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雪に映った青い影

きのうは夕方から雨が降ってきました。
と思っていたら、すぐに霙(みぞれ)まじりに。
と思っていたら、またすぐに雪に変わっていきました。

ヘミングウェイの 『武器よさらば』という小説の中に、印象的な場面があります。
「雨がこわい」というキャサリンと、フレデリックとの会話です。

「雨は好きだけどなあ」
「雨の中を歩くのは好きよ。でも、雨って、恋人には冷たいの」
「いつでも、きみのことは大好きだよ」
「わたしも大好き。雨のなかでも、雪のなかでも、雹のなかでも――あと、何がある?」

(『武器よさらば』(上)光文社)

「雹(ひょう)のほかには霰(あられ)があるよ」
などという興ざめなセリフを、フレデリックはもちろん口にしません。
気持ちを昂ぶらせてゆくキャサリンを鎮めるような語らいだけがつづきます。
燦々と輝く陽光のまぶしさではなく、日蔭の持つやさしさがキャサリンを包み込みます。


さて、夜中に降っていた淡雪は、朝にはもうほとんど消えてしまっていました。
近くの公園で見かけたその様子です。

雪

日蔭に寄り添うようにして雪がわずかばかり残っています。
淡雪にとって、この日蔭は、なによりも頼もしい存在でしょうね。

「日だまり」の反対語のような「日蔭」。
でも、たとえば、「月影」といえば「月の光」のこと。
光と影は同じ仲間同士みたいなものです。
淡雪も日陰でしばし和み、くつろいでいるのでは。

よく見ると、影は「黒」ではないことがわかります。
淡雪に映る青い影。
短くなる影を、雪は追いかけます。
追いかけていったあとに待つ運命を、いま考える必要はありません。
明日になればまたなにもかもが変わっている。
・・・かもしれないから。


それでは。

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節税にも節度が必要です

『ショーシャンクの空に』という映画があります。
主人公は、優秀な銀行員であったアンディ。無実の罪で投獄されてしまっています。
でも、彼の中には、つねに「戦略」がありました。
ある日、看守が遺産相続によって支払わなければならない税金に不満たらたらであることを知って、「コンサルタント」を申し出ます。
それをきっかけに、着々と固めて行く、刑務所内での地歩。
すべては、彼の遠大な計画のための「布石」となっていくのでした・・・

感動的な映画です。いろいろと教えられることもありました。
「専門知識」がときに強力な「武器」にもなりうるのだ、ということもそのひとつ。
アンディを助けることになる強靱な意志と、専門知識。
「芸は身を助ける」、という言葉どおりです。
ただ、自分だけが助かることをアンディはけっして望みません。
彼の行動は、周りの囚人たちにも喜びをもたらし、希望を与えます。
それを可能にすることこそが、ほんとうの「芸」なんでしょうね。

さて、先日の読売新聞一面に、 「税制逆手1000億円申告漏れ」 という記事が掲載されました。
それによると、「簿価」のまま資産を移動できる「企業再編税制」の優遇措置を利用したのだとのこと。

ちょっとわかりにくいお話ではあるんだけど、どうもこういうことのようです。

まず、親会社が会社分割によりA社を新設します。
ただし、出資するのは評価額が簿価より低い不動産。

この結果親会社が取得するA社の株式には、当然、「含み損」が生じています。
このA社株式を出資することで、同じように会社分割によりB社を新設。
親会社はまたまた「含み損」のあるB社株を取得します。
以下同文のように子会社をつぎつぎと増やしていきます。

みるみる産み落とされる、どれも損失を抱えた子会社たちの群れ。
最終的には、この子会社たちを、利益の出ている他のグループ会社と合併させます。
法人所得はもちろん減りますね。
場合によっては税金の還付を受けることさえできるかも。

「会社分割」や「合併」というスキームを「魔法の杖」のように振る。
それによって「損失を抱えた子会社」をたちどころに作りだしてしまう。
税金を専門とする人たちというのは、こんな複雑なことをよく考えつくものだと思います。

さて、記事には、国税当局の見解が書かれています。

「B、C社などの損失は、この操作によって新たに生み出されたもので、法人税法に規定された「法人税の負担を不当に減少させる」行為にあたると判断した」

要するにこのような節税策は認めない、ということですね。

たしかに、企業再編の法整備が行われたそもそもの趣旨は、日々変化する経済環境に即応し、競争社会を生き残るため、必要に応じてその時々の環境に適合するため、というようなことだったと思います。
その結果として、「経営の効率化」が図られ、また「企業統治の実効性」も高まるという効果もあります。
そういった制度趣旨からみて、このような企業再編スキームはどう評価されるべきなのか。
今回、それに対して国税当局の下した判断は、実務的にはとても影響が大きいだろうと思います。

専門家の持つ「専門知識」というものは、市井の人のそれを大きく凌駕しています。
当然、そうでなければ「専門家」などという看板は出せません。
したがって自らのその「知識」をクライアントのために最大限、有効に活用することが常に要求される。
これまた当然のことですね。
その意味で、「芸は身を助ける」わけではあるけれど、同時に、 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 ということも忘れてはいけない。
そんなことを考えさせられるニュースでした。

それでは。

勘九郎の『鏡獅子』

先日、六代目中村勘九郎襲名披露公演を観てきました(新橋演舞場)。
中村勘太郎改め中村勘九郎。
『禅 ZEN』という映画で道元禅師を堂々と演じる勘太郎を観て、ずいぶん骨太で存在感のある役者だなあと感じたことを思い出します。

