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映画『レ・ミゼラブル』

映画を観て「泣いてしまいました」なんて白状することは、なんだか恥ずかしい気がします。
だから、できればそんなことを書きたくありません。
よっぽどの場合だけです。
その「よっぽど」の映画を観ました。
現在公開中の、トム・フーパー監督『レ・ミゼラブル』 です。

セリフも、昂揚する感情も、すべて歌で綴られていくミュージカルです。
冒頭から異様な迫力で一気にひきこまれます。
歌い上げられる絶望や悲しみ。
その熱唱の数々が、削岩機のように響いて胸を穿ち続けます。
心や体にこびりついた何かがぼろぼろと剥がれ落ちていく。
そんな気がしてきます。

映画終盤を迎える頃には、もう心はすっかり無防備状態。
水位はとっくに限界を超えています。
そして迎えるラスト30分。
なすすべがありませんでした。
タオル地のハンカチを持っていってよかったです。

なぜそこまで心を揺さぶられてしまったのか。
繰り広げられるドラマに、その登場人物たちに、完全に魅せられてしまったことはもちろんです。
同時に、目の前の映像とは別のものが絶えず見えてしまっていた。
両方が共振することで、一気に堤防が決壊してしまったような気がします。

みじめな人たち(レ・ミゼラブル)がたくさん描かれます。
迫害され虐げられるみじめな人たち。
多くは、ただ死んでいってしまう人たち。
でも、救われる人もいます。
死ぬときになって救われる人もいます。

「救う」というのはどういうことなのか。
神ならぬ人間が人間を「救う」。
そんなことができるのか。
できると思うのはただの傲慢ではないのか。

仕事をしていると、経済的、健康的な面で「ミゼラブル」としかいいようのない状況を生きている方と接することがあります。
とくに、成年後見の仕事ではそういう現実に直面せざるをえなくなります。
そして気持ちが迷ってしまう。
迷っているうちに、自分が何を考え、どう動くべきなのか、見えなくなってしまう。
映画の中で、ジャン・バルジャンが歌います。
「フー・アム・アイ?」
自分はいったい何者なんだ?
そういう気分を抱えていたいま、この映画を観ることができました。

即効的な「解答」を得られたというわけではありません。
でも、普通の人間にだってできることがある。
普通の人間だからできること。
そういう「希望」を持ってもかまわないのだ、という「勇気」。
持てるかどうかわからないけど、持とうとしなければ持つことができない「勇気」。

うまく言葉で表現することはできません。
でも、体の中をはげしく撹拌されてしまう映画です。
できれば公開中にもう一度、観にいきたいなと思いました。


それでは。


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『ツタンカーメン展』の棺と、冷蔵庫の「納豆」パック

『ツタンカーメン展』 (上野の森美術館)を観てきました。

開場時間は朝の9時。
土曜日の朝8時半に行ってみると、すでに長蛇の列が上野の森でとぐろを巻いています。
それでも、開場を早めてくれたせいか、9時過ぎには入場できました。
混雑緩和のためか、数十人ずつのブロックに分けて、順次入場させてくれます。

それでも中の混雑は相当なもの。
最初のガラスケースの前にたどりつくだけで、すでに青息吐息です。
この先、どうなることか・・・
と思ったけど、次第に混雑にも体が慣れてきます。
「流れ」に乗り、「隙(すき)」を見つけて体を潜り込ませ、さほどのストレスもなく、全体を観て回ることができました。

展示されていたのは、ツタンカーメンの王墓から見つかった副葬品の数々。
とくに強い印象を残すのが、いちばんの目玉ともいうべき『チュウヤの人型棺』。
つまり、「人のかたちをしたひつぎ」です。

「チュウヤ」という人は、少年王ツタンカーメンの曾祖母なのだとのこと。
なんで「曾祖母」とわかるかといえば、最新のDNA研究の成果です。
科学というのはすごいもので、このDNA研究やCTスキャンを駆使することで、ツタンカーメンが、「足の先に血液が流れにくい病気だったこと」や、足の骨折が死の原因であった可能性までも突き止めています。

それはともかく。
少年王ツタンカーメンではなく曾祖母のものとはいえ、すごい棺でした。
眼を貫いてくるような黄金の発色。
なんといっても、「今から3300年前のもの」です。
その事実を絶えず意識しつづけなければ、いまどこにいて何を観ているのか、見失ってしまいそう。

木彫りの棺の全面に貼られた金箔。
棺の表面にはびっしりと文字が書かれ、神々の姿で覆われています。
長い年月、護符の役割を果たし続けてきた装飾です。

ガラスケースの周りを巡って観ていると、棺そのものがまさに「乗り物」に見えてきます。
時間の流れに浮かび、どこへともなく漂い続ける乗り物。
思わず「乗ってみたいか」と自問しました。
答えに困ってしまいました。

その他にも、さまざまな副葬品が展示されています。
儀式用水差し、「シャブティ」と呼ばれる、ミイラ形をした小型の彫像、スカラベをあしらった胸飾り、「♀」という字に似た祭具……

印象に残る色彩は、やっぱり、まず褪せることがあるとは思えない輝きを放つ黄金色。
そしてもうひとつは「青」です。

「マリンブルー」のような深みのある「青」ではありません。
「縹(はなだ)色」と呼ばれる、明るい薄青色よりも、さらに明るい「青」。
たとえていえば、雪がひと晩中降った翌日に、透明に澄んで冴えわたった空に広がる「青」です。

