FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『最強のふたり』を観ました。

公開中のフランス映画、 『最強のふたり』 を観てきました。

首から下が麻痺している大富豪(フィリップ)を介護することになる黒人青年(ドリス)。
家族とともにスラム街で暮らす彼には、詩に親しみ、クラシックを好むフィリップとは、なんの接点もないように見えます。
このふたりが触れ合い、ぶつかり合い、与え合い、受け入れ合うようになる・・・・
これは、とてもキュートでかつ類い希な、「友情」の物語です。

「友情」は、あるとき突然、卵からぽんと「形」を持って生まれるものなのか。
ちょっと違うような気がします。
むしろ、渾沌とした不定形の「何か」から、少しずつ時間をかけて生成していくもの・・・ではないのか。
たとえていえば、足踏み式の「ふいご」で熱し、焼きを入れ、ハンマーで何度も叩き、伸ばしてはまた叩くことを繰り返して作り上げる「鋼」みたいなもの。

ふいごで風を入れるのはフィリップで、ハンマーを振り回すのがドリスです。
そして出来上がる、強度も耐熱性も、どこからみても申し分のない「鋼」。
なるほど、だから、この映画のタイトルは『最強のふたり』なんですね。

もっとも、原題の直訳は、「のけ者たち」です。
前科を持つスラム出身のドリスには、フランスという国の「社会的資本」の恩恵に浴することもままなりません。
のみならず、クラシック音楽に代表される、ある種の「文化的資本」からも縁遠いところで生きてきました。
いっぽうのフィリップも、大富豪であるとはいえ、「精神的」には「のけ者」です。
身体の不自由な彼の四囲には、接する人の「善意」を主成分とする分厚いガラスが、常にそびえ立っています。

ところがドリスは、このガラスをこともなくすり抜けてしまう。
この映画が愉快なのは、そういう場面ですね。
感覚のない足に熱湯を落とされても平気な顔をしているフィリップに、ドリスは驚きます。
さらに熱湯を落としてみても表情を変えないフリップ。
ドリスは無邪気にはしゃいで、「すごいすごい」と感心します。

ここは、ちょっと「笑ってもいいのだろうか」とためらわせるような場面です。
「いくらなんでも」とヒンシュクを買っても仕方がないほどです。
でも、ここまですることで、はじめて「分厚いガラス」を突き抜けてしまうことができる。
ドリスの振り回すハンマーがあって、はじめてそれが可能になる。
そのことを痛烈に考えさせられる場面でもありました。

もちろん、「善意」が大切であることは、いうまでもありません。
「善意」があって、はじめて「法律」ができ、「制度」ができる。
そして「予算」が生まれ、「施設」がつくられ、そのための「専門職」が養成される。

でも、そもそも、その「善意」って、いったい何なんだろう。
どんなかたちをして、どんな色で、どんな匂いがするものなのか。
なぜ、純粋な「善意」が、相手との隔てをうむ「ガラス」を生成してしまうのか。
突き詰めて考えてみても、簡単に答えのでることではありません。

ただ、この映画、あまりむずかしいことを考え込ませるようにはつくられていません。
「突き詰めて考える」ような暇(いとま)はなく、「涙」を急かされることもなく、「ユーモア」というハンマーが連打されつづけます。
そして気がつくといつのまにかエンドマークが。

「最強のふたり」が焼き入れ、叩き、鍛え上げた「友情」の心地よさに、映画館を出た後も、しばし浸りつづけることができたのでした。
こういう映画を観たあとは、「甘いもの」がことさら美味しく感じられます。
なぜなんでしょうね。


それでは。


スポンサーサイト

漱石が賞賛した『銀の匙』

前回のつづきを少し。

『銀の匙』 (岩波文庫)は、詩人でもある中勘助が、自らの少年時代を書いた自伝小説です。
病弱でナイーブな少年である「私」の面倒を、母親代わりになってみてくれた「伯母さん」。
彼女とのさまざまな思い出を軸に、感受性溢れる「私」の内面が綴られていきます。



この小説は、夏目漱石によって最大級に評価されました。
文庫本の解説には、こう書かれています。

「漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常な彫琢(ちょうたく)があるにもかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した。」

