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「乙巳(いっし)の変」の現場を行く

前回のつづきです。

今回の奈良行きでは、テーマにしていたことがありました。
それは、「蘇我入鹿暗殺現場を踏むこと」です。

知られているように、蘇我入鹿は、中大兄皇子らによって暗殺されました。
西暦645年のことです。
大化改新の発端ともなる、このクーデター。
乙巳(いっし)の変ともいわれています。

石舞台を後にして、10分ほどで、その現場にたどりつきました。
「飛鳥板蓋宮跡」です。

飛鳥板蓋宮跡

入鹿の一瞬の隙をついた、電光石火の実行行為。
クーデターの首謀者みずからが手を下して、時の最高権力者をうち倒す。
しかも一気に政権交代まで成し遂げる、という点で、世界の歴史を眺め回しても希有な事件ではないかと思います。
血気盛んな中大兄皇子と、中臣鎌足という名参謀とが気息を合わせたからこそ可能だったんでしょう。

この種のクーデターの成功がいかに難しいかは、たとえばヒトラー暗殺未遂事件を描いた映画『ワルキューレ』を観るとよくわかります。
慎重に周到に準備を重ねたにも関わらず、けっきょくは失敗に終わってしまう。
おそらく、この事件の首謀者シュタウフェンベルグ大佐には「中臣鎌足」がいなかったことが最大の敗因だったのかもしれません。

それにしても、かつて凄惨な事件現場だったとは思えない静けさです。
観光客の姿もなし。
でも、たしかにその日そのとき、入鹿は惨殺されました。
切り落とされたその首は空高く舞い上がり、飛んでいったと伝えられています。

落ちたとされるのが、この場所、「入鹿の首塚」です。

入鹿首塚

飛鳥板蓋宮跡からは600メートル以上の距離。
すこし離れすぎていますね。
実際にはどういうことがあったのか。
誰がなぜ、どのように遺体を動かしたのか。
入鹿のDNAなどがもし遺跡から発見されることがあれば、新たな展開があるかもしれません。
いずれにしても、明日香周辺ののどかな光景からは想像しにくい、血なまぐさい出来事です。

これは、近くの場所でみかけたトンボです。

蜻蛉

捕まえられているチョウチョは、クロヒカゲのようにもジャノメチョウのようにも見えます。
何をしているのかと思ったら、頑丈そうなトンボの顎が上下に動いて・・・
少しでも隙(すき)を見せれば、すぐに強い者の餌食になる。
いっとき「勝者」となっても、さらに強い者がまた現れる。
昆虫が昆虫として生き抜いていくというのも、大変なことなんでしょうね。

首塚からすこし離れた場所に、小高い起伏があります。
標高148メートルの甘樫丘(あまかしのおか)です。
ここには、入鹿の父である蘇我蝦夷がこもる館がありました。
老いたとはいえ、蘇我氏系の豪族をまとめるだけの求心力ある蘇我蝦夷。

小説家の清水義範に、もしこのクーデター当時、テレビがあり、NHKニュースやワイドショーがあったら、という仮定で書かれた、面白い短編があります( 『偽史日本伝』 、集英社文庫)。

事件勃発を知って、軍事アナリストまで引っ張り出すワイドショー。
そこではこんなやりとりが交わされます。

「もし戦になった場合、どちらが勝ちますかね」
アホなテレビ人は戦争が始まるといきなりそれを質問する。アナリストは平気で答える。
「おそらく、蘇我氏側が勝つでしょうね。というのは、そもそも甘橿岡の館というのは、入鹿がこのような、非常事態を想定して建てたものですから。岡の上にあって、まわりを城柵で固めていますよ。つまり要塞なんですね。そして常に東国出身の兵士に警護させているわけですから。(略)このあたりの軍人に、皇族・氏族の兵が勝てるとは思えないわけです」


いかにももっともらしい分析ですね。
いずれにしても、クーデター直後、まだ日和見を決め込む豪族も多く、予断を許さない情勢にありました。
甘樫丘というこのなだらかな丘陵が、日本の歴史の中で、ただ一度スポットを浴びた瞬間です。
結果としては、翌日になって蝦夷はあっけなく自害してしまいます。
意外とあきらめのいい蝦夷だったのでした。

