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『古都』の中のパウル・クレー

川端康成に、『古都』という小説があります。
京都の織物問屋で育った千重子をめぐる数奇な運命の物語です。
その中で、友禅の下絵を描くことに没頭している千重子の父親が、娘の帯のために、ある図案を描きます。
そのとき彼が参考にしたのが、パウル・クレーの画集でした。
クレーの絵画をもとに描かれたのは、どんな図案だったのか。
それを見た西陣織りの職人さんにはこんなふうに言われてしまいます。

「ぱあっとしておもしろいけど、あったかい心の調和がない。なんかしらん、荒れて病的や。」

先日、そのクレーの作品を、東京国立近代美術館に行って、観て来ました。

2.jpg

クレーは実際にどのようなプロセスで作品を制作していったのか。
そのプロセスと技法が4つのステージにわけられ、わかりやすく展示されています。
ひとつの絵を切り分けたり、貼り合わせたり、絵の裏側に別の絵を描いたり・・・
さまざまな試みが指向するものは、線描で構成される作品世界に、「空間」の広がりを三次元的に取り入れること。
それに加えて、作品の背後に「時間」の流れさえも忍び込ませること。
四次元への挑戦、ですね。

根底に、ひじょうに理知的なものを感じます。
理知的であるにもかかわらず、作品から漂う印象は、とても詩的であったりもします。
詩的であり、同時に音楽的であり、なによりも、「ぱあっとしておもしろい」と感じさせてくれるものでありました。

3.jpg

『花ひらいて』というタイトルの作品です。
こういった作品から感じるものは、「荒れて病的」という印象とはほど遠い、まさに「あったかい心の調和」そのものです。

川端康成は、『古都』という作品を執筆していたとき、睡眠薬を濫用していたとのこと。
そのために、自作を指して、「うつつないありさま」で書かれた「私の異常な所産」であるとまで、あとがきに記しています。

そういう不安定な精神の状態で眺める眼には、クレーの作品は、ただ「調和がなく、荒れて病的」なものに映ってしまうものなのでしょうか。
もっとも、小説の中でそう語るのは、冷静そのものである西陣織りの職人さん。
本物のプロの口を借りて、あくまでも「客観的」にそんなことを語らせるあたり、川端康成という人、途方もなくしたたかだな、とも思います。

川端康成がこの展示をもし実際に見ていたら、クレー作品の魅力に心も平らかになっていたのでは。
その結果、睡眠薬に頼らずに熟睡できる夜が続き、『古都』という小説も、まったく別の作品になっていたかもしれません。
この仮定はちょっと興味深いですね。
ただそのとき、この小説の持つ奇妙な味わいは、ずいぶん損なわれてしまっていたかもしれません。

それでは。






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なでしこジャパンの贈りもの

きのうは一日中、くらくらしてしまっていました。
かなり「ふわふわ」もしていました。
暑さのせい・・・ではありません。
なでしこジャパンの快挙の余韻がいつまでも頭と体を揺さぶっていたからです。

それにしてもすごいゲームでした。
過去24戦して1度も勝ったことがなかったアメリカに、ワールドカップの決勝という大舞台で、しかもあのゲーム展開で、最後には勝ってしまう。
現実はフィクションなんてかるがると超えてしまうんですね。
感動的なストーリーを量産するハリウッド映画のどんなシナリオライターでさえ思いつくことができないようなドラマでした。
ありえないことなんて絶対にない。
そのことを目の当たりにさせてもらえました。

PK戦を前にしたときの佐々木監督と選手たちの顔からこぼれていた笑顔が、とても印象に残ります。
「平常心」であるとか「精神の緊張をほぐしてまず己に勝つ」とか、そういうレベルのことを超えて、なんともいえない「豊かな」気持ちに包まれました。
とはいえ、大一番のPK戦を前にして、「ぜったいに勝ちたい」という気持ちは、選手ひとりひとりの中ではじけていたはずです。
それなのにあの笑顔。
今回、「ミラクル」と言われるなでしこジャパンの快進撃の、その最後を締めくくるのが、「奇跡」のようにチャーミングな「笑顔」だったことに、ひとしおうれしさがつのる思いがします。

「くらくら」の余韻はきょうもまだつづいています。
なんだってやろうと強く思えばかならずできる。
できないことなんてどこにもない。
そんな気分がまだ続いています。
満天の星だって、ひょいと手を伸ばせばつかみとれるような気分です。
たぶん、いま、日本中のひとたちと思いは同じなんでしょうね。