「子供の世界の描写」とはすこし違うけれど、たとえば次のような文章があります。
たまたま出会った年上の美しい女性に心を惹かれてしまう、16才になった主人公の「私」。
16才にもなれば、そういうことがあっても、とりわけおかしくはないですよね。
その女性の面影が、山の端から上がる月のイメージと重なる場面を描写した文章です。

「ある晩、かなりふけてから私は後の山から月のあがるのを見ながら花壇のなかに立っていた。幾千の虫たちは小さな鈴をふり、潮風は畑をこえて海の香と浪の音をはこぶ。離れの円窓にはまだ火影がさして、そのまえの蓮瓶(はすがめ)には、すぎた夕だちの涼しさを玉にしてる幾枚の葉とほの白くつぼんだ花がみえる。私はあらゆる思いのうちでもっとも深い名のない思いに沈んでひと夜ひと夜に不具になってゆく月を我を忘れて眺めていた。」(203頁)

叙景のなかに、ふるえるような心象が溶け込んでいます。
溶け込んでひとつになっているように思えます。

さて、この場面の直前では、何年ぶりかに再会する「私」と「伯母さん」の様子が描かれています。
小さい子供は、数年会わないと見違えてしまう。
成長した「私」に「伯母さん」もさぞかし驚いたんでしょうね。
繰り返し「私」の「頭から肩まで」撫で回し、涙をほろほろとこぼす「伯母さん」。
すでに眼も耳もかなり不自由になってしまいました。
その不自由な体をおして魚屋へ行き、買ってきた鰈(かれい)を煮て振る舞ってくれたりもします。
夜、並んで床に着いて、ふと気づくと、「伯母さん」は仏壇の前でお経をあげています。
「私」とこの世で再び会えたことの感謝を、阿弥陀様に捧げつづけます。

この小説の中でも、いちばん感動的な場面ですね。
人の心の中で「結晶化」された、素朴な「愛」の姿。
思わず胸が詰まってしまいます。

「私」がこの「伯母さん」を母親代わりとして育てられたことについては、それなりに事情がありました。
この時代、母子関係になんらかの「事情」がある場合、家族共同体がセーフティネットとして健全に機能していたんだなあ、というようなことを考えさせられます。

そういえば、この小説を賞賛した夏目漱石の『坊ちゃん』 では、坊ちゃんをこよなく愛してくれる「清(きよ)」という老女が描かれています。
四国松山から東京に戻った坊ちゃんに、清は大喜び。

「おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提げたまま、清や帰ったよと飛びこんだら、あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽた落とした。」

その清は、まもなく肺炎で死んでしまいます。

「死ぬ前日おれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」

生涯で2500以上の俳句を作ったという漱石らしい、簡潔だけど万感こもる締めくくり方ですね。


それでは。


「横道」にそれて「道草」を食う

前回ご紹介したK先生の授業は、ほんとうに道草の多いものでした。
毎回、どんな脇道に連れて行かれるのか、まったく予想もつきません。
こういう授業では、予習も復習もあったものではないですよね。
まあ、どのみち、「予習・復習」に励んだかどうか、疑わしいかぎりですけど。

さて、ひとつの教材だけを使い、そこから「横道」に逸れることをもって本旨とする授業を長年にわたり実践してこられた国語の先生がいます。
神戸の灘校で教鞭をとられていた橋本武先生です。
教材は、中勘助の『銀の匙』。

『〈銀の匙〉の国語授業』 (岩波ジュニア新書)という本を読むと、そのいきさつや授業の様子が詳しく書かれています。




「そして、横道にそれるというやり方を初めから意識していました。一つの作品ですから、内容が限定されています。その作品の範囲内だけだったらば、生徒の受けとめる知識の範囲が狭いままで終わってしまいます。そこに出てくる言葉を手がかりに、できるだけ横道にそれていけば、知識の幅を広げることができる。『銀の匙』という作品には、そのヒントが山ほどあるんです。そしてそこには生徒自身の興味が広がり、喜びにつながっていくものがあるはずだ、と。」(62頁)