3300年、つまり33世紀にも渡って、どうしてこんなにすがすがしい色をとどめておくことができるのか。
古代エジプトの辞書には「諸行無常」という言葉はなかったのか。
たぶん、なかったんでしょうね。
永遠なる太陽神の国です。
「無常」なんて、お呼びであるはずがありません。

すこし前に自宅の冷蔵庫を開けたときのことを思い出しました。
片隅に押し込まれ、ひとつだけ残っていた納豆のパック。
食べてしまおうと思って発泡スチロールのふたを開くと……
ちょっとグロテスクなので細かい描写は省略。

ともかく、黒ずんで凝固していました。
買ったのはたしか三週間ほど前。
忘れていたといっても、たかだか三週間です。
それに、もともと大豆を発酵させてつくったもの。
これ以上に腐ることなどないと思っていました。
なのにたかだか「三週間」という時間で、劇的に変化してしまいました。

「冷蔵庫」は、納豆にとって、考えうるもっとも快適な安置場所でしょう。
でもそれは、時間の流れを快適に漂う「乗り物」ではありえなかった。
つくづくと「諸行無常」を感じさせられます。


それでは。



冬といえばやっぱり大根

半分に割った大根です。

ダイコン

「美しい」というにはほど遠くて、大変申し訳ないです。
ただ、なんとなくこの色と形が気に入りました。
あらためて眺めると、そこはかとなく中まで透けて見えます。
大根を食べるということは、大根の「透明」を食べる、ということなんですね。

もともとは白い大根が、煮ることでなぜ「透明」になるのか。
これは、大根の表面がでこぼこしていることと、内部の細胞と細胞、そのすき間に空気が入っているということに理由があります。
つまり、これによって光が大根の表面で「乱反射」をするからなのだそうです。

「乱反射」することで光をはね返す。
よってその物体は白く見える。
霧が白く見えるのもこの原理と言われても、わかったようなわからないような感じです。
ただ、「もの」は白いから白く見えるのではなく、白く見えるから「白い」のだ、ということはわかりました。

さて、それでは、この大根を「煮る」とどうなるか。
とうぜん、中に水が入ってきます。
水は空気を押しのけて、細胞と細胞のあいだを埋めていく。
これによって光の反射が抑えられ、透明に見えてくる……

なるほど、なんとなく納得してしまいます。
科学的な説明というのはすごいものだと思います。
科学で説明のつかない現象など、いったい、この世の中に存在するのでしょうか。

「徒然草」にも、大根にまつわる不思議なお話が書かれています(第68段)。

大根のことを「万能薬」だと信じて、毎日焼いて食べ続けていた役人がいました。
ところがあるとき、敵に襲われ、館(やかた)を包囲されてしまいます。
絶体絶命のピンチです。
とそのとき、館の中から二人の兵士があらわれ、敵をばったばったとなぎ倒してしまう。
ランボーとターミネーターが、ショットガンと投擲弾の重装備でいきなり出現したような感じですね。

危地を脱してほっとする役人。
でも、この二人には、まったく見覚えがありません。
不思議に思い、「きみたちはいったい?」と尋ねます。
すると、二人が答えて言うには・・・

「あなたが長年、万能薬であると信じ続けて召し上がっている大根でございます」
(「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」)

なんとも頼みになる大根たちです。
まさに、忠勇無双の大根戦士、ですね。

このお話、現時点では科学的に説明されてはいないようです。
大根細胞に突然変異があったのでしょうか。
太陽黒点の異常が光の「乱反射」に影響を与えたのかもしれません。
いまのところ、すべては不明です。


それでは。



抽き出しの中の腕時計

机の抽き出しを開けると、腕時計が3つ、並んでいます。
どの針も止まったまま、それぞれの時間の中で眠っています。

6年前から、腕時計を使わなくなりました。
それまでの間、一日はいつも、朝、腕時計を装着することからはじまりました。
仕事を終えて帰宅すれば、まずまっさきに手首からはずす、汗ばんだベルト。
腕時計は、共に仕事に携わる「戦友」のようでもあり、長針と短針が刻む時間に拘束する「手錠」のようなものでもありました。

でも、いつのまにか、携帯が懐中時計がわりに。
以来、いろいろなことが変わりました。

まず、ワイシャツが長持ちするようになりました。
腕時計のリューズに擦れて、袖口がほつれてしまうことがなくなったから。
また、体内時計の精度があがり、現在時間をほぼ正確に把握できるようになりました。
とくにランチどきは、数分の誤差で認識できます。

いっぽう、抽出の中の腕時計たちは、なにひとつ変わりません。
「止まった時間」を抱いたまま、変わることさえ忘れてしまったみたいです。

3つとも、それぞれに思い出の残る腕時計たち。
購入した日のことをありありと覚えているものがあります。
なにかの祝いに贈られた腕時計もあります。
父の形見に譲り受けたものも。

歌人の栗木京子さんの、こんな歌を思いだします。

 亡き祖母の時計はめれば秒針は雪野をあゆむごとく動けり

いまはもう、役割を終え、すべての機能を止めて、ただ横たわっているだけの腕時計。
激戦を終えて永遠(とわ)にやすらいでいる無名戦士たちのようにも見えます。

たぶん、いまさら眠りを覚ましてはいけないんでしょうね。
開けた抽き出しは静かにまた閉めるしかありません。
抽き出しの奥で、蓋をされた記憶が砂に埋まりつづけていきます。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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