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平和を護る、眠りネコたち

連日、猛暑が続きますね~。
打ち上げ花火に歓声をあげていた初夏の昂揚感が、遠い昔の話に思えます。
日差しを10秒も浴びていると、体が溶けていってしまいそうな残暑。
輪郭を保っているだけでも大変な暑さです。

↓これは、近くの郵便局前で昼寝するネコ。

ネコ

太平洋高気圧の行方にも、こじれる領土問題にも、あまり関心なさそうに眠っています。

いっぽう、こちらのネコ↓

高舘義経堂のネコ1

昼寝をしていたところを無理やり起こしてしまいました。
一見、なんの変哲もないネコにみえます。
ところがこのネコ、ただ者ではありません。

場所は、先週訪れた、奥州平泉の「高館義経堂」。
妻子とともに自害した、と伝えられる地に建てられた堂の中には、義経の木像が祀られています。

高舘義経堂

その義経公を護るために、この堂の前で、行き交う観光客を薄目に見つつ、昼寝をしていたんですね。
ことによると、ただ眠ったふりをしていただけなのかも。
だとしたら、ますますもって感心なネコです。
徳川家康を護るために作られた、日光東照宮の「眠り猫」みたいです。

うだるような猛暑の中、日本中の道端の、そこかしこで居眠りをしつづけるネコたち。
ひょっとしたらみんなみんな、人々の平和を護るために眠ったふりをしている・・・
だけなのかもしれません。



それでは。


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映画『ジェーン・エア』を観てきました。

映画『ジェーン・エア』を観てきました。

長編小説を映画化した文芸映画というのは、得てして消化不良になりがちなもの。
そんな先入観もあり、この映画も、じつはそれほど多くを期待はしていませんでした。
ところが・・・
予想は見事に大はずれ。
とても見応えのある映画です。

要因のまず第一はキャスティング。

原作の中で、主人公のジェーン・エアもロチェスター氏も、美男美女ではありません。
こういう小設ではめずらしい設定です。

たとえば、ジェーンは、みずからの容貌について、こんなふうに語ります。

「ときには、それほど美しくない自分の容貌を悲しみ、ときには、バラ色の頬や、すっきりした鼻や、さくらんぼのような、かわいい口を欲しいと思った。」
「こんなに蒼白く、またこんなに不細工で目だった顔だちをしていることを不運に思った。」

(新潮文庫:『ジェーン・エア』大久保康雄訳)。

外見的にはそんなように見える、そしてそのことを自覚している19才のジェーン。
でも、彼女には、自分の道を自分で切り開いていく不屈の精神が宿っています。
環境に流されることを拒み、自らの意志を貫いて生きる芯の強さを持っています。

この映画でジェーンを演じるのは、ミア・ワシコウスカという女優さん。
なんともむずかしいキャラクターを、自然体で演じているように思えました。
たしかに「美人」というわけではないのに、心に食い込んでくるようなきびしい表情、そしてときに頬をゆるませて垣間見せる笑顔、のような表情。
原作にあるジェーンのイメージがスクリーンで息づいているように見えてきます。

二つ目の要因は、巧みな脚本にあるのではと思います。

映画の冒頭、ソーンフィールド館を抜け出し、ヒースの繁る荒野で行き倒れ寸前に陥るジェーンの姿が描かれます。
何事が起こったのか。どんなドラマが彼女の身に降りかかったのか。
観客は一気に映画のど真ん中に引っ張り込まれます。

こういう長い小説が原作の場合、120分の上映時間ですべてを描くことなど、到底できません。
どこを捨て、どこをクローズアップするか。
まさに「トリミング」のセンスこそが、映画の成否を決めるのだろうと思います。
その点でもこの映画の脚本はよく練られていると感じました。

孤児院での生活についていえば、心優しいテンプル先生は登場しなかったけど、ジェーンにとって無二の親友、ヘレン・バーンズとの触れ合いは、きちんと描かれます。

原作で、ヘレンはジェーンに言います。

「もし全世界の人が、あなたを憎み、あなたを悪人だと信じたとしても、あなたの良心が、あなたの正しいことを証明し、無罪を言い渡すのだったら、あなたは味方がないわけではないことよ」 (上記新潮文庫より)