具体的には、まず、小説の一つの「章」ごとに、みんなで「タイトル」を考えていきます。
文章の中には、固有名詞を含め、なじみのない言葉がたくさんあります。
それをすべての書き出して意味を調べていく。
その中で、あるいは動詞や助動詞の活用といった文法事項を徹底して掘り下げます。
またあるいは、十二支や二十四節気、春・秋の七草、といったことがらを調べ上げていきます。

これを中学の三年間、徹底的にやる。
すごいですね~。これはすごい。
でも、とても理にかなったもの、という気もします。

日本人は、捕獲された鯨の、そのすべてを無駄なく自分たちのために利用してきました。
鯨肉は貴重なタンパク源に、ヒゲは工芸品などの材料に。
与えられたもの、あるいは選び取ったものを、「天からの恵み」としてとらえ、一分の隙なく吸収する。
橋本先生の授業は、まさにこういった思想・マインドの、教育現場における実践のように思えます。
「もったいない」の哲学に通じるような方法論です。

さらにすごいのは、授業のすべてに手作りのプリントが使われた、ということ。
いわゆるガリ切りで作られたプリントです。

「やすり板の上に蝋紙を置いて、鉄筆でガリガリと字を切り出す。書くのではなく、切り出す。一字一字に力が入ります。量も半端じゃないから、深夜一時二時になるのはざらでした。若かったからだな、と思います。」(75頁)

ほんとうに、頭が下がります。
文字通り、心血を注いだ授業だったんでしょうね。
当時の灘校生徒たちにとっても、忘れがたい授業の連続だったことと思います。
そして、予習と復習は大変だったろうと推測します。

こういう授業を受けたいか、と問われたら・・・
率直に言って、「一度は受けてみたい」と思いました。
ただ、3年間、継続して「受けてみたい」かどうか。
予習・復習のことを考えると、いささか気が重いですね。

K先生の授業は、橋本先生のような意味で「横道」にそれることはありませんでした。
なにか有用なことを事細かく網羅的、系統的に教わったか、といえば、そういうことも、たぶんありませんでした。
そもそも、手作りのプリントなんてもらったためしがないし。

でも、授業の間中、退屈するということもなく、ある種のここちよさに包まれていたことは確かです。
繭(まゆ)の中で、憂いも忘れてやすらいでいる蚕みたいに。
おかげで、いまだに眠りから目が覚めず、蚕のまま夢でも見ているような気分です。
いつまでも道草ばかり食べている夢です。


それでは。


K先生と『戦艦大和ノ最期』

高校のとき、担任だったK先生。
国語が担当でした。
その授業は、いつでも大きく脱線ばかり。
遠い雲の峰を目指してあぜ道をどこまでも悠々と歩く、そんな楽しさにひきこまれたりまどろんだりしていたことを思い出します。

そのK先生が、めずらしく教科書に沿って授業をされたことがありました。
教材は、 『戦艦大和ノ最期』 (吉田満:著)。



戦艦大和が、無謀な特攻出撃をして撃沈されるまでを、筆者自らの体験に基づき文語体で記述した、戦記文学の傑作です。

教科書に転載されていたのは、この沈没に至る凄絶な部分でした。
K先生に指名され、席を立って読むことに。
それほどつかえずに読めたということは、たぶん文語ではなく、口語訳された文章だったからでしょう。

「・・・で、どう思った?」
読み終わって着席すると、K先生に尋ねられました。
どう思ったか。どう思ったんだろう?
そもそもどう思うべきなんだろう?

