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失敗なんて怖くない~『大雅・蕪村・玉堂と仙-「笑(わらい)」のこころ』(出光美術館)

人間が他の動物ともっともちがうこと。
それは「笑うこと」だ、という人がいました。

たしかに、言われてみればそんな気もします。
コオロギは「鳴く」ことはあっても笑ったりはしそうもありません。
ライオンも「吠える」ことはあっても笑うことはないでしょう。
ネコなどは、ときどき笑ったように見えることもあるけど、たぶんそれは気のせい。
カラスはしょっちゅう人間を嘲笑っているようにも思えるけど、これまたやっぱり思い過ごしでしょう。

「笑い」は、案外、人間の尊厳と直結しているのかもしれません。
どうしようもない不条理に直面したとき、人間に最後に残される砦こそが「笑い」なのだ。
そんなふうに言うこともできるのではないでしょうか。

「笑い」をテーマにした展覧会があったので、先日、行ってみました。
『大雅・蕪村・玉堂と仙-「笑(わらい)」のこころ』(出光美術館)という催しです。

idemitu.jpg

池大雅。与謝蕪村。浦上玉堂。そして仙。
錚々たる顔ぶれです。
出光美術館のコレクションから、「笑(わらい)」をキーワードに選び抜かれた作品を観ることができました。


池大雅では、『十二ヶ月離合山水図屏風』に圧倒されます。
1月から12月まで、移り変わる山水の季節。
その様子を描き出した屏風絵を右から左へ眺めていくと・・・
独特の点描によって描かれる風景には光がいっぱい溢れてみえます。
そして、ところどころで遊び戯れる子どもたちの可愛らしさ。
描く池大雅のまなざしの温かさが感じられるようでした。

蕪村と玉堂の展示作品から、「笑(わらい)」というメッセージはそれほど強く伝わって来ません。
そこにあるのは、むしろ「余裕」とか「達観」という要素であるように感じられます。
それに比べると、仙の描く作品は、どれもこれも「笑(わらい)」でいっぱいです。
ここまで肩の力を抜いて絵を描けたら楽しいだろうなあと、思わずにはいられないものばかり。

なかでも愉快だったのは、「書き損ない」をそのまま作品にしてしまうこと。
たとえば、鳥なんだか花弁なんだかわけのわからない絵があります。
ただの「書き損じ」としか思えないようなその作品。
なのに、絵の脇に、「これでも鳳凰なり」と画賛を入れてしまう。
よりによって、気高く、また幸福を呼ぶ瑞鳥といわれる、あの「鳳凰」。
完全に開き直っています。

虎を描こうとしてもどうにも虎には見えない絵を描いてしまった仙さん。
なのに「虎か猫かわからない」という画賛を書き入れてそのまま作品にしてしまいます。
苦笑しながら、だったのか、それとも案外、まじめな顔で、だったのか。

こういう作品を観ていると、仕事が思い通りに運ばないからといってくよくよすることとは、もう金輪際、きっぱり手を切ろう、という気持ちになります。

さまざまに一喜一憂することを余儀なくされる日常に戻るまでのほんのいっとき。
仙さんのおかげで、とてもとても大らかな気分に浸ることができたのでした。


それでは。



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映画『はやぶさ/HAYABUSA』を観てきました。

公開中の映画『はやぶさ/HAYABUSA』を観てきました。

なんといっても素材がすばらしい映画です。
しかもまだまだ旬の素材。
こんな一級の素材を前にした料理人(映画製作スタッフ)も、ある意味、大変だったでしょうね。
なにしろこの素材、宇宙空間に打ち上げたのが2003年のこと。
その後、地球へ帰還する2010年まで、7年間にわたり、真空の中で時間をかけて熟成を重ねてきています。

高さ・幅、ともに1.5 メートル、重さは510キログラム。
コンパクトな大きさのこの素材には、帰還するまでの間に、またさまざまな旨味の成分もしみ込んでいきました。
関わったすべての人たちの英知、努力、決断、夢、そして希望。

