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床屋さんかヘアサロンか。

きのう、床屋さんに行ってきました。
とてもさっぱりすっきりしました。

・・・なんだか、小学生の絵日記みたいな書き出しですね。
長い髪の毛と、頭よりもずっと大きいハサミの絵を添えれば出来上がり。

だけど、あいにく、ぼくはもう子どもではありません。
さまざまなことにあるいは迷い、あるいは悩みを抱く、れっきとした大人です。
納税だってしています。

じつはこの文章の書き出しの一行にも、かなり迷いました。
はたして「床屋さん」でいいのか。
行きつけのお店は、HPでは、「メンズヘアサロン」と謳われています。
たしかに、10脚の椅子が並び、スタッフがきびきびとコンビネーションよく動き回る店内には、横文字の雰囲気があふれ、カタカナが氾濫しています。
「床屋さん」も「理容店」も「理髪店」も、ましてや「散髪屋さん」も、どれもしっくりとはきません。
となると、冒頭の一行は、こう訂正されます。

「きのう、メンズヘアサロンに行ってきました。」

・・・なぜだかぜんぜん落ち着きません。
竜宮城に迷い込んだ、さるかに合戦の猿みたいな気分です。
いったいぼくは、どこへ行ってきたんだろう。
れっきとした大人として、悩みは深まるばかりです。

江戸時代までさかのぼれば、「髪結い」という言葉もありました。
奥さんのはたらきのお陰で楽に生活することができる男を差して、『髪結いの亭主』などとも言います。
生まれ変わったら、ぜひトライしてみたいポジションです。
でも、たぶん、「稼ぎが悪い」と叱られてばかりの「亭主」になってしまう気もします。
転生の後の職業選択について、悩みは深まるばかりです。

最近、目の覚めるほどあざやかな髪結いの手さばきを見ました。
歌舞伎座、8月納涼歌舞伎の『髪結新三』です。
新三を演じるのは坂東三津五郎。
手代役の中村扇雀の髪を、年季を感じさせる手つきで、よどみなく撫で付けます。
生半可な気持ちで「髪結いの亭主」になどなれないことを思い知らされます。

この演目の見せ場は、15両の小判をめぐる、家主の長兵衛とのやりとりです。
憎めない小悪党の新三と、したたかな長兵衛。
ふたりのとぼけたやり取りに、大爆笑の渦となる場内なのでした。

以前、いまは亡き勘三郎が新三を演じた、同じ場面を思い出します。
三津五郎の新三は、盟友だった勘三郎が乗り移ったようにも見えます。
乗り移ったように見えて、やっぱりしっかり「三津五郎」である、そのところがすごいと思いました。

きょう、「坂東三津五郎、膵臓瘍で休演を発表」というニュースが流れました。
「早期発見できたことは大変幸運なこと」だったそうです。
すぐにまた復帰してほしいですね。
さまざまなポジションに迷いなくトライしつづける三津五郎を、はやく観たいです。


それでは。


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以心伝心が理想です。

差し歯(右前歯)の治療が佳境にさしかかってきました。
治療の手順は、おおむね次の流れとなります。

①仮前歯をはずす
②根っこを治療する
③仮前歯を装着する

このプロセスは毎回、厳守されます。
はずしては装着する、その繰り返し。
年度末に道路を掘っては埋める水道管工事みたいです。

この手順は、「象を冷蔵庫に容れるために最低限必要な3つの条件」の話を思い出させます。
どういうものかと言うと・・・

①冷蔵庫の扉を開ける
②象を容れる
③冷蔵庫の扉を閉める

手順、手続というはこういうものですよね。
ひとつひとつのプロセスを積み上げ、順序を違えない「積み重ね」こそが大切なのだ、ということが実感されます。

さて治療中、歯医者さんから問いかけられることがあります。

「大丈夫ですか?痛くないですか?」

「痛い」場合には左手で合図する、ということを以前、教わりました。
「激しく痛い」場合には、たぶん、右手も添えて激しく合図すればよいのでしょう。

でも、そうではない場合、どのように返事をしたらいいのか。
口は極限まで開ききっています。
口中では得体の知れない器具が唸りを上げ、そのうえ脇からはバキューム(吸引器具)が差し込まれている。
この状態で礼儀にかなった返事をすることはけっこう難しいものですね。

