生まれ変わってもう一度
公開中の映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』を観てきました。
宇宙からの侵略者と戦うトム・クルーズが、紆余曲折の果て、ついにラスボスと対決する、というお話。
ストーリーの眼目は、敵に斃されて何度死んでもある時点までタイムループしてやり直しできる、というところにあります。
「七生報国」(七度生まれ変わって国の恩に報いる)を誓った楠木正成みたいなキャラクターです。
緊張感のあるスピーディな展開が延々と続く中、トム・クルーズがときおりにじませるとぼけた味わいも楽しめます。
失敗して死んでもやり直せる。何百回でも何千回でもリセットできる。
そんなゲーム感覚を疑似体験させるこの映画とは異なり、「1回限り」のチャンスにすべてを賭ける物語があります。スティーヴン・キングの新作、 『11/22/63(イチイチニイニイロクサン)』(文藝春秋社)です。
タイトルが意味するのは、「1963年11月22日」。ケネディ大統領がダラスで暗殺されたその日です。アメリカ人にとっては「2001年9月11日」などと同様、記憶に刻み込まれた日付なのでは。
さて、主人公はひょんなことから過去への出入り口を知ってしまいます。
出口に広がるのは1958年のアメリカ、ベトナム戦争の泥沼に入り込む前のアメリカ、ケネディが暗殺される5年前のアメリカです。成り行きとして、5年後の悲劇をなんとか阻止しようと決意する主人公。
ただし、「真犯人」が誰であるか確信が持てなければ「阻止」することは無理です。
もししくじれば、出入り口を通って元の世界にいったん戻り、最初からやり直すことはできます。
タイムループしたければ何度でも可能だから。
ただ、それまでに費やした「5年」という時間はリセットできません。
主人公が35歳だったとすれば、次に1958年に戻ったときにはもう40歳。
5年後の1963年まで待てば、45歳になってしまいます。
それほどの時間を費やさなければ再チャレンジができない。
10年以上にわたって体力・気力を維持し続けることなどできるわけがない。
・・・という凝った状況が提示されます。ちょっとややこしいです。
何度でも繰り返しが可能な「タイムループ」という設定に箍(たが)をはめ、未来を作り替えることができる全能感と、やり直しの許されない緊迫感とがせめぎ合います。
たしかに、この制約の中でもう一度最初から、と言われたら、心が折れてしまいそうです。
そもそも人生なんてなんどもやり直すものなんだろうか、という根本的な疑問さえ浮かんできます。
「夏休みの宿題」なんて、二度とやりたくないですもんね。
一度でじゅうぶん。一回限りだからこそ、人生には価値があるのだ、などと、だんだん主人公に肩入れしたくなってしまったのでした。
さて、すこし意外だったのは、この作品でスティーブヴン・キングがケネディ暗殺の真犯人を、高い確率で「オズワルド単独犯」であると断定していること。かなり根拠があるのだそうです。
映画『JFK』などで描かれた「軍産複合体の陰謀」だの「曲がる銃弾」だのはどうなったんだ、と思ってしまいますね。
でもさすがにキングの小説だけに、オズワルドが犯行に至るまでの経緯が虚実ないまぜて丹念に描写されます。まさに「虚構の綾糸に真理を求めるのが小説」という彼自身の言葉(『小説作法』182頁)そのものです。
『ホットショット』(1991年)という映画の中に、面白いシーンがあります。
「ケネディ暗殺の真相が判った、戻ったら教える」と言い残して戦闘機で離陸するパイロット。
当然、彼は二度と生きて帰還できないことを暗示しています。
なにしろ知ってはならない「真相」を知ってしまったんだから。
スティーヴン・キングも危うい領域に足を踏み入れてしまったのでは、と、心配してしまいます。
この『ホットショット』は、あの『トップガン』(1986年)のパロディ映画でした。
トム・クルーズの出世作となった、28年前の映画です。
今年公開の『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』のトム・クルーズと見較べると、「いつまでも元気だなあ」と感心してしまいます。なんの箍(たが)をはめられることもなく、スクリーンの中を自在にタイムループしているのかもしれません。