今回、映画の作り手たる「料理人」が選んだのは、素材のよさをできるかぎり生かすこと。
むやみに包丁を入れることを避け、ただ、素材を盛りつける器と「つけあわせる食材」に気を配った出来上がりとなりました。

長い旅路の末に戻ってきた「はやぶさ」。
そのからだには、「はやぶさ」を見上げるすべての人達の、そして「はやぶさ」自身の「スピリット」が宿っています。
大気圏に「はやぶさ」が突入するラストシーン。
燃え尽きていくその「スピリット」に対して、自然と言葉が湧きあがってきました。

おつかれさま。そしてありがとう。
おかえり。そしてさようなら。


それでは。

ななつよいこと

墨田区にある 「向島百花園」 に行きました。
目指すは「秋の七草」鑑賞です。

「花の咲く」草花が中心の向島百花園。
古くから下町の人気スポットです。
東武線「東向島駅」から歩いて5分と近く、入場料も大人150円。
とても親しみやすい料金設定です。

さて、秋の七草、まず一番手は、この「オミナエシ」。

455オミナエシ

かすかに風に揺れる姿に風情があります。
この花は、漢字で書くと「女郎花」。
どこか、嫋々たる女人を思わせる、ということなのでしょうか。

別の場所には、こんな花も咲いています。

489オイランソウ2

「オイランソウ」(花魁草)という花。
花が、花魁の頭の形に似ていることから、この名がつけられました。

なんとなく、吹く風も艶やかなものに思えてくるような名前ですね。

さて、次の「秋の七草」は、「フジバカマ」。

454フジバカマ

顔を近づけると、あるかないかというほどの、ほのかな香りを感じます。

この香りに誘われたのでしょうか。
揚羽蝶がふわりと羽を休めます。

468フジバカマ2

「アサギマダラ」という蝶みたいですね。
フジバカマを身に纏う貴婦人のようです。

「秋の七草」、三番手は、「クズ(葛)の花」。
紫紅色で蝶の形をした花は、野趣いっぱいに密集して・・・
いるのが見られるはずだったけど、残念ながらもうすでに花は実(マメ)になってしまっていました。

463クズ

生命力あふれる葛の花。
来年こそは、もっと早く見に来ようと思います。

四番手は、「キキョウ」の花。
こちらは、すこし、見に訪れるのが早すぎました。

480キキョウ

まだ蕾です。でも、どこか愛らしい姿のつぼみですね。
鳥海昭子さんという歌人に、こんな歌があります。

 次に咲くその次に咲く蕾もち
        キキョウむらさき凛として立つ


咲いたときの、そのきっぱりとした青紫が目に浮かんできます。

さて、次に見つけた「秋の七草」は・・・

465ススキ

「ススキ(芒)」です。
陽の光を浴びて淡く輝く穂のすきまから、青空や樹木の緑が透けて見えます。
ぼんやりと視線を漂わせながら、ひとつふたつ、「ため息」をつく。
ススキ鑑賞のコツです。


「秋の七草」といえば、なんといってもこの花を忘れるわけにはいきません。

457ハギ1

「萩の花」ですね。
なにしろ、「くさかんむり」に「秋」と書いて「萩」です。
楚々とした雰囲気、どこかさびしげな表情。
たわんだ枝に数多く咲く小花の優美なたたずまい。
でもやがてすぐに散ってしまいます。
昔から、人はその風情に「もののあわれ」を感じてきました。

これは、「萩のトンネル」。

484ハギ2

深呼吸しながらくぐり抜けると、それだけでとても爽快です。
「もののあわれ」はさておき、ともかく、気分すっきり。
ガソリンスタンドにあって車をクリーニングするのが「洗車機」なら、こちらは身も心もリフレッシュにしてくれる、「洗心洞」という感じです。