さて、甘樫丘の麓にある売店近くに自転車を置き、頂上を目指しました。
歩いて約10分。
とてもゆるやかな傾斜です。
この地形では、蝦夷勢が中大兄皇子の軍勢を防ぎきるのは、やっぱり難しかったのでは。
軍事の素人ながら、そんな気がしました。

そして頂上に着きます。
目の前に大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)の展望が開けてきます。

いちばん左に見えるのが畝傍山。(↓)

畝傍山

そのすこし右側には耳成山があります。(↓)

耳成山

視線をさらに右に転じると、そこに見えるのが天香具山。(↓)

天香具山

万葉集には、この山々を詠んだ歌が残されています。

香具山は畝傍ををしと 耳梨と相争ひき 神代よりかくにあるらし
古(いにしへ)も然(しか)にあれこそ うつせみも妻を争ふらしき


この歌によると、神代の時代、これらの山々は、三角関係にあったらしいことがわかります。
畝傍山をこよなく愛していた天香具山。
言われてみれば、小さくこんもりとした畝傍山は、どことなく愛らしく見えます。
その畝傍山と耳成山がいい仲となってしまう。
あきらめきれないのが天香具山。
このまま畝傍山を取られてしまうことが「惜しい」と思い詰めます。
そして耳成山と、泥沼の争いをはじめてしまう。

歌の作者とされるのは、クーデターの首謀者であり、大化改新の推進者でもあった、中大兄皇子。
「昔から妻を取り合う争いがあった。いまもまた同じだ」と歌うこの歌、額田王をめぐる、弟・大海人皇子との三角関係が背後にあるようにも思われて、興味深いですね。

天香具山は、いまは畝傍山と距離を置いています。
間には耳成山が、割り込むようにして、その起伏を見せています。
いきさつはいろいろあったにせよ、今は落ち着きを取り戻しているように見える三山の関係。

でもどうなんでしょうね。
人みな寝静まった夜更け、天香具山が耳成山をひそかに迂回して・・・
などということも、神代の時代ならばあったのかもしれません。


さて、「猿石」からはじまった明日香路の旅も、この「甘樫丘」が終着点です。
出発から約6時間半。
またもし訪れることができたら、こんどは大和三山をぜひ登ってみたいなと思いました。

それでは。


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明日香路をサイクリング

夜11時の新宿西口ヨドバシカメラ前。
眠い目をこすりつつ、高速バス乗り場の待合室に座っていました。
旅の目的地は、奈良・明日香路です。

バスに乗り込むと、窓はすべてカーテンで覆われ、外はまったく見えません。
あっという間にぐっすりと寝付いてしまいました。
寝付きがいいのは、自慢できる、数少ないことのひとつです。
目が覚めると、バスはもう奈良県内に。
かつて、トンネルを抜けると雪国だったと書いた川端康成。
彼だったら、「夜の底が奈良になっていた」と驚いたかもしれません。

近鉄奈良駅に到着したのが、朝の6時半。
早朝の奈良駅周辺は森閑として、行き交う人影もほとんどありません。
野良猫もいないし、奈良公園を根城とする鹿も見あたらない。
『バイオハザード』の一シーンみたいです。

凝りに凝った首と肩をほぐしてから近鉄線に乗って、橿原神宮前に移動しました。
9時営業開始の駅前レンタサイクル店で自転車を借り、さっそく明日香めぐりに出発です。

この地をサイクリングで回るのは、学生時代以来のこと。
5月の若葉風が肌に心地よい朝です。

最初にたどり着いたのは、欽明天皇陵近くに置かれた、「猿石」でした。

猿石

猿といえば猿のようにも見え、人といえば人のようにも見えます。
伎楽(ぎがく)の面を表現したもの、とも言われていたと思うけど、ほんとうのところはどうなんでしょう。
居合わせた土地の「古老」と言葉を交わしました。
いわく、「このあたりを掘り返せば、こんな石はごろごろ出てくる」のだそうです。
実際に明日香のこの地に立ってお聞きすれば、説得力豊かに感じる言葉ではありました。

10分ほど自転車を漕ぐと、ソフトクリームの旗を立てたお店が見えてきます。
近くで取れたいろんな野菜も商っています。
そのお店の真横に、「亀石」がうずくまっていました。

