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「永遠の微笑み」へのタイムスリップ

パリを舞台にした映画を、衛星テレビで観ました。
ウッディ・アレン監督、『ミッドナイト・イン・パリ』という映画です。

監督自身を思わせる、どこかぱっとしない作家志望の男が、パリを訪れます。
そして、深夜の到来とともに、1920年代、エコール・ド・パリの時代にタイムスリップ。
そこで出会うのは、なんと、フィッツジェラルドとその恋人ゼルダ、ヘミングウェイ、そしてガートルード・スタイン。
ピカソやダリや、若き日のルイス・ブニュエルも現れるというにぎやかさ。

でもストーリーはそこにとどまりません。
さらにもういちどタイムスリップ。
今度は1880年代後半のパリです。
そこの酒場で出会うのは、ロートレックでありドガであり、ゴーギャンです。
パリをこよなく愛しているウッディ・アレン。
そのことがありありと伝わってくる、とてもごきげんな映画でした^^

先日、『ブーシキン美術館展』(横浜美術館)に行ってきました。
展示されているのは、ロココからエコール・ド・パリの時代まで、300年間に渡るフランス絵画。
やはりパリをこよなく愛し、憧れつづけたロシアの収集家たちによるコレクションです。

見どころがいっぱいでした。
たとえば、ルノワールが描いた「ジャンヌ・サマリーの肖像」。
彼の肖像画作品中、最高傑作とも言われているそうです。

プーシキン美術館展

赤、黄色、青、緑、そしてピンク。
色が溢れて画面からこぼれてきます。
洪水になって渦を巻いて、炎(ほむら)立って迫ってきます。
氾濫する色の中で、でも視線は次第に、ジャンヌのブルーの瞳と朱の唇に収斂していきます。
最後にはこの「微笑み」だけに吸い寄せられます。

モデルとなったジャンヌは、当時のパリの売れっ子舞台女優でした。
でも、憧れの女優、サラ・ベルナールの名声には届かず、その後33才で亡くなったそうです。

彼女がこのとき見せた「永遠の微笑み」。
そしてそれを描きあげたルノワール。
制作された現場に一瞬でいいからタイムスリップして立ち会えたら、と思ってしまいました。

こういう「微笑み」に、「絵画」ではなく「映画」の中でかつて出会ったことがあるような気がする。
そう考えていたら、突然思い出しました。
シャーリー・マクレーンです。
ジャンヌの死から40年後、1934年生まれのアメリカ女優ですね。
彼女がいちばん生き生きと輝いていたころの作品に、『あなただけ今晩は』(ビリー・ワイルダー監督:1963年)があります。

この映画でも、舞台となるのはパリ。
シャーリーが演じたのは、パリの裏町で暮らす気のいい娼婦でした。
衛星テレビで放映してくれたら、ぜひまた観てみたいと思います。
いまは、昔の映画でも自宅に居ながらにして観ることができるのがうれしいですね。
わざわざタイムスリップの手間をかけなくても。

それでは。


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「占い」なんて信じない

生来、合理的な性格だからでしょうか。
「占い」を信じるということがありません。
実際、「動物占い」や「亀甲占い」に、科学的な根拠は乏しいと思います。
だから、早朝、テレビで流す「星占い」のコーナーも、観ないようにしています。

とくに、大事な仕事が待っているような日。
うっかり「すべての物事は裏目に出ます。言動は誤解を招き、貴重なチャンスを失いかねません。外出は控え、家に閉じこもっていましょう」などというコメントが耳に入ったら大変です。
期待と希望に満ちた朝が台無しになってしまいます。

対策はあります。
この「はた迷惑」なコーナーが始まる直前にチャンネルをすばやく切り替える。
たまに切り替えが間に合わなかったときは、両手で耳をしっかと塞ぎます。
「占い」はいっさい信じず、縁起の悪い情報はシャットアウトする。
この心がけが平穏な一日を約束してくれます。

「ジンクス」の類(たぐい)にも興味がありません。
裏付けを持たない「迷信」などに絡め取られず、いついかなるときでも適切な判断を下す。
いまの時代を生き抜くために求められているのは、そういった自律した精神であると確信しています。

もちろん、例外はあります。
たとえば「夜、口笛は吹かない」。
これはほんとに止めた方がいいと思います。
吹いたとたんに幽霊やお化けが出て来そうで怖いです。

かつて芥川龍之介はこう言いました。

幽霊などを見る者は迷信に囚(とら)われて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。(『侏儒の言葉』)

ちょっと何を言ってるのかわかりません。

それから、「朝の蜘蛛は殺してはいけない」というのも例外のひとつ。
蜘蛛とは相性が悪いので、できれば顔を合わせたくありません。
なのに断りもなく住居内に侵犯してくる蜘蛛がいます。
それも不思議と朝の時間ばかり。
洗面中、視界の片隅を悠々と横切って行ったりします。
「手を出せるものなら出してみろ」と言わんばかりに。

でも、殺生に及ぶようなことはありません。
だって、そんなことをしたら、末代までも祟られてしまう。
それに、人生には「貸し」をつくっておくことも必要です。
将来、もし血の池地獄に放り込まれることがあったら、天上世界からお釈迦様が糸を垂らしてくれるでしょう。
たしか芥川龍之介がそんなことを言っていました。