そこで、失礼とは思いつつ、喉だけで「んー」と返事をすることになります。
「痛いかと言われればいささか痛いような気もするけど、弱音を吐くほどではありません。大丈夫ですから、どうか気兼ねなくこのまま治療をつづけてください」と答えるべきところをつづめた「んー」です。

不思議なことにこの「んー」だけで歯医者さんにはすべてが通じます。
以心伝心とでもいうのか、思いのすべてが一瞬で理解されます。
歯を削る治療器具は、このとき、意思を伝えるタッチセンサーのように機能しているに違いありません。

歯の治療中という状況の中で行われる、この完璧なコミュニケーション。
人と人とは、このようにして理解し合えるのだ、という「原点」を見る思いがします。
多くの言葉を費やしたあげくに「行き違う」ことの、いかに愚かであることか。

とりあえずは家庭でも、この伝達手法が応用できるようになったらいいなと思います。
たとえば夜、疲れ切って帰ったとき。

「きょうは昼食が遅かったから、ご飯は少なめでいいです。大根の煮付けも一切れでじゅうぶん。そのかわり、お芋の煮っ転がしはひとつ余分に盛りつけてくれることを希望します。」

この内容を「んー」の呻きだけで伝えることができたら・・・
コミュニケーションの崩壊をもたらすだけのような気がするから、やめておいたほうがよさそうですね。
現実が理想に追いつく。
その機はまだまだ熟していないみたいです。

それでは。



つばめの喉は赤い

前回のつづきです。

地下鉄駅ホームに鳥の姿は見えません。
でも出入口で見上げると、喧噪にまぎれて鳴き声が切れ切れに聞こえてきます。

つばめ1

毎年、同じ場所に巣をかけている燕のヒナ。
季節の風物詩なんだけど、例年よりも巣作りの時期が遅れています。
なんで遅刻したんでしょうか。
海を渡ってくるときに、向かい風が強かったのかもしれません。

よく見ると、喉元がほんのり薄赤く染まっているように見えます。

つばめ2

なんだか、斎藤茂吉の、あの有名な歌を思い出してしまいました。

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

この歌について、たとえば『近代秀歌』 (岩波新書:永田和宏著)では、このように書かれています。



この一首で注目すべきは、初句「のど赤き」である。旧家の梁はおおよそ黒く煤けて、普段は見ていてもほとんど見えていないものである。その黒い梁に「のど赤き玄鳥」が二羽とまっている。この一首に接して、はじめて読者は、そうか、燕の咽喉は赤かったのかと初めて気づくのではないだろうか。それほどにほとんど注目したこともない細部である。(222頁)

「母のいのち」そのものを、つばめの喉にある「赤」の中に見つめていたんでしょうね。

ヒナは3週間ほどで巣立つそうです。
そのときには、きっと、のどの「赤」は、もっともっと鮮やかに赤くなっていると思います。


それでは。



癒されないといけない事情

都営地下鉄のホームに立つと、小鳥のさえずりが聞こえます。
最初は「どこかから逃げ出した小鳥が地下に紛れ込んている」と、思わず姿を目で探してしまいました。
もちろん、そんな筈はありません。
音声録音された鳴き声がホーム上に流されていたのでした。

調べてみると、駅のバリアフリー化の一環として導入されたサービスのようです。
目の不自由な方などを、ホーム上の階段に誘導するための音声案内。
小鳥の種類は、ホームの形式によって分かれます。

