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映画『思い出のマーニー』のこと

公開中の映画『思い出のマーニー』を観てきました。

主人公は12才の少女、杏奈。
彼女には、自分がいったい誰なのか、わかりません。
居場所もわからないし、誰かに愛されているのかどうか、わかりません。
自分の根っこがどこにあるのかさえも、やっぱりわからない。
心も身体もコントロールできず、かろうじて自らの体温を低く保つことで周囲と折り合いをつけています。
「輪には内側と外側があって、私は外側の人間」というつぶやきを呪文のように唱えて、心の隅々まで目張りしてしまっています。

そんな彼女が、夏休みのひととき、都会を離れ、入江と緑の美しい土地へと向かいます。
美しく穏やかな自然やそこで素朴に暮らす人たちとの触れ合い。
でも、杏奈の心は閉ざされたまま。
心の中に居座っている「凪(なぎ)」はそよとも動きません。
不思議な少女、マーニーとの出会いが、そんな彼女を揺さぶり動かしていきます。

二人がひとときを遊ぶ入江は、ともすると湖のようにも見えます。
月の満ち欠けをその水面に映し出す入江のたたずまいは、どこか母性を思わせます。
そして崖の上にそびえる、父性の象徴のようなサイロ。
いびつな家族の「ありよう」を暗示するかのようなサイロです。
そんな両親を慕いながら、その温もりから遠ざけられているマーニーに、杏奈は強く惹かれます。

マーニーがそのサイロを「怖がる」ことがストーリーを動かしていきます。
なぜマーニーはサイロを前にしてすくんでしまうのか。
それが思春期へと通じるトンネルであるせいなのでしょうか。
いちど中に身を入れてしまったら、もうあとには戻れないトンネルです。
それでも、勇気を出して一歩を踏み出すときが訪れます。

杏奈には、そんなマーニーが謎めいてみえます。なかなか理解できなかったりもします。
なのに「今まで会ったどの女の子よりもあなたが好き」というマーニーの言葉だけは無条件で信じられる。信じることができる、ただそのことによって、「私は私が嫌い」と自分を責め続けていた杏奈の心が溶けていきます。

この映画、背景世界の美しさに圧倒されました。
「マーニーとは誰なのか」という謎が、ラストにかけて駆け足的に説明される印象は残ったけど、気になるほどのことはありません。

とくに湖上としか思えない入江の夜空に月が浮かぶ場面には目を瞠ります。
ストレートなまでに叙情的なシーンと出会うことができました。
中原中也に「湖上」というタイトルの詩があります。

 ポッカリ月が出ましたら、
 舟を浮べて出掛けませう。
 波はヒタヒタ打つでせう、
 風も少しはあるでせう。

 沖に出たらば暗いでせう、
 櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
 昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
  ―あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

 月は聴き耳立てるでせう、
 すこしは降りても来るでせう、
 われら接唇(くちづけ)する時に
 月は頭上にあるでせう。

 あなたはなほも、語るでせう、
 よしないことや拗言(すねごと)や、
 洩らさず私は聴くでせう、
  ―けれど漕ぐ手はやめないで。

 ポッカリ月が出ましたら、
 舟を浮べて出掛けませう、
 波はヒタヒタ打つでせう、
 風も少しはあるでせう。



この詩に描かれているのは男女相聞の場面です。
だから、状況設定という点では、映画と異なります。
でも、「月夜の湖上」では、どんな不思議なことだって、ときには奇跡でさえも起こり得るんだ、という雰囲気は共通しているような気がしました。
そこでは、現実と幻想、現在と過去、甘美な思い出と苦い後悔、その他すべての境界があいまいに滲んでいきます。杏奈を苦しめていた「内側と外側」も、ぼやけて溶けていきます。
彼女の心の封印が解けのは、「ボッカリ浮かんだ月」から降り注ぐ魔法が手を貸してくれたおかげかもしれません。