亀石

愛嬌たっぷり、思わず和(なご)んでしまう表情をしていますね。
いつごろ誰が、なんのために、ということのよく分からない、謎多き石造物。
でも、この亀石が大地を抱き留めているかぎり、明日の「日の出」を信じてもいいような気がしてきます。

お昼前には、「石舞台」に到着です。
低い丘陵にあるこの古墳、被葬者は、蘇我馬子とも言われています。

石舞台1

そう言われてみると、古墳のかたち全体から、どことなく「馬」という文字が浮かんで見えてこないでしょうか。
(↓)
「見える」と思えばなんでも見えてくるものです。

石舞台2

この古墳は、中に入ることができます。
(↓)

石舞台4

入ってみると、こんな感じでした。
(↓)

石舞台3

内部の花崗岩の表面に、てのひらを当ててみました。
てのひらを当てることで時空間を一気に跳び越えて、飛鳥時代へと移動する・・・・
なかなかそういうわけにもいきませんでした。
ひと眠りしているあいだに新宿西口から近鉄奈良駅まで移動するのとは話が違います。

積み重ねられた岩の隙間から、正午に近い光が箭(や)となって中に射し込んできます。
蘇我馬子の時代から、絶えることなく射し込みつづけてきた光です。
馬子が没してから、約1400年。
1年365日として計算すれば、約51100回、こうやって、光が入りつづけてきました。

日の出と日の入りを繰り返し、人はつぎつぎと入れ替わります。
でも、こういった石造物たちは雨ざらしのまま、いまにいたるまで残ってきました。
きっと、このあと1400年経っても残り続けているんでしょうね。
いま地上に生きている命が、すべていなくなったそのあとも。

茨木のりこさんの詩に、こういう一節があります。

 ・・・・
 かつて幕末に生きし者 誰一人として現存せず
 たったいま産声をあげたる者も
 八十年ののちには引潮のごとくに連れ去られむ
 さればこそ
 今を生きて脈うつ者
 不意にいとおし (以下略)
 

いにしえの昔、遙か古代に夢をはせるということ。
それは、今を生きるすべての命を愛おしむことにも繋がるものなんだなと思います。

そういえば、茨木のりこさんも明日香路をレンタサイクルで回ったことがあるみたいです。
「高松塚」と題された詩に、こんな一節をみつけました。

 ・・・・ 
 千年くらいは ひとねむり
 うつらうつらの 夢また夢
 1980年の青春はレンタサイクル乗りまわし
 はつなつの風に 髪なびかせて行く



いまサイクリングするのなら、日射しがきついから、髪はなびかせず、帽子をかぶったほうがいいでしょうね。
紫外線を避けるためには日焼け止めも要るし・・・
どうも、古代の人たちに感応しようと思うにしては、「雑念」が多すぎるという気もするのでした。


それでは。


  

歌舞伎座五月興行のこと

新しい歌舞伎座に行ってきました。
柿葺落(こけらおとし)の五月興行です。

13-05-11_001.jpg

あいにくの雨降りだったけど、開場前から辺り一帯、熱気が充満しています。
地下のおみやげ物売り場も人でいっぱいでした。
ちなみに、そこで買った幕の内弁当です。

13-05-11_007.jpg

画像で見る印象よりもずっと美味しかったです(^_^)
幕間が30分と短めなので、ゆっくり食べている時間がなかったのが残念ではありました。

さて、最初の演目は、『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』です。
主役の「梶原景時」を演じるのは、中村吉右衛門。
物語の終盤まで、動きも少なく寡黙な役柄なのに、舞台中央にどっしりと構え、存在感を放ちます。

最後に用意された、「名刀で石をまっぷたつにしてしまう」という見せ場。
どうして石なんかをわざわざ切ってみせるのか。
それについては、いろいろないきさつが絡み合っています。
ひとことで言えば「諸般の事情」ということ。
ともかく、ものの見事に手水場の石を一刀両断。
終始、楽しげに演じる吉右衛門が印象的でした。

もうひとつの演目は、『京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)』。
「娘道成寺」といえば、安珍というお坊さんが、ストーカーと化した清姫に、最後は鐘ごと焼き殺されてしまう、というお話。
今回は、その変形バージョン、という感じでしょうか。