襲名披露口上では、父・勘三郎、弟・七之助をはじめ、12人の幹部俳優が勢揃い。
吉右衞門、仁左衛門、三津五郎、橋之助、福助・・・まさに、燦然たる「綺羅」が星の如くに並び連なっています。
それぞれが述べる口上に込められた勘九郎へのあたたかい「思い」と、こぼれ出る愛情。
「幾久しくお引き立ての程を」と一斉に頭を下げられてしまうと、ついつい恐縮してしまいます。
思わず「どうか大船に乗ったつもりで」などと根拠もなく安請け合いをしてしまいそうになりました。

そのあと演じられた『鏡獅子』には圧倒されました。
場所は江戸城本丸。
将軍の御前で、小姓の「弥生」に扮した勘九郎が、袱紗(ふくさ)や扇子を巧みに使ってあでやかに舞います。
袱紗の「赤」が舞いの中でひときわ鮮やかで、思わず見とれてしまいます。

やがて「獅子頭」を手にして舞い始める弥生。
迷い込んできた胡蝶と戯れるうちに「獅子」の本性が覚醒します。
目覚めた獅子によって意志を支配されてしまう弥生。
獅子に引き摺られるようにして花道を駆け去っていきます。
別の世界に否応もなく引きずり込まれていくみたいに。

この場面はすごいですね。
彼岸と此岸を行き来している、と言われる胡蝶。
その妖しい動きにうっかり気を取られると、日頃は押し隠していたはずの「本性」が一気にうごめきはじめてしまう。
こういうことは、誰にでもいつでも起こりうるんだろうなと思います。

もうひとつすごいのは、目には見えず、意識することがなくても、日常と踵(きびす)を接している「異界」が、舞台のうえに突如として現れ出ること。
「理性」を封じられて「本性」に乗っ取られてしまったら、その「本性」に操られるまま、「異界」の闇の奥へ、なすところもなく呑みこまれていってしまう。

ほんとうは怖いことなのかもしれません。
でも、いっぽうでは、獅子に操られるまま、異界の淵にどこまでも身を委ねてしまいたいと思わせるような「何か」があります。
美しい歌声で船乗りを魅了し破滅させたといわれるセイレーン。
船乗りたちは、そのセイレーンの魔力の前に、自ら望んで滅んでいったのではないだろうかとも思えてしまう。

さて、舞台の後半は、白い、長い「たてがみ」をクライマックスで振り回す、雄壮な獅子の舞い。
激しくダイナミックな動きの連続です。
物に取り憑かれた獅子が、ひたすらそのエネルギーを爆発させているようにも見えます。
封じ込められていた「理性」が「本性」に最後の戦いを挑みかけ、その二つの力がぶつかりあっているようにも見えます。
腰をしっかと据えて、上下左右、縦横にたてがみを振り回し続ける勘九郎。
空気が鋭く揺さぶられ、風を切る音が聞こえてきます。

あれだけ激しく体を動かすと、あとでお腹が空くだろうな。
明日の朝は、体中が筋肉痛になるのでは。

・・・幕が下りた直後、ぼおっとした頭に浮かんできたのは、なんだか間の抜けた感想ばかり。
本物の芸を目の当たりにしてしまうと、手持ちの「言葉」はぜんぜん役に立たないし、その芸の「影」に追いつくことさえもできない。
そんなことをひしひしと感じてしまうのでした。

それでは。



三丁目から見上げる「夕日」

公開中の映画 『ALWAYS 三丁目の夕日’64』 を観てきました。

東京オリンピック開催直前という時代背景。
夕日町三丁目のいつもの面々が、恋あり笑いあり、勘違いあり涙ありの人間模様を、にぎやかに繰り広げます。
いまは失われてしまったように見える人間同士の触れ合いが、この町の日常です。
「無縁社会」とか「孤独死」という言葉を必要としない人々の生活。
そんな人たちの熱気が確かに息づいていた時代を切り取って見せてくれます。
見事なCGで描かれる東京タワーの光景や新幹線(先頭が丸みを帯びている、懐かしき0系)など、映像的にも見どころはたくさん。
このシリーズの面目躍如、という仕上がりの映画でした。

観ていて思うのは、「明日に希望を持って、がんばろうと心に誓う」ためには、上を見上げなければいけないんだな、ということ。
どう考えてもいつの時代であっても「あたりまえ」のことです。
ただ、「あたりまえ」と頭ではわかっていても、辛いこと苦しいこと思うにまかせぬことが連なると、ついつい目線は下を向いてしまいがち。
そんなことがしばらく続けば、首筋はそのまま凝り固まってしまいます。
いったん筋肉がこわばれば、上を見上げたくてもできなくなってしまう。
だから、ときにはこういう映画を観て、首筋をやわらかく揉みほぐして、「あたりまえ」であることの「あたりまえさ」を思い出すことが大切なんだろうなと思いました。

それに「夕日」って、見上げるのには好適なんですよね。
まず角度。そんなに首に負担をかけずに、自然に見上げることができる角度に位置しています。
昼間の、強烈に照りつける陽射しと違って、雲から洩れる夕日は目にもやさしいでしょう。
見上げているうちに、一日の生活で擦り切れそうになってしまった心と体を、ほどよい暖かさでぬくめてもくれます。

夕日を詠んだ与謝野晶子の歌があります。

 金色の 小さき鳥のかたちして いちょう散るなり 夕日の丘に

たった一枚の「いちょう」の葉っぱを、「金色に輝く小鳥」に変えてしまう夕日。
夕日には、そんな魔力が秘められているのかもしれません。

ほんとに疲れてしまったときには、背筋を伸ばして、夕日を見上げてみようかな、と思います。
厚い雲で覆われていないかぎり、夕日はいつでもそこにいて、毎日だって見上げることができるんですからね。


それでは。


プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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