そのほか、例外を挙げ始めるときりがないことに気がつきました。
でも、たとえいくら数が多くても、例外は例外です。
これからも信念を持ち、「ジンクス」や「迷信」とは距離を置いたライフスタイルを貫いていきたいものです。

さて、きょうの暦を見てみると……
13日の金曜日なんですね。
しかも「仏滅」。
クリスチャンでもないし仏教信者でもないけれど、どうもなんだか気が滅入る。
そういう人もいるのでは。

でも大丈夫。
なにも怖れる必要はありません。
堂々と、胸を張って、道の真ん中を歩きましょう。
ただ、念のため、不測の事態(落雷の直撃、マンホールに落ちる、野犬に追われる、財布を落とす、など)にだけは注意するようにして過ごしたいと思います。


それでは。



ならぬことはならぬもの

「なぜ人を殺してはいけないか」。

こういう問いかけにはどう答えればよいのでしょう。
いちばん手っ取り早い答え方があります。

「ならぬことはならぬもの」。

NHK大河ドラマ『八重の桜』でおなじみの、会津藩の教えですね。

かつて、石川啄木はこんな歌を詠みました。

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな



「なりにけるかな」と言われたって、ならぬことはならぬ、のです。

ただ、この問いかけを突き詰めて行くと、「正当防衛」や「緊急避難」といった法理上の例外や安楽死の問題、また死刑制度の是非、などとも絡んできます。
なかなかやっかいな議論になることもあります。

ところが映画(とくにアメリカ映画)には、こういう議論に蓋をして穴に埋めてしまうジャンルが存在します。
「見つけ次第、問答無用で殺して殺して殺すべし」という原則が支配する世界。
「殺(や)られる前に殺る」というタフな人間だけが生き残れる超ハードな現実。
ゾンビ映画がその典型です。

もっとも、「ゾンビ」とは概ね「リビング・デッド(生きている死体)」のこと、と定義されます。
だとすれば、「殺す」のは「人」ではない、ということになりますね。
刑法上の罪責を考えるとすれば、「死体損壊罪」。
どちらであれ、その違法性が映画の中で問われることはありません。

公開中の映画、 『ワールド・ウォーZ』を観ました。
地球外生命体との、人類の存亡をかけた戦いを描く映画。
……と思っていたら違いました。
要するに「ゾンビ映画」です。
「パンデミック」(致死的な病原体による感染症の世界的大流行)の脅威がブレンドされています。

すこし気になったのは、ここでの「ゾンビ」が、厳密な意味で「リビング・デッド」に当たるのかどうかということ。
でも「ゾンビ映画」に「厳密な意味」を求めることは無意味です。

映画の中では、かつてない、すさまじい数の「ゾンビ」が「殺害」または「損壊」されます。
ただ、ゾンビ映画にはつきものの「すぷらった」な場面は上手に映像上の処理がなされていました。
実際、R指定にもされてはいないようです。
だからといって、ファミリーやカップルにお勧めしたいとは思わないけど。

なぜタイトルが「ワールド・ウォーZ」であるのか。
それは、「ゾンビ」が「人類存続にとって、共通の敵」だから。
最後の一人(一体)まで抹殺しないでは終わることのない戦争における「敵」。
人種や信条や宗教を越えて人類がひとつになるためにはなにが不可欠であるのか。
そのことがとてもわかりやすく描かれた映画でした。

さて、最近の「ゾンビ映画」では、ゾンビの身体能力が著しく向上しています。
この映画でも、その動きの敏捷さには目を瞠るばかり。
今後の更なる進化も予想されます。

たとえば、ゾンビの「イケメン化」。
通常、ゾンビになるや否や、例外なく醜く恐ろしく「誰が見てもゾンビ」という容貌に変化します。
とてもわかりやすいです。
でも、もし、ゾンビ化と同時に、「水もしたたるほどの男前」になったり、「小股の切れ上がったいいおんな」に変身したりするようになったとすれば・・・・

人は「見た目」に左右される、といいます。
「いるか」や「くじら」を死にものぐるいで保護しようとする団体の存在も、見た目の「かわいさ」に影響されていないとは言えません。
とすれば、ゾンビの「イケメン」化は、状況を根底から覆す可能性があります。
自ら望んで「ゾンビ」になりたい、と志願する男女だって現れるでしょう。
人と「ゾンビ」との間にはロマンスさえ芽生えるかもしれません。

この展開であれば、紆余曲折があったとしても、世界はたぶん平和へと向かいます。
映画のラストでは、人とゾンビとが膝を交えて肩寄せ合って、よりよい未来について語り合う。
そんなほのぼのとした明るい場面も目に浮かびます。

・・・でもまあ、こんな映画は誰もつくらないでしょうね。
すくなくともハリウッドは絶対につくりません。
アメリカ映画にも流れ続ける「ならぬことはならぬ」の鉄則。
ゾンビは金輪際、共存しては「ならぬ」存在として、スクリーンの中を彷徨いつづけるのでした。


それでは。



プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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