即座に頭にひらめいたこと。
それは、断末魔の「大和」と運命を共にすることを選ぶ将官、士官たちの姿でした。

たとえば、「大和」に乗艦していた第二艦隊司令長官、伊藤整一中将については、このように描かれます。

一瞬微笑マレタル如ク思ワレタルモ、ワレカネテヨリカカル光景ノウチニ勇者ノ微笑ヲ夢想シタリシ故ノ、錯覚ニ過ギザルヤモ知レズ
長身ノ身ヲ翻シテ、艦橋直下ノ長官私室ヘ「ラッタル」ヲ歩ミ去ル


また、他の士官たちについても、

見レバ、航海長(中佐、操艦航行ノ責任者)、掌航海長(中尉、ソノ輔佐)向イ合ッテ「ロープ」ヲ手繰リツツアリ

万一浮上セバ、恥辱タルノミナラズ、四肢自由ノママ水中ニ没スレバ、生理的ニ浮上ヲ求メモガクコト必定ニシテ、苦痛ニ堪エザルナリ


艦と共に死のうとする部下たちを諫める上官もいます。

「何ヲスルカ、若イ者ハ泳ゲ」森下参謀長怒声、鉄拳ヲマジエテ凄マジキ権幕ナリ 端ヨリ殴リツケラル

責任ある立場にいる者達が、あえて自ら死を引き受けようとする潔さ。
そのことがいちばん印象的に思え、「感動した」というような意味のことを、もごもご答えたような記憶があります。

K先生は、眼鏡の奥の目をいつものとおり柔和に光らせて、「おお、そうか、そうか」と言われただけでした。
とくにコメントはなく、ただうれしそうに「そうか、そうか」と。

あのとき、あんな感想でよかったのかどうか。
上辺だけ、口先だけの、感想だったのではないか。
要領よくその場しのぎをしただけだったのでは。
何かがのど元につかえたような気分が残りました。

この夏、 『巨大戦艦 大和 ~乗組員たちが見つめた生と死~』というテレビ番組を観ていて、とつぜんこの日のことを思いだしました。
NHKで放映された、3時間の特集番組です。

「大和」による沖縄特攻作戦は、なぜ実行されなければならなかったのか。
3000人を超える乗員のうち、生存者が約300人という戦闘は、実際にどのようなものだったのか。
その生き残った約300人の人たちは、生還後何を苦しみ、いまどのような思いの中で生きているのか。

そういったことが、生存者の方のインタビューと、ドラマ部分の映像とで構成されていきます。
インタビューに応じられているのは、すべて90才前後の方々。
昭和20年に二十歳前後であれば、当然、そのご年齢になりますね。

ある方はこう言います。

「馬鹿な戦争をしたり馬鹿な作戦やったと、今は簡単に言えるけど・・・時代は変わったものだ」

3時間にわたる番組の最後に語られます。
番組全体に、碇のように重みを添える言葉です。

別の方たちはまたこう言います。

「戦艦大和は、いいにつけ悪いにつけ、私の青春だった」

「大和を憎いと思ったり、懐かしいと思ったり・・・戦争は嫌だけど、大和は好きだね。ほれぼれするような船だったなあ、あれは」


いっぽう、上記『戦艦大和ノ最期』で、著者の吉田満氏は、こう記述しています。
吉田氏は、学徒出身の少尉でした。

「オヨソ巨大ナル存在ノ魔力ハ、ソコニ属スル者ノ心魂ヲ奪イ、絶対ノ信頼ト愛着ヲ植エ附ク」

この文語による記述は、インタビューに答えた元乗員の方たちの気持ちを要約し、代弁したものといえるのでしょうか。
そうともいえるし、そうはいえないような気もします。
同心円、ということではない。
ひとりひとりの「大和」があり、ひとりひとりの「青春」があった。
ひとりひとりの「思い」があり、ひとりひとりの「生と死」があった。
そういうことだったのではないでしょうか。

この番組、K先生もご覧になっていただろうか。
ふとそんなことを思いました。
そして、ぼくは「あの日」、どう答えるべきだったのか、もういちどよく考えてみました。

それでも納得のゆくような感想は思い浮かびません。
なんと進歩のないことか、と思うけど、仕方がないです。
でも、K先生は、やっぱり、「おお、そうか、そうか」と言ってくださるんでしょうね。
眼鏡の奥の目をあの日のように柔和に光らせて。

それでは。


一枚の「絵」から生まれた空想

一枚の絵からインスパイアされ、想像力を思い切り羽ばたかせて作られた映画。
そんなにいくつもは存在しないと思います。
存在したとしても、その映画に、絵とは違った魅力が備わっている、ということは稀(まれ)でしょう。

