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8月が終ります

8月もきょうで終りです。

あちこちでかまびすしかった蝉しぐれ。
潮が次第に引いていくように静かになってきています。
それでもまだ、がんばって鳴いているセミたちも。

きのう、夜になってから、セミの鳴き声が家の中まで響いてきました。
壁にへばりついたセミが、せわしげに、せかされるように鳴き続けています。
何も夜になってまで鳴かなくても・・・・
と思うけど、セミにはセミの事情があるのでしょう。

どんな事情なのか。
たぶん、地上に出てから一生の間に鳴く、その「総量」をきびしく決められているのかもしれません。
夜になってまで鳴くセミは、日中、さぼってしまって、ノルマの達成がむずかしくなってしまったのでは。
なにしろ残り時間は限られているセミのこと。
さぼった分の帳尻を合わせる、そのために残業を余儀なくされている・・・
なんだか超過勤務に追われる勤め人みたいですね。
そう思って耳を傾けて聴いていると、あわれさがいっそうつのるような気もします。

これは、自宅近くのカツラの木にとまっていたセミ。
アブラゼミではないかと思います。

セミ1

もう、ほとんど体力を使い果たしてしまっているみたい。
ノルマをすべてやり終えた達成感に浸っているところなんでしょう。
すこし気をゆるめた途端に、そのままぽとりと落ちてしまいそうです。
いまはただ静かにそのときを待っている。
そんな感じがします。

志賀直哉の 『城の崎にて』 で描かれた一場面を思い出します。
療養先でのある朝、玄関の屋根に死んでいた一疋の蜂。

「足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。」

たたみかけるような短文により、鮮明な光景が眼前に浮かび上がります。
かって谷崎潤一郎が「名文」の見本として誉めちぎった文章ですね。
このあと、こんなふうに続きます。

「それは三日程そのままになっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂がみんな巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。」

「静か」と「淋しかった」が計算された中で繰り返されています。
読むだけで、しんみり静かに淋しくなってしまいます。

それにしても・・・
「働きもの」であることが知られている蜂のこと。
セミと同様、精一杯、やるだけのことはやったあとの姿なんでしょうね。
悔いは残さず、生きた証だけはしっかりと残した、ある蜂の一生。
・・・ということだったらいいのだけど。

なんだか静かに淋しい話ではあります。
8月が終る、というのは、そういうことなのかもしれません。

それでは。

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「花の名前。それがどうした。」

前回の続きです。

「たとえばあなたは花の名前を知らないわ」

妻から離婚の理由としてこんなことを言われてしまう男のお話があります。
清水義範 『日本語の乱れ』 (集英社文庫)所載の、『花の名前』という短編ストーリーです。



言われてみれば、確かに、知っている花と言えば、「サクラ」「タンポポ」「ヒマワリ」「チューリップ」。
これではいけないと思った男は、つぎつぎと花の名前を学習していきます。
そして、知れば知るほど奥深い、「花の名前」の迷宮に踏み込んで・・・

さて、この話、締めくくりとして花の名前が5つに分類されます。
大体、こんな感じに。

第1ブロック:(サクラ、タンポポ、ヒマワリ、チューリップ)
 ここまでしかわからない人は、花の名前を知らない無骨な男、というランク。

第2ブロック:(バラ、コスモス、アジサイ、カーネーション)
 人間としてそこまでは知っているよね、という最低限はなんとかクリアした、というランク。

第3ブロック:(スイートピー、ガーベラ、ヒヤシンス、キンギョソウ、アネモネ)
 普通、女性はここまでは知っているものだよね、というランク。

第4ブロック:(コデマリ、クチナシ、ムクゲ、フヨウ、ケイトウ)
 お年寄りにおなじみの分野の花。これを知っているとシブい、というランク。

第5ブロック:(アマゾンリリー、アルストロメリア、アンスリウム、オレンジウム)
 ここまで知っているあなたは、めでたく花のオーソリティ、というランク。

なかなか興味深い分類ですね。
こうして眺めてみると、第3ブロック、第4ブロックまではなんとかクリアしたいものだな、と思います。
クリアしたからといって、とくになにがどうした、というわけでもないんだけど。

「花の名前」と言えば、もうひとつ、わすれがたい短編があります。
向田邦子の 『思い出トランプ』 所載の作品がそれ。



花の名前は桜と菊と百合ぐらいしか知らない、という男と結婚をした女がいます。
さまざまな花の名前を夫に教えていく妻。
それが夫の実生活に、あるいは精神的な成長に、役に立っているものと自負を感じていました。
ところが、ふとしたことで長年連れ添った夫に女出入りがあることを知ります。
すべて自分がいてこそと思っていた夫。
その夫が、自分にはコントロールの及ばないひとりの男として、いきなり現前します。
問い詰めてもぷいと背を向ける夫。
妻は思います。