それでは。


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逆縁の父親ふたり

NHK連続テレビ小説『花子とアン』を毎回観ています。
今週は、花子の愛息(歩ちゃん)が死んでしまいましたね。
子が親より先に死んでしまうことを「逆縁」というそうです。
この世での「縁」が逆さまになってしまうということ。
観ていてとても辛いものがありました。

歩君は、生まれてからまだ悪いことなんて何ひとつとしていません。
しいていえば、壁や廊下に落書きをしたぐらいのこと。
なのに突然、こんな幼い子どもに襲いかかり、大鎌を振り下ろす死に神・・・・
無情だの不条理だの、どんな既成の言葉を持ち出しても収まりのつかない、なんとも言えない気持ちになります。

母である花子が悲しみに泣き崩れる陰で、父親である村岡英治が必死に自分の感情を抑え、自己を律して妻をいたわり、支えようとする姿が心に残ります。
もしもこんな状況に自分が置かれたら、とても彼のようには振る舞えそうもありません。
男のほんとうの「やさしさ」や「強さ」を見る思いがします。

そんな彼をみて思い出すのが『風と共に去りぬ』のレット・バトラー。
レットもまた愛娘ボニーを失ってしまいます。
半狂乱となるレット。ボニーの部屋にボニーと一緒に閉じこもり、誰にも会おうとしません。埋葬することさえ許さない。なぜなら、ボニーはひとりきりで暗闇に閉じ込められることを異常なほど怖がっていたからです。乳母のマミーにレットは言います。

「おまえは、あの子があんなにこわがった暗いところに、このおれが、平気であの子を埋めると思うのか?いまでも、おれには、あの子が暗がりのなかで目をさまして泣いていた声がきこえるんだ。おれは、あの子がこわがるようなことはしたくない」(『風と友に去りぬ(五)』新潮文庫)

それまでの颯爽とした姿とは裏腹に、父親として、人間として、弱くて脆い部分をむき出しに晒してしまうレット。
この悲痛きわまりない場面があるからこそ、レット・バトラーは物語の世界で不滅の存在になったのではと思います。

村岡英治とレット・バトラー。
一見、両極端のようにも見えます。
でもここにあるのは、ただ子を失った親の悲しみだけです。
深くて暗い底なしの沼のような二つの「無限」があるだけです。

「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」

こんなCMがありましたね。
つくづくそのとおりだな、と思います。

それでは。



「あした」になれば「明日」は来る

『TOMORROW 明日』という映画があります。
昭和20年8月8日の長崎で生きる人々を描いた映画です(1988年:黒木和雄監督)。



町の人たちはみんな、「あした」が来るのを待っています。
若い夫婦も中年の夫婦も、「あした」の夢を語り合っています。
けっして大それた夢ではありません。
願えばきっと叶うような、伸ばせばすぐに手が届くような、
そんな夢です。
時を忘れて語り合います。夜が更けたのも忘れて、語り合います。

子どもたちは揃って夏休みのまっただ中。
遊びのつづきはまた「あした」。
宿題だって、ぜんぶ放りっぱなしです。
「あした」が来たらきっとやる。
そんな「あした」を待っています。

悲しみや疑問を胸に秘めた兵隊がいます。
一人でいることに耐えられず、心やさしい娼婦と夜を過ごします。
本当の悲しみを知っている彼女と寄り添い、夜が明けるのを待ちます。
悲しみが溶けて消えるのをじっと待ち続けます。

誰にとっても長い夜でした。
月は真っ赤になりました。
朝の訪れをいやがっているように見える月です。
それでも夜は明けました。
いつもと変わらない朝。でも、誰にとっても「あした」とはならない朝です。

若い夫婦と中年夫婦は、彼らの夢と一緒に消えました。
遊びのつづきも宿題もそのままに、子どもたちは消えました。
行き場を持たなかった兵隊も、幸うすかった娼婦も、手をとり空へと消えました。
生まれたばかりの赤ん坊は、母のお乳をいっぱい飲んで、母に抱かれて消えました。
「あした」はまるごと消えました。