映画 『真珠の耳飾りの少女』 (2002年)を観ました。
これは、驚くほど面白くできている作品です。

映画にいわゆる「ドラマ」を期待してしまうと、あるいはすこし物足りないかもしれません。
ストーリーに、これといった「起承転結」があるわけではないからです。
「起承転結」というよりは、むしろ「起承転転」といった感じでしょうか。

クライマックスとなるのは、「少女」が青いターバンを頭に巻きつけ、大きな真珠を耳から下げて絵のモデルとなるシーンです。

その場面へといたるまで、画面の中にフェルメールの絵画の世界がそこかしこに点景として散りばめられます。
画面からは一瞬たりとも目が離せません。

運河があり、市場がある、デルフトの町の光景。
市場で売られる魚からは、生臭いにおいまでが漂ってきます。
そこに暮らす人たちの息づかいが聞こえてきます。

《ミルクを注ぐ女》そっくりの、生活力溢れる女中さん。
いかにも「こういう人がいたんだろうな」と思わせるようなキャラクターです。

アトリエの様子も丁寧に描かれます。
北側につくられた窓から入るひかりが部屋に差し込み、壁に反射し、床に影をつくります。
アトリエには、「カメラ・オブスクラ」という機械が置かれています。
3次元の対象を2次元へと正確に写し取る。
そのために作られた光学装置です。
この機械を、当時、フェルメールは利用していただろう、そうに違いない、という最近の解釈が取り入れられています。

ところで、『真珠の耳飾りの少女』と呼ばれることになるこの少女は誰なのか。
フェルメールの娘である、という説もあったけど、現在では「特定のモデルはいない」というところに落ち着いているようです。

映画では、この少女が、「フェルメール家に奉公に来た娘」という設定になっています。
素朴で辛抱強くて、一方では負けん気の強いところを見せたりもする少女です。

青いターバンを巻くためにかぶりものを取って、髪を解きほぐすシーン。
髪の毛は、輝くような黄金色です。
この少女がじつは「金髪」だった、というのは、じつに大胆不敵、挑戦的な解釈ですね。

ふとした仕草にはじらいを滲ませるこの少女。
ボーイフレンドとの逢瀬に血肉をたぎらせる奔放さも持ち合わせています。
でも、どこか謎めいたフェルメールの前では、どう自分を取り繕っていいのか、とまどうばかり。

彼とふたり、一心に鉱石をすりつぶして絵の具をつくる場面がいいですね。
妻や姑やパトロンとの軋轢でストレスが溜まる一方のフェルメール。
その彼と、ひとつの作業を共にします。
指が触れ合い、心をほのかに通わせあいます。

少女の耳に、耳飾りをつけてあげようとするフェルメール。
ところが、耳にはイアリングをつけるべき穴がありません。
そこで、フェルメールは「少女」の耳たぶに、針でぷちっと穴を開ける・・・

一瞬、「少女」の瞳に怯えが走ります。
そして苦痛にゆがむ表情。
いっときの苦痛が過ぎ、その表情は、つぎの瞬間には満足げに輝きます。
真珠の耳飾りをつけた、なにごとかを成し遂げた、その嬉しさと誇らしさに輝きます。
瞳が見つめているもの。
それは、いまでは、「少女」の向こう側へと広がる世界です。

映画の中の、ほんとうのクライマックスは、このシーンではないかなと思いました。

それにしても、一枚の絵画から、ここまで思う存分に空想を拡げてしまえるものか、と驚きます。
空想だとわかっていても、わかっているからこそ、映画の楽しさに首までとっぷり漬かってしまったのでした。

ところで、この映画で「少女」を演じた、スカーレット・ヨハンソン。
公開中の映画『アベンジャーズ』では、抜群の身体能力を誇る「ブラック・ウィドウ」、ことナターシャ役を演じています。
アメコミヒーロー集団「アベンジャーズ」の一員として、異星からの侵略者相手に派手に弾けまくっています。
「あの真珠の耳飾りの少女が・・・」などと嘆いたりしてはいけません。
この「不連続性」こそが、「映画」という表現の持つ醍醐味なんだと思います。