「花の名前。それがどうした。
 女の名前。それがどうした。
 夫の背中は、そう言っていた。
 女の物差は二十五年たっても変らないが、男の目盛りは大きくなる。」


夫婦の機微についてのお話ではあります。
でも、それ以上に、人と人との間に潜む闇の深さを思わせられる・・・
そんなところのある作品でした。

向田邦子が飛行機事故で亡くなったのは、1981年(昭和56年)8月22日。
三日前、ちょうど30年目のその日を迎えました。

それでは。


「武蔵鐙(むさしあぶみ)」と「下野草(しもつけそう)」

庭で実を付けた「ムサシアブミ」です。

2_20110824132813.jpg

1

漢字で書くと、「武蔵鐙」。サトイモ科の植物です。
名前の由来は、花期に見られる仏炎包(ぶつえんほう)の形が、「鐙(あぶみ)」という馬具に似ていることにあります。
実の形からは想像しにくい、独特の曲線を描いた形態です。

これは、ネットで見つけた、「鐙(あぶみ)」の部分のフリー画像。

3_20110824142847.jpg

なるほど、この曲線部分に足を乗せて踏ん張ることで馬を自在に操るんですね。

さて、なぜ「武蔵」なのかといえば、むかし、武蔵の国で作られた鐙に似ているからなのだとのこと。
「鐙」のなんたるかについては、とくに詳しいわけではありません。
正確には、まったく何も知りません。
でも、作られる「国」によって形に特徴があった、というのは面白い話ですね。

武蔵の国、というのは、現在の東京、埼玉、神奈川北東部を含む一帯の古い呼び名です。
関東平野は広いから、大型の馬がダイナミックに走ることができそう。
「鐙」もまた、この東国の騎馬武者たちが思う存分に疾駆するのにフィットした特別製だったのでは。
機能性、装飾性にもすぐれ、他の国の騎馬武者たちにとって憧れの的だったのかもしれません。

いっぽう、「ムサシアブミ」のすぐ近くで咲いているこの花の名前は「下野草(しもつけそう)」。

simotuke.jpg

「下野の国」というのは、現在の栃木県ですね。
「武蔵の国」と「下野の国」が同じ庭で隣り合わせ、というのも不思議な因縁ではないだろうか。
戦国時代もたけなわの頃、関東武者が駆る馬の蹄に、踏みにじられる「下野草」もあったのでは。
・・・などと思ったら、「下野草」は、下野の国とは直接関係ないのだとのこと。
バラ科の「シモツケ」の花の姿が似ているところから、そう呼ばれているようです。

花の名前というのはなかなかややこしいものです。

それでは。

『コクリコ坂』から吹いてくる風

心をおちつかせる効果があるといわれる森林浴。
樹木が発散する「フィトンチッド」と呼ばれる物質が作用しているのだそうです。
目には見えない「森の香り」にも、きちんとした実体が備わっているんですね。

映画『コクリコ坂から』を観てきました。
森林ではなく、港のある街が舞台の物語です。
それなのに目には見えない「フィトンチッド」をいっぱい吸い込んだような気分になることができました。

海があり、丘があり、坂がある街。
いつもどこかから風が吹いている街。
主人公の周りにはさまざまな出来事が起こります。
一枚の写真に心をざわめかせてしまうようなことも。

でも、主人公はいつだって「まっすぐ」です。
「斜に構える」ことは「かっこのいい」ことでもなんでもない。
「まっすぐに生きる」ことの大切さ。
かっては「あたりまえ」であったはずの大切さです。
なのにそのことが、とても新鮮に感じられて仕方がありませんでした。

「あたりまえ」のことが当り前であった時代。
映画の背景は、東京オリンピック直前の1960年代です。
でも、この映画を観る人が心に甦らせるのは、必ずしも「その時代」ではありません。
人それぞれの、自分自身にとって大切な「その時代」なのではないかなと思いました。

観終わってすぐにもういちど観たくなる、そんな映画です。
総入替え制の映画館は、その点、融通が利かないですね。
「森林」だったら、なんどでも繰り返し出たり入ったりできるのに。

それでは。

世話好きな百日紅(サルスベリ)