きのうは平成26年8月9日。
彼らには訪れなかった、69年目の「あした」です。
「あした」がまたある、必ず「あした」が訪れると信じられることのすばらしさ。
だって、今日できることでも明日にしよう、そう思ってかまわないんですからね。

ただ、一方では「今日の一針 明日の十針」ということわざの戒めもあります。
悩ましいところではあります。


それでは。


猛暑に負けず恋愛小説

連日、猛暑が続いています。
日射しの中を、3歩あるけば汗が噴き出し、10歩あるくと頭がくらくらします。



こんなとき、冷房がほどよく効いたカフェでアイスコーヒーを飲みながら読むのには、どんな本が適しているのでしょう。
ためしに、海外の恋愛小説を集めた短編集『恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES』 (中央公論新社)を読んでみました。アンソロジーの編者は村上春樹。翻訳を担当し、みずからの書き下ろし作も一編、掲載されています。


「あとがき」にもあるとおり、じつにストレートなラブストーリーもあれば、成熟した、あるいは屈折した大人の愛の物語もあります。清涼感もあるし、ちょっとひやりとする味わいもあります。するする読んで読み終えると、目の前の席には、本から抜け出たような可憐なヒロインが座っていて、潤んだまなざしを優しくそっと注ぎかけてくるのでした・・・・というようなことは絶対に起こりません。それでも、「猛暑なんて騒ぐに値せず」という気分になることはできるかも。

収められているのは10人の作家による10の短編。
読んでいるとき、あるいは読み終わったとき、なぜだか恋にまつわる古今の和歌・短歌があれこれ思い浮かんできました。
それぞれの短編を簡単に紹介します。

1.『愛し合う二人に代わって』 :マイリー・メロイ作

メグ・ライアン主演の映画「恋人たちの予感」を思わせる、「いろいろとあった末に結ばれる二人」のお話です。
「嘘からでた実(まこと)」といった雰囲気の、とてもストレートなラブロマンス。
思い浮かぶ和歌も、定番の百人一首にある、オーソドックスなこんな歌でした。

   <瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ   崇徳院>

2.『テレサ』 :デヴィッド・クレーンズ作

頭の回転がすこし遅い14才のアンジェロは、自分の巨体となじむことができません。自分の体が自分の意識とは別のものだと感じ続けています。そんな彼がクラスの女の子に恋をします。一途に帰宅する彼女を追いかけます。そこで知ってしまう、彼女の実生活。それでも彼は、懸命に伝言を残します。思いを伝えるために。
「テレサへ。ぼくはきみのあとをつけてきた。ぼくはともだちがほしい。きみは?」
思い切って「一歩」を踏み出した彼の青春がはじまります。時計は時を刻みはじめます。
そんな彼に捧げたいのはこんな歌。

  <かの時に言いそびれたる大切の言葉はいまも胸にのこれど   石川啄木>

3.『二人の少年と、一人の少女』 :トバイアス・ウルス作

17才と18才。若い三人の男女が描く三角関係のお話です。
主人公は、夏目漱石の『こころ』みたいな振る舞いにはおよびません。辛くせつない時間の積み重ねは、彼の自我を揺さぶります。自立への意識も頭をもたげます。それは「大人」への入り口なのでしょうか。
彼と彼女は、二人で垣根のペンキ塗りをします。白く塗るべき垣根を「赤」で塗ります。
「赤はコントラストを与えるし、玄関までの煉瓦道を際立たせる。それこそがまさにここで求められていることだ。」
かつて与謝野晶子・鉄幹との三角関係に悩み、身を引いた歌人のいたことが思い出されます。