娘二人がどういう舞いを見せるのかなと思っていると、最初に登場する白拍子が菊之助。
そのあでやかな衣装に、場内からはため息がもれます。
そのまま花道にからだを寄せると、花道上の「すっぽん」から、もうひとりの白拍子(玉三郎)がせり上がってきます。

「すっぽん」というのは、舞台下の「奈落」から役者が登場してくるための、迫(せり)のこと。
ここから出てくるのは、幽霊や化身など、人間外のもの、という約束事があります。
そのせいか、玉三郎が現れて菊之助の白拍子と二人並んだ瞬間、なんだかぞくりとするものを感じてしまいました。

これは、ドッペルゲンガー(分身)ではないだろうか。
ふとそんな想いがよぎります。
奇怪な分身にまとわりつかれることで、自分が自分であることを確認できなくなるドッペルゲンガーという現象。
その自己分裂の幻想性を描く物語は、19世紀、浪漫主義の時代以降、たくさん書かれています。
ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』もそのひとつですね。

ドリアンが放蕩を重ねる。
すると、彼の肖像も醜く変わっていく。
ついには短剣で肖像画を引き裂き、同時に自分も胸から血を流して死んでゆく。

二人並んだ玉三郎と菊之助からも、一瞬、そんな妖しい雰囲気が漂います。
聖性と蛇性が交錯して奏でる妖しい旋律。
でも、不吉さを背後に封じ込めながら、舞台上の二人の白拍子は、あくまでも美しく舞い続けます。
目の前で繰り広げられるのは、おどろおどろしいものとは正反対の、あくまでも艶なる世界なのでした。

そして鐘の上に姿を現す二人の白拍子。
この二人が、じつはあの清姫の亡霊だったことがわかります。
いまや蛇性を顕わにした彼女たちが、鐘の上から手招きをしているようにも見えてしまい、最後にまたまたぞくりとしてしまったのでした。


それでは。


封印された「もし」の話(『野菊の墓』と『林檎の樹』)

前回のつづきを少し。
伊藤左千夫という歌人は、錦糸町駅前に歌碑があるせいなのか、何かと身近に感じられる存在です。
いまに残る彼の写真を見てみました。
なんだか頑固そうで近寄りがたい雰囲気がいっぱい。
横町にいるカミナリ親爺、という感じも漂います。

でも、数々の短歌の他に、彼はまた『野菊の墓』という小説も残しました。
主人公は、旧弊な因襲にも封建的な「世間体」にもイノセントな15才の少年、政夫。
そして自分は「野菊の生まれ変わり」だと信じる、17才の民子です。

この二人に、印象的なやりとりがあります。
「民さんは野菊のような人だ」という政夫。
その政夫と民子が語らう場面です。

 「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
 「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
 「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
 「僕大好きさ」


これはまさに三段論法ですね。

大前提・・・民さんは野菊のような人である。
小前提・・・ぼくは野菊が大好きである。
結 論・・・ゆえにぼくは民さんが大好きである。

これまで文学作品では、数え切れないほどの初恋が「告白」されてきました。
中でもこの場面は出色ではないかと思います。
これほどまでに回りくどくなければ言葉にできない恋心。
かつてこういう時代が確かにあり、こういうかたちでの「ひたむきさ」というものが、確かにあったんでしょうね。

この『野菊の墓』とよく似たシチュエーションの小説があります。
ゴールズワージー原作の短編小説『林檎の樹』です。
休暇旅行の途中に都会を離れた田園でひとりの少女に出逢う、そんなボーイ・ミーツ・ガールの物語。



将来有望な青年アシャーストと、秘めた情熱を瞳に宿す農家の娘ミーガンは、出会うや否や、どちらからともなく惹かれ合います。
階級の違いなんて「関係ない」とばかりに恋を成就させようとする二人。
でもその行く手には、運命の女神の無慈悲ないたづらが待ち受けて……。

民子が「野菊のようだ」と讃えられるのに対し、ミーガンは、野に咲く花(丘一面の野生ヒヤシンスや小川の淵に咲くキンポウゲ)に例えられます。
また、どちらの物語でも、、素朴な農村の日常、そして目にやさしい田園風景の中で、初恋の最初のため息が生まれます。