街角に咲いている百日紅(サルスベリ)です。

サルスベリ2

なぜ「サルスベリ」なのか。
樹の肌がなめらかなので、木登り上手のサルも「滑る」ということなのだそうです。
受験シーズンに咲いたりしたら、「縁起が悪い」と敬遠されてしまいますね。

サルスベリの花がとても印象的に扱われている映画があります。
2008年公開の『歩いても歩いても』という、この映画です。



夏の真ん中の一日。
法事のため、実家に訪れた息子夫婦を待っているのは、年老いた両親です。
庭に見えるのは、紅い花を咲かせるサルスベリ。
枝豆の入ったまぜご飯を和気藹々とつくることから始まる光景から浮かび上がる、「どこにでもある」家族の姿・・・。
でも、この家族の中心には、腰を据えて動かない闇が横たわっています。
そこに「いなければならない人」の喪失と不在。
夏が来るたびにやりきれない思いは更新され、悲しみは累積していきます。
いつかすべてが償却される日は訪れるのかどうか。

家族が抱える心のざわめきを、庭のサルスベリの花が見おろします。
夏から秋にかけて100日もの間、ただ黙って咲き続ける、サルスベリの紅い花。
サルスベリにできることは、家族を癒すことではありません。
ただ家族に寄り添い続けること、「黙って咲き続ける」こと。

梅のように、凛とした風情の中、漂う芳香を楽しませてくれるというわけではありません。
桜のように、散り際の美しさを誇るわけでもありません。
でも、サルスベリには、やさしいたくましさがあります。
地表を暑熱が覆い尽くすような毎日であっても、簡単にへこたれたりはしません。
散っても散っても変わらない姿を見せつづけてくれるサルスベリ。

サルスベリ3

花と葉に縁取られた空が、青く透きとおって見えます。
サルスベリの花言葉は、「雄弁」、「愛嬌」、そして「世話好き」。

「雄弁」と「愛嬌」はわかるような気がするけど、「世話好き」というのはどうなんだろう。
そう言われてみれば、甲斐甲斐しく世話に明け暮れるサルスベリの精が見えてくるような・・・
ただ、人間の世話を焼こうとしたら、一日二日ではどうしようもなさそう。
そうか。それで「100日」咲き続けることにしたのかもしれないですね。


それでは。

「素数ゼミ」の声は岩にしみ入るか

夏本番。
「蝉しぐれ」がだんだん激しくなってきました。
今年はいつもより聞こえてくるのが遅かったような気がします。
春先にあまり温度が上がらなかったことが原因みたい。
その時期に寒い日が続くと、木の根の養分が少なくなり、地中の蝉の成長が遅くなる。
つまり、気温の高さが、蝉の成長のカギになっている・・・

というのは、ある本に書かれていたことの受け売りです。
『素数ゼミの謎』というこの本がそれ。



「素数ゼミ」というのは著者によるネーミングで、 13年、17年周期でアメリカに大量発生する「周期ゼミ」のこと。

この中で、三つの謎が問いかけられます。
1 なぜ成虫になるまで、こんなに時間がかかるのか。
2 なぜいっぺんに同じ場所で大量発生するのか。
3 なぜ13年と17年という周期なのか。

その答えはたがいにからみあっています。
とくに興味深いのが、「13年」と「17年」が、お互いに「素数」である、ということ。
ここから、「素数同士の最小公倍数」という数学上の知見や、「適者生存」という進化論的考察に基づき、3つの謎がわかりやすく解き明かされます。
とてもスリリングな内容でした。

せっかく地中から出てきても、同じ周期を持つ仲間と巡り合う機会がなければ子孫は残せません。
驚いたことに、素数ゼミたちはそのことに気づきます。
誰に教わったわけでもないのに。

たしかに、「現実」は、彼らにとって過酷です。
すこし早めに地上に出る準備が整ったからといって、もし「フライング」をして地上に出てしまったら・・・
世界に待っているのは「孤独」と「絶望」だけ。
あとのセミ人生を寂しく鳴いて泣くしかありません。

だから、あたりの様子を慎重にうかがい、仲間みんなとタイミングを合わせて、自分も陽の光の下に踊り出る。
そして配偶者を求めて声高らかに謳いあげる・・・

この、「あたりの様子を慎重にうかがう」という点、なんだか人間的ですね。
「和を以て貴しとする」伝統を持つわれわれ日本人には、ことさら身近に思えるのでは。
「付和雷同」というような「今を生きる」処世のための計算ではなく、あくまでも「種の保存」のために遺伝子に書き込まれた本能。
素数ゼミたちも、みんなそれぞれ意味や目的を持って生まれてきたのだということが、愛しいものに思われます。