それでは。


「迎え火」を焚きました

毎年、わが家では、7月のこの時期に「迎え火」を焚きます。
お盆は8月に営む、という地域のほうが多いみたいだけど、こればかりは「家のしきたり」です。
時期を動かしたりするというわけにはいきません。
急に動かしたりしたら、戻ってきたご先祖たちがとまどってしまいますからね。

bon4.jpg

ご先祖たちが道を迷わないために、目印として門の前で焚くのが「迎え火」です。
燃すのは、「焙烙(ほうろく)」という素焼きの更に乗せた「苧殻(おがら)」という麻の茎。
ぱきぱきと小さく折って火をつけると、すぐに燃え上がります。

 bon3.jpg

夕闇があたりを包む中、静かに音を立てて燃え上がる炎。
なるほど、これなら遠く天上世界からでも、しっかりと目に入りそう。
ご先祖たちが場所を間違えることもないでしょう。

bon1.jpg

これは、霊魂が彼岸から来るときの、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれる乗り物です。
きゅうりで作ってあります。
馬は足が速いから、あの世から一散に戻ってくることができるのだとか。
もっとも、ご先祖たちは、「乗馬」の練習など、したことがあったのだろうか。
すこし気になります。

仏壇には、果物やお菓子、とうもろこし、いろいろなものが供えられます。
その中に、大きなぼた餅があったので、「食べたい」と申し出ました。
「食べてはだめだ」と却下されました。
たしかに、それが「道理」だと思います。

それが「道理」だとわかってはいても、「だめだ」と言われると余計に食べたくなる。
これもまた「道理」というものではないでしょうか。
ただ、ぼくも子どもではありません。
「送り火」を終えるまで待つぐらいの「大人の分別」は持ち合わせています。

とはいえ、なにしろ連日のこの暑さ。
あのぼた餅たちは、いつまで持ちこたえているのだろうか。
・・・あれこれ思いは尽きません。

と、こんな思いにうつつを抜かしていたら、祖先の霊魂たちに叱られてしまいそうですね。
いまごろ、みんなどんな顔をして見守っていることやら。

祖父はきびしかったから、やっぱりこわい顔をしているでしょう。
祖母はやさしかったから、ただにこにこ笑っているだけでしょう。
父は甘いものは食べなかったから、お酒を飲むのに余念がないでしょう。

「送り火」までの数日間。
とにもかくにも、もう少しの間、みんなが揃って一緒にいられます。

それでは。


7月6日は何の日か?

きょうは7月6日。
東京の入谷鬼子母神朝顔市が始まる日ですね。
浴衣を着て繰り出したいところだけど、「クールビズ姿」ではさまになりません。

そしてきょうはもうひとつ、あることの記念日でもあります。

「この味がいいね」と君がいったから7月6日はサラダ記念日

1987年に刊行された、俵万智歌集 『サラダ記念日』 は、社会現象をひきおこした、と言われています。
なにしろ、あっという間に200万部を超えるベストセラー。
じつは発売当時、そのうちの一冊を購入してこの「社会現象」に貢献しました。
このころから「雰囲気」にふらふらと流されるという生き方をしていたことがわかります。

さて、なぜ『サラダ記念日』が多くの人に受け入れられたのか。
『女歌の百年』 (岩波新書)という本の中で、自身も歌人である道浦母都子は、「わかりやすさ」をその理由にあげます。

古典的で難解、そう考えられていた短歌を、今を生きる若い人々に、また従来の短歌愛好者以外の多くの人々に、こんな歌なら読んでみたい、自分もつくってみたい、と思わせたのが『サラダ記念日』だったのです。

たしかに、「韻律のここちよさ」に惹かれてしまう、ということはありました。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

そうなのか、カンチューハイを飲んだいきおいで言ってしまえばいいのか、と、逆に教わったりもしました。

いっぽう、 『文壇アイドル論』 (岩波書店)を書いた斎藤美奈子は、興味深い分析を展開します。
彼女の口語体は、「新しい革袋(短歌という形式)に古い酒(古い感受性)」で歌われたからこそ「万人に受け入れられた」のであり、ここにある「古風な物語」が、戦争で青春を奪われた中高年男性の世代さえも巻き込み、一大ブームを生んだのだ、と。

冷静な目でみれば、『サラダ記念日』の主人公がウルトラ・コンサバ娘であることは一目瞭然なのだ。

手厳しくシニカルではあるけれど、なるほどとうなずかされてしまいます。

『サラダ記念日』のあとがきに書かれた、俵万智自身の言葉があります。

原作・脚色・主演・演出=俵万智、の一人芝居・・・・それがこの歌集かと思う。

関川夏央の 『現代短歌 そのこころみ』 (集英社文庫)では、彼女の歌に、「早すぎる回顧」がみなぎっていること、「個人史におけるレトロ趣味」が全体の核心にあることを指摘します。そして、その「早すぎる回顧」は、「一人芝居」と相性がよいのだ、とも。

