね。
さらりと選ばれた用例に見えながら、辞書作成者の「死生観」が垣間見えるようでもあります。

つぎに、「つぎに」という副詞。

【つぎに】時間的に、または物事の順位の上で、前のものに続いて問題とすることを表わす。
「東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。つぎに丸の内で驚いた。」

たしかに、東京は驚くことだらけですものね。
この人は、きっとこのあとも、際限なく驚きつづけたであろうことがしのばれます。
「つぎに」、ぜひ、東京スカイツリーを観て驚いてほしいものです。 

つぎに・・・はもうありません。
今回はこれでおしまい。

「おしまい」について、この辞書ではどう書かれているか。

【おしまい】
終り。望みや救いようが無くなること。

「人間もああなってはおしまい(=だめ)だ。」

救いようがなくならないうちに。
それでは。

雪の降る日のブランコ

きょうは東京にも雪が降りました。
ひと冬のうちに何度も降らない雪。
積もるまでには至らない雪。
降り始めの朝、公園に人影はなくて、ブランコが冷たそうでした。

ブランコ

雪の日の「ブランコ」というと、思い出す映画があります。
黒澤明監督の『生きる』(1952年)です。



1枚のレントゲン写真から、いのちの刻限を知らされる主人公。
役所の中で、流されるままに勤めてきた人生になんの意味があったのか。
そのむなしさに苦しみ抜いたはてに、ようやく惑いを振り払い、一念発起します。
そして泥水の中をはいずりまわり、「公園造り」に奔走する。
形のある「もの」をつくりあげることから得られる生の証(あかし)。
一木から観音像を彫り出す仏師さながらの執念が、彼をつき動かします。

小雪が散らつきはじめた深夜の公園。
完成したブランコでひとり揺れながら、主人公は息をひきとります。
静かな凍死でした。生涯一度だけ心を弾ませた恋のよろこびを反芻しながら。

ブランコのかすかな揺れは、彼を心地よい陶酔にいざない、穏やかに満ち足りた思いのままに、どこか彼方にある桃源郷へと旅立たせました。
報われることの少なかった彼の人生。
この至福こそ、天からもたらされたご褒美だったのではないかと思います。
雪といっしょに運ばれたプレゼントだったんでしょうね。
こころに残る名場面だと思います。


それでは。

ある日の「スカイツリー」

日に日に空に向かって伸び続けるスカイツリー。
目下、急ピッチで建設中です。
ほとんど地元といってもよいほどの場所。
毎日、視界の片隅に入らない日はありません。
思わぬときに眼に飛び込んで来ることもあります。
でもいまだ「スカイツリーのある光景」というものにはなじみきれません。
どうしても「見知らぬ他人」が庭先にぬうっと突っ立っているようにも感じてしまいます。
これではいけないと思い、先日、間近まで行って見上げてきました。
そのときの画像です。

tawer4.jpg

これはすごい。
・・・と思いました。

生まれたときからの東京育ち。そうそう滅多なことで驚くことはありません。
朝の満員電車の中で器用に折りたたまれても心拍数は変わらないし、地下鉄大江戸線のホームまで、冥界に届くかと思われるエスカレーターに乗っていても眉一つ動くことはありません。
それでもスカイツリーを直近から見上げたら・・・

これはすごい。
・・・と思いました。

万里の長城を作った人たちもすごかったけど、スカイツリーを作ってしまう「人間」というのはほんとに「すごい」です。
この構築物を眺め上げていると、自分という存在の卑小さと、「人間」のはしくれに連なっていることの誇らしさとを、こもごも感じてしまいます。

地面を突き破り、青空に突き刺さろうと伸びてゆく、銀色に輝く塔。
蒼穹から流れ落ちてくる「大瀑布」のようにも見えます。
大昔から、日本人は、「滝」に神の姿をみることがありました。
「神にませばまこと美はし那智の滝」という高浜虚子の句もあります。

まあ、いきなり「神」に祀りあげられたりしたら、スカイツリーも面はゆくなって姿を隠してしまうかもしれません。
姿を隠せる場所があればの話だけど。

スカイツリーの形状を遠くから眺めていて、ふと「エクスカリバー」を連想することがありました。
アーサー王伝説に出てくる、「石に突き刺さった剣」ですね。
これを抜くとしたら、アーサー王もずいぶん大男でないと難しそうです。

でも、ここは日本だから、アーサー王に出番はありません。
むしろ、ヤマトタケルノミコトが野火攻めの難を遁れるのにふるった、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)をイメージするほうがふさわしいのかも。
この剣が大地に突き刺さって微動だにしない限り、東京の、関東平野の、否、しきしまの大和の国の平和もまたゆらぐことはない。
・・・などと思えてしまうのは、この巨大構築物の醸し出すえもいえぬ迫力のなせるわざなんでしょうね。