とはいえ、このセミたち、なぜかせまい場所に集中して大量発生するとのこと。
100メートル四方に40万匹、平均すると1平方メートルに40匹のセミがひしめきあう・・・
なかなか豪快な光景ですね。
で、その鳴き声たるや。
岩にしみ入る閑かさ、とは、ほど遠いものがありそうです。


それでは。

「待つ」ときは「ゆっくり」と

太宰治の短編に 『待つ』 というタイトルの作品があります。
買い物帰りに立ち寄った駅の冷たいベンチに座り、毎日、何かを待ち続ける女性。
何を、誰を、待っているのか、本人にもわからないまま、ただぼんやり改札口を眺めつづけます。

彼女はいったい何を待っているのか。

「生きているのか、死んでいるのか、わからぬような、白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持ちになって、駅前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまうのです。」

「待つ」ことの中に潜んでいるもの。
底が見えない不安や焦燥なのか。
「なつかしい」、それとも「神々しい」ものに巡り会えれば、という期待なのか。
言葉にすることがむずかしい感情を揺さぶられ、心を撹拌されてしまう、不思議な短編です。

これは、先日、ある下町の裏通りを歩いていて出会った光景です。

matu1.jpg

左下に見えるのは、かなりのご高齢とおぼしき女性です。
玄関の外に置かれた椅子に腰掛け、ただ黙然と前を見つめていました。
一時間半後、帰りに同じ道を通ってみると・・・
そこには、まったく同じ姿勢で座り続けるおばあさんの姿が。
何を、そして誰を待っていたのでしょうね。
ずうっと昔にこころを温めてくれた思い出が、誰かの面影を伴って道の向こうから姿を現すことだったのでしょうか。

ふと、「待つ」ことにとっていちばん大切なのは、「ゆっくり」ということかもしれないな、と思いました。
「あくせく」せずに「ゆっくり」と待つ。
そして「ゆっくり」生きること。

たとえ日暮れてあたりが闇に包まれても、しずかに待ち続ける。
そうすれば、やがて心に灯をともしてくれるものが訪れるときが・・・

などと思いつつ、どうにも気持ちばかりが逸り、来るはずのないものをただ「あくせくと待つ」毎日なのでした。


それでは。

「土用」丑の日、うなぎを食べる

「土用」丑の日にうなぎを食べる。
夏負けしないように、という願いから生まれた習慣ですね。
きのう、そのうなぎを食べました。
美味しくて、すこし食べ過ぎてしまいました。
ということで、けさから胃腸薬のお世話になっています。
でも胃の不快感とひきかえに、「今年の夏には負けない」という決意と意欲がやんわりと湧いてきたような気もします。

こどものころは、「うなぎの蒲焼き」が大好きで、親と外出をするたびによくねだったものでした。
最近は、年に何度も食べません。
「たまに食べるから余計に美味しい」ということもあるんだろうと思います。
だからつい「食べ過ぎ」てしまう、ということも。

うなぎが大好きな文人に、斎藤茂吉がいました。
嵐山光三郎の 『文人悪食』 という本を読むと、ある会食の席でうなぎの蒲焼きが出されたときのことが書かれています。




「弟子の夫人が気をつかって一番大きい鰻を茂吉の前に置くのだが、茂吉はするどい目で鰻の大小を鑑定して、〝君、そっちのほうが大きいから替えてくれ〟と言い、鰻はあちこち移動して、結局、最初に並べられたとおりに戻った、という。」

「隣の芝生は青い」ということは聞くけれど、「隣のうなぎ」もまた大きいものなんですね。
うなぎへの「こだわり」として、茂吉自身のこんな文章も引用されています。

「蕎麦のもりかけ一銭六厘時代に鰻どんぶりは五十銭もした。それだから客人も半分食べて半分残すといふのは常識とされていた。」(『茂吉小話』)

その客の残りを少年・茂吉はご馳走になっていたのだ、とのこと。
後年、うなぎを食べると「数分で樹々の緑が鮮やかに見える」とまで語った茂吉の原風景です。

その茂吉は、こんな歌も詠んでいます。

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり

近現代の短歌界、文学界の大家と言われる斎藤茂吉。
食べたうなぎは、すべて余さず「創作エネルギー」に転化されていきました。
すこしぐらいの「食べ過ぎ」ですぐに胃腸薬を飲んだりはしなかったのではないかと思います。


それでは。

プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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