それでは。
宇宙からの侵略者と戦うトム・クルーズが、紆余曲折の果て、ついにラスボスと対決する、というお話。
ストーリーの眼目は、敵に斃されて何度死んでもある時点までタイムループしてやり直しできる、というところにあります。
「七生報国」(七度生まれ変わって国の恩に報いる)を誓った楠木正成みたいなキャラクターです。
緊張感のあるスピーディな展開が延々と続く中、トム・クルーズがときおりにじませるとぼけた味わいも楽しめます。
失敗して死んでもやり直せる。何百回でも何千回でもリセットできる。
そんなゲーム感覚を疑似体験させるこの映画とは異なり、「1回限り」のチャンスにすべてを賭ける物語があります。スティーヴン・キングの新作、 『11/22/63(イチイチニイニイロクサン)』(文藝春秋社)です。
タイトルが意味するのは、「1963年11月22日」。ケネディ大統領がダラスで暗殺されたその日です。アメリカ人にとっては「2001年9月11日」などと同様、記憶に刻み込まれた日付なのでは。
さて、主人公はひょんなことから過去への出入り口を知ってしまいます。
出口に広がるのは1958年のアメリカ、ベトナム戦争の泥沼に入り込む前のアメリカ、ケネディが暗殺される5年前のアメリカです。成り行きとして、5年後の悲劇をなんとか阻止しようと決意する主人公。
ただし、「真犯人」が誰であるか確信が持てなければ「阻止」することは無理です。
もししくじれば、出入り口を通って元の世界にいったん戻り、最初からやり直すことはできます。
タイムループしたければ何度でも可能だから。
ただ、それまでに費やした「5年」という時間はリセットできません。
主人公が35歳だったとすれば、次に1958年に戻ったときにはもう40歳。
5年後の1963年まで待てば、45歳になってしまいます。
それほどの時間を費やさなければ再チャレンジができない。
10年以上にわたって体力・気力を維持し続けることなどできるわけがない。
・・・という凝った状況が提示されます。ちょっとややこしいです。
何度でも繰り返しが可能な「タイムループ」という設定に箍(たが)をはめ、未来を作り替えることができる全能感と、やり直しの許されない緊迫感とがせめぎ合います。
たしかに、この制約の中でもう一度最初から、と言われたら、心が折れてしまいそうです。
そもそも人生なんてなんどもやり直すものなんだろうか、という根本的な疑問さえ浮かんできます。
「夏休みの宿題」なんて、二度とやりたくないですもんね。
一度でじゅうぶん。一回限りだからこそ、人生には価値があるのだ、などと、だんだん主人公に肩入れしたくなってしまったのでした。
さて、すこし意外だったのは、この作品でスティーブヴン・キングがケネディ暗殺の真犯人を、高い確率で「オズワルド単独犯」であると断定していること。かなり根拠があるのだそうです。
映画『JFK』などで描かれた「軍産複合体の陰謀」だの「曲がる銃弾」だのはどうなったんだ、と思ってしまいますね。
でもさすがにキングの小説だけに、オズワルドが犯行に至るまでの経緯が虚実ないまぜて丹念に描写されます。まさに「虚構の綾糸に真理を求めるのが小説」という彼自身の言葉(『小説作法』182頁)そのものです。
『ホットショット』(1991年)という映画の中に、面白いシーンがあります。
「ケネディ暗殺の真相が判った、戻ったら教える」と言い残して戦闘機で離陸するパイロット。
当然、彼は二度と生きて帰還できないことを暗示しています。
なにしろ知ってはならない「真相」を知ってしまったんだから。
スティーヴン・キングも危うい領域に足を踏み入れてしまったのでは、と、心配してしまいます。
この『ホットショット』は、あの『トップガン』(1986年)のパロディ映画でした。
トム・クルーズの出世作となった、28年前の映画です。
今年公開の『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』のトム・クルーズと見較べると、「いつまでも元気だなあ」と感心してしまいます。なんの箍(たが)をはめられることもなく、スクリーンの中を自在にタイムループしているのかもしれません。
それでは。
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