この日、ひとつだけ見当たらない七草がありました。
なんの花かというと・・・

ナデシコ(撫子)の花です。

季節がもう終わってしまっていたのでしょうか。
それとも、ロンドン五輪出場も決まり、テレビ出演やらCMオファーやらで忙しかったのかも。
残念です。

そもそも、七草ぜんぶがいっせいに咲き誇る、というのはむずかしいことなのかもしれないですね。
心理学者・河合隼雄さんの『こころの処方箋』という本に、「ふたつよいことさてないものよ」という言葉が書かれています。

「人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。」

ふたつよいことでさえさてないもの、であるのだから、ななつよいことなんて、そうそうあるはずもありません。

微笑の連続、満足いっぱいの「秋の七草」鑑賞だったのでした。


それでは。


2時間30分の孤独

先日、久しぶりに東京ドームでプロ野球観戦を楽しんできました。
巨人・広島戦です。

yakyu.jpg

緊迫したゲーム展開の中、後半にきっちり山場があって、大興奮、大満足の一日でした。

観ていてひときわ目をみはったプレーがあります。
ショートの奥深くを襲ったゴロを、坂本内野手がさばいたそのプレー。
逆シングルで捕球するや、右足を踏ん張って体勢を立て直します。
体重を乗せ、スナップを利かせて送球されたボールは、一塁手のグラブへと最短距離を飛行していき、間一髪のアウト。
テレビではおなじみのプレーだけど、やっぱり実際に観ると、その「すごさ」がわかります。
なにしろ、捕球位置から一塁まで、その遠いことといったら・・・・
普通の人だったら、宅配便の人に頼んで届けてもらうのではないかと思ったぐらいです。
そんな距離をものともしない。
それをすることで、額に汗ひとつかかない。
さすがに「プロ」というのはこうあるべきものなんだなあと、感心しきりでした。

「プロ」というのはどこまでもあくまでもすごいもの。
そう思わせてくれるある本を、読みました。
『新幹線を運転する』(早田森:メディアファクトリー新書)、というこの本です。



新幹線の運転士さんたちが、なにを考え、なにを感じ、どのように職務をはたしているのか。
JR東海に勤めるひとりのベテラン運転士の取材を通して、その実際に迫った本です。

東海道新幹線の場合、ラッシュ時には、東京~新大阪の線路上に、80本もの列車が同時に走っている瞬間があるのだ、とのこと。
このことから、安全運行のためには、「定時」で目的地に到着することがとても重要です。

「小田原を通過した時点で8時10分30秒だったから、18.7㎞先の熱海駅まで時速230㎞のままで行けば定時通過できそうだ」

という具合に、残りの距離から、微妙に、速度を調整する運転士さん。
こういうご苦労があるとは、ぜんぜん考えもしませんでした。

さらに、こんなことも述べられています。

「目で見て、条件反射でパッと行動しなくてはいけない。目で見て、一瞬でも考えたら必ず失敗します。考える一瞬の『間』が命取りになるんですね。曖昧な意思表示は絶対にしてはいけない。常に○か×の世界で、そのあいだはない。」

どんな仕事でも、この瞬発力が求められる「瀬戸際」というのはあるのではないかと思います。
ただ、時速270㎞というのは、その「瀬戸際」が「瀬戸際」のまま連続する「世界」なんでしょうね。
列車が止まるそのときまで。

この本を読んでいて心に絶えず浮かんできたのは、じつは「孤独」という言葉です。
東京から新大阪までの2時間30分。
16両編成の列車には、1300人からの乗客がいます。
でも、走行中は、完全に「密室」となる運転席に、運転士はただ一人だけ。

旅客機のパイロットも数百人からの命を預かります。
でも、そこには通常、「副操縦士」が隣に控えている。
一方、新幹線運転士がひとり向かい合う「2時間30分の孤独」。
その「重さ」と「深さ」は、計り知れません。

「プロ」として「責任を全うする」ということ。
それはたぶん、「耐えがたい孤独を引き受ける」という「覚悟」なのだと思います。
そして「覚悟のほどを見せる」とは、すなわち結果を出し続けること。
・・・なのでしょうね。