  <それとなく紅き花みな友にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむ  山川登美子>

4.『甘い夢を』 :ペーター・シュナム作

若い幸福なカップルの日常生活が描かれます。貧しいけれど、充足した日々。妻は、ふと目にした「コルク抜き」を買います。女の子の人形のかたちをしたコルク抜きです。しあわせの確かな「象徴」としての、ささやかな日用品。でも、アパートの外では不穏な出来事が起きたりします。湖では水死体が見つかったりもします。でも「いま」は幸福そのもの。もろくて崩れやすくて束の間かもしれないけれど、いまはまだ幸福そのもの。

  <きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする  寺山修司>

5.『 L・デバードとアリエット-愛の物語』 :ローレン・グロフ作

元オリンピック水泳選手の貧乏詩人と、富豪の一人娘。宿命的に惹かれあい、結ばれはするものの・・・。
第一次大戦終戦間際、スペイン風邪で大勢が死んでいく状況を背景に物語は進みます。「死に別れ」と「生き別れ」、ほんとうに辛いのはどっちなんでしょうね。そんなことを考えてしまう、せつなくてやるせないけど、読み応え充分のお話です。
再び百人一首から、こんな歌に登場してほしくなりました。

  <あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな  和泉式部>

あるいはまたこんな歌。

  <いつかふたりになるためのひとり やがてひとりになるためのふたり  浅井和代>

6.『薄暗い運命』 :リュドミラ・ペトルシェフスカヤ作

数頁で書かれた超短編作品です。でも救いのなさに身が震えるような、心理的冷却効果満点の物語です。
不実な男と関わってしまうその女性。
「彼女の愛するその男は無神経で、残酷だ。そういう男なのだ。疑いの余地なく。関われば関わるだけ、傷つくに決まっている。」
ひどい男がいたものですね。世の中、そういうものかもしれないとはいえ・・・
文章は次のように続きます。
「しかしそれでも彼女は幸福のあまり泣きだし、泣きやむことができなかった。」
演歌の世界さえ思わせるおんな心なのでした。

   <幾人にも愛を分つと言ひきりし 彼(か)の時の君を憎み得ざりき  三国玲子>

7.『ジャック・ランダ・ホテル』 :アリス・マンロー作

昨年のノーベル文学賞作家、アリス・マンローの短編を村上春樹が翻訳した注目の短編です。
若い娘と駆け落ちしてしまった恋人を追いかけてオーストラリアへと海を渡るヒロイン。そこでまったくの別人になりすまし、逃げた男を相手に奇妙な文通を始めます。なかなか屈折したストーリーなんです。耳に心地よい、「愛-許し」、「愛-忘却」、「愛-永遠」。どんなリズミカルな言葉でさえ、一転、耳を聾する路上のハンマーのような「うるさいだけの騒音」になってしまうというアイロニー。一筋縄ではいかない男と女のありようが浮かび出てくるお話でした。

  <立ち直りゆきたし 君の背離さえ一つのアンチテーゼとなして  大西民子>

8.『恋と水素』 :ジム・シェパード作

1937年の、ヒンデンブルグ号爆発事故を背景にした、ナチ党員の青年同士による禁断の恋。人に知られてしまえばすべてを失うリスクを背負い、「飛行船」という危険で狭くて不安定な中で、人目を忍んでもたれる二人の密会。そしてカタストロフ。

  <火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり  春日井建>

9.『モントリオールの恋人』 :リチャード・フォード作

「正しい恋の終わり方」なんていうものが果たしてあるのだろうか、と考えてしまう、苦くて怖いお話です。
ましてやそれが道ならぬ恋であるのだとすれば。
人生の中で人は気づかないうちに"頂点に上り詰めていた"ということがあるかもしれない。そんな感慨に続けて、こんな省察が語られます。
「そして言うまでもなく更に後日、人は何かに行く手を塞がれることになる。運命に定められたポイントに直面するのだ。そこには興味深い選択の余地なんてものはない。あるのは気が滅入るような惨めな選択肢だけだ。」
ある程度の年齢に達した人には、身につまされる言葉だったりするのでは。ほろ苦いです。
口直しに、隣家の人妻との恋を貫くことを選択した歌人が、後朝(きぬぎぬ)の別れに詠んだ歌を。