それでは。

ハードルはひとつひとつ丁寧に超えて行かないと。

先日、人間ドックで検査をしたら、精密検査を指示されてしまいました。
再検査してもらったところ「異常所見なし」。
ことなきを得たわけだけれど、結果が出るまでの数日間は、ちょっぴりスリルのある日々となりました。

『炎のランナー』(1981年)という映画があります。
1924年のパリ・オリンピック陸上競技でしのぎを削りあう若者たち。
実話をベースとした、感動的な映画です。
登場人物のひとり、ハードルを専門とする選手は貴族階級出身。
練習方法も優雅そのものです。
なにしろ、ハードルの上にシャンパングラスを乗せて、中身を零さないように走り抜けたりするのだから。
まあ、「嫌味なヤツ」といえないこともないけど、印象に残る場面ではありました。

毎年受ける健康診断や人間ドックって、ハードル競技みたいなところがありますね。
ひとつまたひとつとクリアしてゴールを目指す。
シャンパングラスの中身を一滴たりとも零さずに。
願わくばそのように優雅でありたいと思うけど、いざとなるとけっこう「どたばた」としてしまうような気もします。

女優・高峰秀子さんの『にんげんのおへそ』(文春文庫)というエッセイ集に、傑作なお話があります。
ある朝、乳房の下にピンポン玉のようなしこりができていることに気づく高峰さん。
知人を介して紹介された大病院の専門医に診断してもらうと・・
一日も早い手術の必要を告げられます。
医師は無神経に、どう切り取ろうかなどと言いつつ、指先を胸に這わせます。

ショックで茫然とする高峰さん。
仕事に気持ちを切り替えることもできず、悶々と眠れない夜を過ごして・・
と読み進むにつれ、こちらのほうがハラハラドキドキしてきます。
その後、急転直下の展開が訪れるまでのてんやわんや。
いやはやなんとも人騒がせな、というお話でした。

このお話を含め、13編のエッセイからなるこの本。
どれも珠玉の、そして手練れの名品ぞろい。
高峰さんの文章力をあますところなく味わい、楽しむことができるエッセイ集だと思います。

最後に収録されている『死んでたまるか』と題されたエッセイでは・・・
モノに執着しない生き方を実践する心構えが記されています。

「身死して財残ることは智者のせざる処なり・・・・」と、私の敬愛する、なんでもかんでもいと見苦しのオッサン、吉田兼好の『徒然草』にもあるではないか。物への執着は捨てて、物にまつわる思い出だけを胸の底に積み重ねておくことにしよう。

いまはやりの、「断捨離」。
その先駆的実践ともいえそうです。

そんな高峰さんが大事にしていた、ご自身の肖像画。
それは、単なる「物」ではありません。
彼女自身の分身ともいえるような絵画です。
なにしろ、40年にわたり親交のあった、梅原龍三郎画伯による油絵なんだから。

このうちの数点を、5年ほど前に世田谷美術館に寄贈された高峰さん。
今回、『佐藤忠良展』と同時に、この追悼展示を観ることもできました。
飾られていたのは3点の肖像画。
1975年に、パリのホテル・ムリスで描かれたという肖像画も展示されています。
このとき、モデルになろうにも衣裳がなく、困ってしまう高峰さんに、画伯は言います。

「フォーブール・サントノレにインドの布地を売っている店があるよ。あそこで何か布をみつけてきて身体に巻きつければいいさ」ということで、先生がインド屋で選んだのは、金色の飛び模様のあるシンクの絹の布だった。(『私の梅原龍三郎』(文春文庫))

実際に絵に近づいてよく観てみると・・
たしかに、派手な布地でした。
踊りはねる絵の具が、キャンバスから飛び出てくるような大胆な色遣い。
そんな中、高峰さんの眼だけは、黒く大きく、きりっと前方を見据えています。

画伯は高峰さんの眼について、こう語ったそうです。

秀子サンの眼は大きいのではなくて、眼の光が普通の人より強いんだ。それで眼が大きく感じられるんだね・・

高峰さんは、この強い輝きを持つ眼で行く手に立ちふさがるハードルをしっかりと見極め、ひとつひとつ飛び越えてこられたんだと思います。
そのとき、シャンペングラスの中身を零すそぶりを人に見せることなどなかった。
高峰さんというのはそういう生き方をずっと最後まで通されたのではないでしょうか。


それでは。

プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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