それでは。


『真珠の耳飾りの少女』に後ろ髪をひかれた日

「いったい、あなたの望みは何なの、バーニー?」
「死ぬ前に、世界中に散らばっているフェルメールの絵を残らず見ることでしょうか」


サイコホラーの怪作、『ハンニバル』 (トマス・ハリス:新潮文庫)の中にあるセリフです。

バーニーというのは、かのレクター博士が収監されていた病院の看護人だった人物。
もちろん、ただの病院ではありません。
精神異常犯罪者だけを収容するという病院です。

寓意に満ちた絵も多く残し、後世にさまざまな謎を投げかけているフェルメール。
レクター博士の衒学趣味を惹きつけたとしても不思議はありません。
その博士と接しつづけたバーニー。
フェルメール・マニアとなったのも、彼に感化されてしまったからなのでしょう。

さて、バーニーは、現存するフェルメールをすべて観ることはできたのか。
小説にはこんな一文があります。

バーニーがついに見ずに終わった唯一のフェルメールは、ブエノス・アイレスの美術館に展示している作品である。

アルゼンチンにフェルメールの絵画がある、という事実は、いまのところ確認されていません。
でも、じつは「埋もれたフェルメール」がブエノス・アイレスのどこか小さな美術館に人知れず展示されているのかもしれない。
そう想像するだけでも楽しくなります。

ということで、東京都美術館(上野)で開催中の『マウリッツハイス美術館展』 に行って来ました。
お目当ては、もちろん、フェルメールです。

彼の作品は2点。

ひとつは、 《ディアナとニンフたち》
そして、もうひとつが 《真珠の耳飾りの少女》です。

先日、ベルリン国立美術館展で観たのは《真珠の首飾りの少女》。
こちらは、「耳飾り」の少女のほうです。

真珠の耳飾りの少女

↑ この画像は、前々回のブログと同様、『フェルメール光の王国展』で撮影させていただいたもの。
漆黒の中から半身になって振り返る少女の瞳が、もの問いたげなまなざしを向けて見つめてきます。

思えば、今年初めには、『フェルメールからのラブレター展』(Bunkamura ザ・ミュージアム)で、 《手紙を読む青衣の女》、《手紙を書く女》そして《手紙を書く女と召使い》の3作品を観ることもできました。

現存する作品は三十数点といわれるフェルメール。
そのうち6作品を観た、ということになります。
バーニーがいま東京にいたら、欣喜雀躍したでしょうね。

さて、観に出かけた日は、美術館へ入場するまでに20分待ちでした。
さらに展示された《真珠の耳飾りの少女》の前に着くと、ロープで規制されていて、またもや行列の最後尾に並びます。
15分ほどの牛歩を続けたところで、ようやく絵の正面にたどり着きました。
正味、1分、せいぜい2分。
《真珠の耳飾りの少女》と対峙した時間です。

なにかを感じているいとまはなかったけれど、感じたことがあったにしてもうまく言葉にできるとは思えません。
ただ、絵の前を離れるとき、耳がつーんとして、すこし聞こえにくくなってしまっていました。
絵画周辺になにかしらの気圧差でも存在していたのでしょうか。
それより一度、耳鼻科で診てもらうべきかもしれないけど。

絵の前を離れ、展示された部屋を出るときは、なんだか辛いものがありました。
絵のほうを見やると、《真珠の耳飾りの少女》も、こちらを愛おしむように見つめ返してきます。
後ろ髪を引かれるとはこのことか、と思いつつ、身を引きはがすようにして部屋をあとにしたのでした。

東京都美術館での『マウリッツハイス美術館展』は今月17日まで。
あと数日は、あの場所、あの空間に彼女はいます。


それでは。


残暑もそろそろ終盤に

ほんとにほんとに暑かった夏も、出口が見えかかってきましたね。
「残暑」も中盤を過ぎて、いよいよそろそろもうすぐかな、という気がします。

↓ これは、今年の猛暑の「落とし子」といえるのかも。

へちま

「ひょうたん」ではありません。
「西洋アサガオ」です。
これだけ大きくなるまで、どれくらい忙しく光合成に励んだことか。
ぱんぱんにはち切れそうなふくらみの中には、8月の陽光がいっぱい詰まっているんでしょうね。
生命力を燃焼し尽くして、「西洋アサガオ」としての生をまっとうし、思い残すこともないのではないかと思います。