「ホオジロ」が鳴き声を奏でるのは島式ホーム(上り・下りのレールの間に、ホームが島状に作られたタイプ)。
いっぽう、「ウグイス」と「カッコウ」は相対式ホーム(線路の両側にホームがあるタイプ)でさえずります。
いろいろと、きめの細かい配慮がなされていたんですね。

本来の目的はともかくとして、小鳥の鳴き声はときに心を和ませます。
目の前で電車のドアがぴしゃりと閉じられても、頭上にウグイスの鳴き声を聞けば、「まあ仕方がないか」という気持ちになれます。
これが「ハシブトガラス」だったらそうはいかなかったかもしれません。
頭上で「あほう」と啼かれたら、誰でもむかっとするでしょう。
「小鳥の鳴き声」だからこそ、ざらざらに毛羽立ちそうな心もなだめられるのだと思います。

小川洋子さんの小説『ことり』を読みました。



ある日突然、小鳥の「言葉」しか話せなくなる少年。
両親にも医者にも学者にも、その「言葉」の意味は分かりません。
唯一、理解できるのは弟だけ。
その弟を主人公に据えた物語です。
ひたすら小鳥を愛し続けた、単調な日々と隣り合わせの数奇な人生。

「言葉が届く」とか「心が通う」というのは、ほんとうはどういうことなのか。
真の意味でそれが叶う瞬間とは、どれほど奇跡的なものなのか。
読んでいる間中、そんなことを考えさせられます。

文章は、どのセンテンスも的確で無駄がありません。
硬質な抒情性に充ちています。
随所で「小鳥の鳴き声」が、息が詰まるほど繊細に描写されていました。

たとえば鳴く前の動作については、こう書かれます。

歌は必ず前ぶれなしにはじまる。呼吸の続きのようにさり気なく、しかし第一音から十分に準備された確かさで発せられる。もしかすると嘴の奥か、羽の付け根か、どこかにささやかな兆しが現れるのかもしれないが、小父さんには読み取れない。(98頁)

そして鳴き声。

メロディーは表情に富み、リズムは軽やかで、声量はたっぷりとしている。気ままにさえずっているようでありながら、そこにはきちんとした抑制と計算が張り巡らされ、どんな一音も無造作に発せられることはない。五線紙に刻まれる音符は各々目配せを交わしながらつながり合い、独自の軌跡を描いている。歌という言葉さえ知らないものが、歌を生み出している。音色はどこまでも澄み渡り、一点の失敗もない。(99頁)

主人公が小鳥へ示す溢れるほどの愛情。
その思いは、ときに別の対象に向かうこともあります。
親切な図書館司書の女性に心をときめかせたりもします。
でも、その「思い」は届きません。
「届いた」と思った瞬間に、向こう側へとすり抜けていってしまいます。

彼の孤独な人生が終焉へと向かう間際、一羽のメジロと出会います。
「思い」をしっかりと受け止めてくれるメジロです。
主人公とそのメジロが交歓するラストシーンは、『フランダースの犬』の、あの有名な場面と重なるようにも思えたのでした。

さて。
じつは以前、事務所で小鳥を飼いたいと思ったことがあります。
その旨提案し、可否を諮ったところ、Mさん(女性)に真っ向から詰問されました。

「鳥かごの掃除は誰がするんですか?」
「連休中はどなたが面倒をみるんですか?」

そしてとどめのひとこと。

「癒されないといけない事情でもあるんですか?」

この拒否権発動により、「事務所で小鳥を」というプランは、むなしく水に流されたのでした。
「思いつき」でものを言ってはいけない、という教訓だけを残して。

というわけで、いまはただ、地下鉄ホームのウグイスやホオジロたちに接する毎日です。
つぎの電車を待つまでのたまゆら、その鳴き声に、耳を傾けています。
「癒されないといけない事情」があるのかどうかはわかりません。
でも誰だって何時だって、なにかしらの「事情」はありますよね。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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