ただ、この二つの物語には、大きな相違もあります。
アシャーストが政夫と異なり、もう一人前の青年だということ。
鼻持ちならない"階級意識"はすでに体の内奥に抜きがたく巣くってしまっています。
その「意識」がもたらしたミーガンへの手ひどい「裏切り」。
政夫に生涯つきまとうのが逆らえない因襲に対する「無力感」だとすれば、アシャーストの場合、それは「原罪意識」のようなものだと言えそうです。

彼ら二人に共通するのは、過ぎ去った過去への愛惜であり、「後悔」です。
「後悔」は、時とともに一杯の「美酒」にかたちを変えていくこともあります。
そして心にいつまでも残り続けていく。
ただしそれは、うっかり盃をあおれば、喉も臓器も焼き尽くす琥珀色の甘美な液体です。
だから、永遠に飲み干すことは許されない。
政夫もアシャーストも、たとえその後の人生が平穏であったとしても、心の平安とは無縁です。

ところで、『野菊の墓』は何度も映画になりました。
中でもぼくのお気に入りは、1981年に澤井信一郎監督による映画化です。
民子を演じるのは、当時19才だった松田聖子。



民子は、そもそもどんな女性なのか。
原作ではこんなふうに描かれます。

真(まこと)に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐(かれん)で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢(あか)ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。

「品格」という言葉をゆるやかに受け止めさえすれば、スクリーンの中の松田聖子は、不思議なほどこのイメージを体現していることに驚きます。
野菊から漂う「土」の匂いが感じられます。

いっぽう、『林檎の樹』は、 『サマーストーリー』というタイトルで、1988年に映画化されました。



これも大好きな映画です。
珠玉の名品、と言いたいぐらいにすばらしい、心に残る映画ですね。

ラストシーンでアシャースト(映画ではアシュトン)が手にするのは、野菊ならぬ、野生ヒヤシンス。
その花言葉は「初恋のひたむきさ」です。
思えば、運命に弄ばれてしまう民子もミーガンも、ほんの束の間、「ひたむき」に生きることができました。
「初恋」に打算も計算もありません。いつだって「ひたむき」そのものです。

もし誰もがこのひたむきさに値する祝福を得ることができるのなら。
もしそれにふさわしい歓びに包まれることができるのなら。
・・・・「もし」はいくら重ねても「もし」のままです。

伊藤左千夫は、その生涯に、こんな歌を遺しています。

 許されぬ人に恋ひつつ白玉の清き思ひもこもりはつべし

封印された「もし」は、たぶんもう解(ほど)いてはいけないし、解くこともできない。
解くことができないまま果てるしかない。
それはきっと、仕方がないことなんでしょうね。


それでは。



亀戸天神に藤とアオサギ

朝からの雨がやんだあと、近くの亀戸天神に行ってみました。
しっとりとした紫が広がる中、片隅の黄藤が目を惹きます。

黄藤

雨あがりの少し冷たい空気の中、露に濡れて垂れ下がる藤は、心なしか、寂しげなようにも見えます。

藤

そんなことにはおかまいなく、池が根城の亀たちは、ファミリーで束の間の甲羅干し。

亀

池には、つがいのアオサギが羽を休めています。

アオサギ

間近に見るアオサギが大きいことにびっくり。
水面をみつめる立ち姿は、なにやら物思いにふける老僧みたいです。

歌人の伊藤左千夫が、亀戸天神の藤の花を見て詠んだ歌があります。

 池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる

この日、もう雨はあがっていたけれど、やっぱり池水は濁っていて、藤の花房の影は見えませんでした。

亀戸天神

伊藤左千夫という人は、20代で独立し、牛乳採取業を営んでいます。
場所は本所界隈。
その縁もあって、亀戸天神から徒歩15分、錦糸町駅前には、彼の歌碑があります。

伊藤左千夫歌碑

 よき日には庭にゆさぶり 雨の日は家とよもして児等が遊ぶも

家庭人としての左千夫の横顔がうかがわれる歌ですね。
実際は、頑固で偏屈な一面もあったとのこと。
でも、きっと雨があがったあと、子供を連れて亀戸天神に行って、帰りに「船橋屋」でくず餅を食べたりするひととき、というものもあったんだろうなあと思います。
100年、昔のお話です。


それでは。


プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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