ということで、ぼくもとりあえず、「耐えがたいストレス」を引き受けることからがんばっていきます。
ストレス解消には、適宜に「昼寝」をとることがいちばん。
電車の中で、あるいはこコーヒーショップで、5分、10分の休息を積み重ねる。
もちろん、「2時間30分の昼寝」というわけにいかないんだけど。



それでは。

天国からのメッセージ

前回のつづきを少し。

「光の速さ」を超える物質が存在しうるかも、というびっくりするようなニュースのお話です。
それが本当ならば、時間の流れを行き来する「タイムマシン」を作ることもできるのでは。
「鏡に映る過去のじぶん」と対面するだけではなく、実際に「対話」することもできるのでは。
そんな空想をするだけでもわくわくしてしまいますね。

もっとも、ここにはパラドックスがあります。
乗り越えることがとても難しい「逆説」。

よく語られる極端な例として・・
過去に遡り、過去の「じぶん」と対面し、その「じぶん」を殺害してしまった。
・・・とします。
物騒な事例だけど、想像上の「たとえ話」だから、殺人罪に問われることはありません。

この場合、「殺害」の瞬間から、「じぶん」は存在しなくなります。
未来の「じぶん」も、当然、存在することが許されません。
だとすると、「タイムマシン」に乗って過去にやってきて、「じぶん」を殺害した「じぶん」とは一体だれ?

・・・この問題に結論は出ません。
堂々巡りの袋小路。
このようにして、「アイデンティティの危機」は、「時の狭間」にも待ちかまえているのでした。

このパラドックスをどう乗り越えるのか。
そもそも乗り越えることができるのか。

過去の「じぶん」と「対話」までしようと思うと、まだまだなにかと大変みたいです。
人生、振り返れば、「それはちょっとやめておいたほうが。」というアドバイスをしてあげたいターニングポイントの2つ3つ、あることはあるんですけどね。
まあ、そう簡単に「歴史を塗り替える」というわけにもいきません。

とはいえ、「時間の流れを超えて、未来へメッセージを届ける」ということはいつでも可能です。
なぜならぼくたちは、「文字(言葉)」というものを知っているから。
そしてそれを「手紙」や「日記」という乗り物に乗せることができるから。

中山美穂主演の 『Love Letter』 という映画では、思わぬところにそのメッセージが残されていました。
「文字」ではない、あるメッセージが、一瞬で時間を飛び越え、「その人」の胸の奥に飛び込んでいきます。

蒼井優主演の 『ニライカナイからの手紙』 も、そういうテーマの映画でした。
沖縄と東京。はなればなれに暮らすことを余儀なくされる母と幼い娘がいます。
毎年、娘の誕生日にかかさず届く、母からの手紙。
やがて成長し、娘は母を探しに東京へと旅立つことに。
二人の出会いは、どういう形をとることになるのか・・・
最後に、「ニライカナイ」というタイトルの言葉が、心に深く残るような映画でした。

すこし前の朝日新聞に、こんな見出しの記事が掲載されました。

『天国のお母さんに会えた』

東日本大震災で母親を亡くされた小学校3年生の女の子。
その子の元に、お母さんが書いた手紙が届いた、という内容です。

ランドセルを購入したとき、メーカーが顧客サービスで「未来の我が子へメッセージを」と呼びかけたものが、2年を過ぎて届けられたのだとのこと。

「今は、すこしはおうちのてつだいをしてくれているのでしょうか?」
「このてがみをみんなでよんでいるところをたのしみにして、これからおかあさんはがんばっていきます」


文面には、「母親」の言葉が綴られています。
いっさい飾り気のない言葉です。

いっぽう、父親であるご主人は、このように語ります。

「3月11日で家族の時計は止まってしまったけど、この手紙で前に進んでいける気がします」

ひとつのメッセージが、止まった時間をふたたび動かしてしまう。
そして、未来を生きる家族と「対話」を交わす。
人の「思い」は、「時空」なんてものともしません。
その「思い」を成分分析したとしたら、きっと「光の速度」よりも速い素粒子で構成されているのではないかと思います。

それでは。

プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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