ジェーンの、ともすれば強すぎてもしまう性格。
それが「偏狭な頑なさ」へと陥いることを引き止めた、薄倖、薄命のヘレン。
この二人の出会いと別れは、映画の中で、とても印象的です。

三つ目の要因は、テーマを浮き彫りにするための抑制された演出です。

いっとき、運命に引き剥がされるようにして別れ別れになるジェーンとロチェスター氏。
この二人がふたたび巡り合うためには、それぞれの「生き霊」が交感することが必要でした。
荒涼とした山野を風に渡ってお互い同士を求め合う魂。
二人が呼び合うその声が、映画の観客の耳にも、唐突なものとしてではなく聞こえてくるかどうか。
超自然的としかいえない現象を、どれぐらい「自然なもの」として受け止めることができるか。

この一点においてこの映画は成功していたと思います。
たぶん、クライマックスからすべてを逆算し、映画全体のトーン(色彩、音声、演技、風景)を微妙にコントロールした結果ではないでしょうか。

世界中で愛されつづける文芸小説を映画化する。
困難も多かっただろうけれど、大胆な脚本と細やかな演出が相まって、好感の持てる作品世界が創り出されました。

観終わってふと思ったこと。
ジェーンが聞いたような「呼び声」を、平凡に生きる人間は、その一生の中で聞く機会があるのだろうか。
また、その声が「聞こえる」ことは、「普通の人生」にとってしあわせなことなのかどうなのか。
答えは、「聞こえた人」にしか分からないことなのかもしれません。


それでは。

『八月花形歌舞伎 伊達の十役』を初日に観劇

『八月花形歌舞伎 伊達の十役』を、新橋演舞場で観てきました。
市川海老蔵がケレン味もたっぷりにひとりで10人の役を演じ分けます。
善人も悪人も入り混じった10人です。

前半は、スピーディな早変わりの連続。
舞台下手に消えたかと思うと、女形となって花道から登場、などという場面で驚くのはまだ早い。
立ち回りの最中に、同じ舞台上で一瞬のうちに別の役にすり替わったりもします。
目を見開いて観ていたつもりだけど、「いつ?どこで?」とその目を丸くしてしまうことも何度となくありました。

テーブルに3個のカップを伏せて目まぐるしく動かし、どのカップにボールが入っているかを当てるという手品があります。
どれだけカップをにらみつけていても、当てることができないもどかしさ。
そんな不思議な気分を思い出すような、見事な「早替り」でした。

こんなに大勢の人格をいちどきに演じる。
普通に考えると、たちまちアイデンティティを見失ってしまいそうです。
鏡に向かって、「お前は誰だ?」とか言い出してしまうかもしれないし。
でもけっしてそうはならず、「海老蔵」という中心軸は揺るぎません。
鍛え抜いた役者さんのすごいところなんでしょうね。

海老蔵が女形を演じるところも見どころです。
とくに花道を練り進む「高尾太夫」の花魁道中。
その中で、海老蔵演じる高下駄を履いた高尾太夫は、行列から頭ひとつ抜きん出ています。
威風堂々としたその姿を、禿(かむろ)を演じる子役の可愛らしさがいっそう引き立てます。

乳母・政岡を演じる三幕目では、我が子を目の前で殺されるさまを、忿怒を抑えて見守ります。
若君の命をお守りするためには、母子の情さえ棄てねばならない。
そのすさまじいまでの「気迫」が、オーラとなってゆらゆら立ちのぼって見えてくるみたいでした。

三幕目の最後には、仁木弾正となった海老蔵がゆっくりと空中へ飛び去っていく、という極めつけの見せ場もあります。
大見得を切る姿には、その都度、ただただ「格好いい」という言葉しか浮かびません。
なんだか盛りだくさんの内容で、お腹がいっぱいになります。
幕間のお食事は、すこし控え目にしておくとちょうどいいかもしれません。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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