  <君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋>

10.『恋するザムザ』 :村上春樹作

なんと、あのカフカの『変身』で「虫」と化していたザムザが「人間」に再変身。
でも、「人間」としての記憶は失せてしまい、服の着方さえもわかりません。ときは奇しくも「プラハの春」による争乱の真っ最中。窓の外ではソ連戦車が轟音を響かせます。そんな中で出会った奇妙な少女に一目惚れするザムザ。
どんなに不条理で受け入れがたい状況の中でも、激動の最中(さなか)にあっても、人は人に恋をします。
いつの時代でも、変わることはありません。
万葉集の時代に遡ってみれば、やっぱり人は人に一目惚れをして、その思いを歌に残しました。
たとえばこんな歌です。

   <多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき   東歌>

多摩川で布を晒していたあの子に惚れてしまった。なんだってこんなに愛しいのだろう・・・・

理由なんて誰にもわかりません。好きだから好き、ただそれだけです。
シンプルなメッセージが心に残る書き下ろし短編でした。
アンソロジーの掉尾を飾るにふさわしかったのではと思います。

それでは。







東京の運河は巡る

東野圭吾の『祈りの幕が下りる時』(講談社)を読んでいたら、主人公の加賀刑事が捜査のために神田川と日本橋川を船でクルーズする場面が出てきました。




事件の真相解明とは関係してこない寄り道のような記述なんだけど、読んでいてとても興味をそそられます。
いつも身近に流れているのに、あまり意識することもない神田川と日本橋川。
この二つの川が合流して行き来できることも知りませんでした。
調べてみると、実際にそういうクルーズが運行されています。
さっそくチャレンジしてみました。


出発は、日本橋のたもとにある船着き場。
35人ほどで満席になる、小型船でのクルーズです。

 



日本橋にあるこの麒麟像は、同じく東野圭吾原作の『麒麟の翼』で一躍有名になりましたね。
近くから見上げると、胸をそらしたこの姿、じつに堂々としていて、迫力十分です。


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出航と同時に船はこの麒麟像の下をくぐり、日本橋川をさかのぼっていきます。



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普段、見慣れた東京のビル街が、川面から見上げるとまったく違った景色に様変わり。川の真上に沿って蓋をしている首都高がいかに無粋きわまりないか、実感としてよくわかります。


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日本橋川の石垣の由来や工法などについて、ガイドの人が詳しく教えてくれました。いろいろお聞きしたのにほとんど覚えられなくて申し訳ないです。



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やがて、合流地点から船は神田川へと方向を変えます。飯田橋から水道橋へ、JR中央線に沿って、おなじみの街並みが両岸を流れていきます。


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そして、お茶の水駅近くの聖橋。名前の由来は、湯島聖堂とニコライ堂という二つの「聖堂」を結ぶ橋、ということなのだそうです。神田川にかかる数ある橋の中でも、ひときわ風格を感じさせます。


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しだいに隅田川が近づいてきます。たくさんのゆりかもめがじっと並んでこちらを見下ろします。閲兵のために整列する、ちょっと行儀の悪い水兵さんたちみたいです。



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神田川から抜け出てみると、さすがに隅田川は大きいなあと驚きます。波に大きく揺られて、とたんに船酔いしそうになります。
これは清洲橋の真ん中を突き抜けて見える東京スカイツリー。どこから見てもそれなりに絵になる東京スカイツリーなのでした。


時間にして約100分。出発点の日本橋に戻ってクルーズは終わりました。
東京の「いつもと違う別の顔」を「低い視点」から眺め上げる楽しさを味わえるひとときでした。
なんだか、その昔、はじめてTDLで「ジャングルクルーズ」に乗ったときの昂揚感を思い出してしまいます。
筏で川下りするハックルベリーの冒険物語を読み直してみたくもなりました(^_^)

それでは。


プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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