↓ 同じ日に撮った蝉、アブラゼミです。

蝉

自宅の壁のコンクリにじっとしがみついたまま鳴き続けていました。

蝉が身を震わせて鳴くのは、パートナーに見つけてもらうため。
どこかにいるはずの伴侶に向かって、力を振り絞って鳴いています。
「ぼくはここにいる」と必死に訴え続けます。

でも、周囲にほかの蝉の気配はありませんでした。
仲間のみんなはどうしてしまったのか。
あたり一体、静まりかえっています。

それにしても、なぜ「終(つい)の棲家」が「コンクリ」なんでしょうか。
まわりには樹木だってあるのに。
コンクリートの壁には樹液だってありはしないのに。

たぶん、気がついたときにはもう、辺りに誰もいなかったんでしょうね。
公園の樹木にも街路樹にも。
心細さに堪えきれず仲間の影を求めて飛び回り、やっとわが家の壁にたどりついた。
そういうことではないかと思います。
取り残されてしまったことにあせりを感じながら、まだあきらめがつかない。
そんなようにも見えてきます。

いずれにしろ、この蝉の「夏」も終わろうとしています。
成就することのなかった思いを残しながら、いま、いのちをまっとうしようとしている・・・

「思い」を残さず夏を謳歌した「西洋アサガオ」と、「思い」を残したままの「蝉」と。
どちらもいっぱいいっぱいのところまでがんばって生きていて、えらいですね。



それでは。


フェルメール『真珠の首飾りの少女』を観ました。

国立西洋美術館(上野)で開催中の『ベルリン国立美術館展』を観てきました。
朝一番、9時半の開場と同時に真っしぐらに向かったのは、この絵です。


真珠の首飾りの少女

フェルメールの『真珠の首飾りの少女』ですね。
もっともこの画像は、美術館で撮ったものではありません。
そんなことをしたら叱られただけではすまないかも。

じつは、フェルメール・センター銀座で開催されていた『フェルメール光の王国展』で撮った画像です。

会場では、現存するすべてのフェルメール作品が原寸大で展示されていました。
制作年代順に並べられた作品群は、模写ではなく、「リ・クリエイト」という最新のデジタル技術によるもの。
フェルメールの業績を一望のもとにした気分が味わえます。
「撮影自由」という太っ腹なところもうれしい展示でした。

そこで、『真珠の首飾りの少女』です。
この「リ・クリエイト」された作品と比べると(そもそも比べてはいけないものだとは知りながら)、フェルメールはなぜ「フェルメール」なのか、ということがなんとなくわかるような気がします。

窓から差し込む光が部屋の中に満ち溢れています。
背後の壁に溶け込んだ光がふわりと浮き上がってきて、首飾りを手にする少女を包みこみます。
その光は、平面であるはずの画布から飛び出し、300年の時間と空間を飛び越えます。
画布自体が「窓」となり、一瞬、フェルメールの生きた「時代」と直結したような目眩に襲われます。
ほぼ同時代の画家であるレンブラントの描く「光」とはぜんぜん違う。
そのことをつくづく実感しました。

それにしてもこの少女、かわいいですね。
いったい何を考えているのか。
たぶん、何も考えていないと思います。
光を浴びて光に包まれ、光と一体となったときの束の間の恍惚。
つぎの瞬間にはまた「われに返る」、その寸前の表情。
そんなようにも思えます。

なんだかなつかしい記憶が揺り動かされてしまいました。
中学生のときの理科実験室。
クラスメートの少女がこんなふうに見えた瞬間があったような・・・

誰でもが心のどこかに持っていそうな体験ですね。
今はもう眠りについてしまったはずの思い出。
それに光を当ててあたためて、やさしく静かに目覚めさせてくれる。

フェルメールが大人気なのは、こんなところにも理由があるのかな、と思いました。



それでは。


プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

カレンダー
08 | 2012/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。