若い作者には、恋愛の成就をむしろこばむ傾きがある。そうでなくては物語にはならないと感じている。

現実をいったん濾過したうえで再構成する。
そのとき採用されたのが、「古風な物語」であり、「愛唱性のある口語体」であった、ということなのでしょうか。

俵万智自身、 『短歌をよむ』 (岩波新書)の中で、こうしるしています。

サラダではなくて「鳥のからあげ」だった、というのが現実だ。たしかに、こう言ってしまうとミもフタもないような感じではある。
が、ここで私がしたいのは、楽屋の裏ばなしではない。心の揺れを伝えるためには、百パーセント現実に忠実である必要はない、ということ。わかりやすく言えば、嘘もあり、ということなのだ。


なぜ「サラダ」だったのか、については、こう打ち明けます。

自分でいうのもなんだが、「シチガツ」と「サラダ」のS音が、下の句と響きあって、爽やかな感じが出ているのではないかと思う。

韻律のここちよさと古風な物語性とのハーモニー。
このあたり、なかなか興味が尽きないところではあります。

ということで、今日のお昼ごはんには、コンビニで「鮭のおにぎり一個」と「なめこのカップ味噌汁」、それに「ひじきの和サラダ(生姜風)」を買って食べました。

なぜ「ひじき」のサラダだったのか。
「ひじき」のH音が食欲と響き合って、爽やかに吹く風のたたずまいをそこに感じたから。
・・・というのはもちろん嘘です。
ほんとうは「鳥のからあげ」よりもカロリーも低いし、栄養バランスがいいような気がしたからなのでした。

「ほんとうのこと」って、やっぱりあまり面白くはないですね。

それでは。

「ネクタイを締める」という儀式

数日前からクールビズのボタンダウンシャツを着用しはじめました。
首回りから入り込む風がこんなに爽快だとは思いませんでした。
なるほどこれなら「室内設定温度」を1,2度上げたとしても、まったくオッケーです。

思い返せば・・・
社会人となってからというもの、「毎朝、シャツを着てネクタイを締める」ことを欠かした日はありませんでした。
たいていは「シンプルノット」で。
堅苦しい席に出るときは「ウィンザーノット」で。
どちらのときでも、最後に輪をくぐらしたネクタイで首をきゅっと締めます。
毎朝、出陣前の瞬間にじぶんを少しだけ「殺す」、そのための儀式のように。

クールビズにひとつだけ不満を言うとすれば、「ネクタイをはずすときの開放感」を味わえない、ということですね。
一日の仕事を終り、しゅるしゅるしゅると首からネクタイをはずすその瞬間。
じぶんを取り戻すための神聖な「儀式」です。
儀式ではじまる一日を、折り目正しく儀式でしめくくる。
このとき、平凡に思えたその日が、ささやかに「充実」した一日に変わります。
ネクタイをはずす「開放感」は、その日の「憂さ」を吹き払い、そのかわりにゆるやかな「達成感」を運びこんでくれます。
ネクタイがもっているこの効用。
クールビズを着用して、はじめて気がついたことです。

ところで、「ウィンザーノット」というネクタイの締め方は、ウィンザー公(イギリス王エドワード8世)に由来しているという説があるそうです。
「エドワード8世」については、先日、スクリーンの中でお見かけしました。
『英国王のスピーチ』という映画です。

エドワード8世は、シンプソン夫人というアメリカ女性との「王冠を賭けた恋」を成就させるため、在位わずか1年足らずで王位を弟のヨーク公に譲ります。
おかげで、人前で話すことが苦手なヨーク公は大変な苦労を背負い込むことになり、でも努力の末に弱点を克服し、国家危急時に国民を奮い立たせるスピーチを成し遂げ、奮い立った国民の一致団結のもと戦争を勝利に導きます。
時を経て作られたこの映画。
本年度のアカデミー賞(作品賞)を授賞しました。
エドワード8世の「道ならぬ恋」あればこそ、とも言えるわけですね。

さて、譲位を決意したときのウィンザー公。
その心境とはどのようなものだったのでしょう。
余人には想像しがたいものであっただろう、ということは想像できます。
ただ、ひとつだけ思うのは・・・
締め方の手順が複雑な「ウィンザーノット」で締めたネクタイを、しゅるしゅるしゅると首筋から抜き取るときのような開放感も、その中には混じっていたのではないでしょうか。
たぶん、そのときのウィンザー公であれば、「室内設定温度」を3,4度上げたとしても、オッケーだったのではないかと思います。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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