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「大金」の使い方

自宅に届けられた、少し厚みのある封筒。
中身は、以前応募した懸賞が当選し、その賞金のようです。
「応募した」という事実は思い出せないけど、まあそういうこともたまにはあるでしょう。
なにはともあれ、さっそく封を切って中を確かめてみました。
するとそこには300万円の現金が・・・・・

という夢を見ました。
いきなり「夢オチ」の話を持ち出したりして恐縮です。
ただ、この夢の内容には、どうも納得できない点があります。

ひとつは、「300万円」というこの金額。
「大金」であることには相違ありません。まっとうに働いてそれだけ稼ぐのがどれだけ大変なことか、身にしみてわかっているつもりです。

でも。それにしても。
なんで「300万円」なんでしょうか。
「3億円」でも「10億円」でもなく、「300万円」なのか。
まるでぼくがイメージできる「大金」の上限を手にとって見せられたみたいな気がします。
ここには気宇壮大なスケールのようなものがみじんも感じられません。
心の奥に潜み夢を操る「超自我」を呼び出して、以後このようなことのないよう、厳重注意を与えたい気分です。

納得できないもうひとつの点は、夢の中で「300万円をゲットした」と意識したその瞬間、頭に浮かんだ想念のこと。
いったい何をいの一番に考えたかといえば・・・・
「これからは、二つのうちどちらにしようかと迷ったとき、値段を気にせず高いほうを選択できる」というものでした。
要するに、「AランチとBランチがメニューにあれば、いつでも即座にAランチ」ということですね。

その気持ちはわからないではありません。日常の些事にこそ重きを置くその心性をいとおしくさえ思います。しかし、棚から落ちてきたような「大金」を手にした際の反応としては、あまりにつましく、いじましすぎます。なぜもっと豪快な使い途を考えないのか。ここまでくると、わが「超自我」に退場を命じたくなります。

「世の中、お金で買えないものはない」という考え方の人がいます。その是非はさておき、すくなくとも「世の中、お金がなければ買えないものが多い」のは、動かしがたい真理です。
どれだけの大金を目の前に(夢の中で)積まれてもたじろがず、即座に豪快に(夢の中で)使い切ってしまいたいものだと思いました。

それにしても、「ほんとうのさいわいとは何だろう」と問い続けた宮澤賢治のことが、なぜだかふと思い出されるような、そんな不思議な夢でした。

それでは。




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理由がわかれば安心するけど

前回、「人が決断するには、主たる理由、従たる理由と隠れた理由があるのでは」と書きました。
「隠れた理由」というのがわかりにくいのは、当の本人にも意識されていないからでもあるんでしょう。

『わたしが出会った殺人者たち』という本を読みました(佐木隆三著:新潮文庫)。
人が殺人を犯してしまう、その「隠れた理由」を追い求め続けてきた著者の、「集大成的な回顧録」と銘打たれた作品です。



取り上げられているのは、昭和から平成にかけての、18の有名な事件です。「深川通り魔殺人事件」、「和歌山毒カレー事件」、「オウム真理教事件」をはじめ、比較的最近の「大阪池田小事件」や「下関駅通り魔殺人事件」に至るまで、既知の事件が大半です。でも、そもそもある事件について、なにをもって「既知」などというのでしょうか。いったいじぶんは、その事件のなにを知っていたというのか。読んでいて考えさせられてしまいました。

凶悪な事件が起こったとき、みんながまず知りたがるのはその動機です。「なぜ、そんなことを」、ということ。時を経ずしてマスコミがその疑問に答えを見つけ出してきます。報道によって「主たる理由」らしきものがわかったとたん、犯行によってかきたてられた不安は鎮静に向かいます。そして事件は「既知」のカテゴリーに分類整理されてしまう。

だけど、「それらしい理由」が見つからない、動機が見えにくい凶悪事件が絶えることはありません。「主たる理由」にいくら「従たる理由」を継ぎ足しても、どうしても腑に落ちないものが澱となって残るような犯罪。既存の尺度では測ることが叶わないような、異常な犯罪。

そういえば、テレビなどでコメンテーターが「心の闇」という言葉を使い始めたのは、平成に入ったころからだったのでは。
なにかと便利に使われるようになった言葉です。ただ、「心の闇」というカテゴリーを造って、そこに当てはめさえすれば「安心できる」、そういう使い方で使ってほしくはない言葉ですね。

それでは。


すべてが雨のせいなのか

一年の計は元旦にあるそうです。
今年の「計」は、日記をつけることに決めました。
1ページが1日分になっていて、日記帳を兼ねることもできそうなA5サイズのちょっと豪華な手帳も購入しました。
あとは、せっせと初志を貫くだけです。

ただ、正月三が日は、ほとんどものを考えることもなく過ごしたので、ページも空白です。
きょうもこのままだと書くこともなく終わりそう。
日記のページを埋めるために行動する一年になるのでしょうか。

まあ、そんなに堅苦しく考えなければいいのかなと思います。
永井荷風や正岡子規みたいに、毎日食べたものを記録すれば、いずれ文学的価値が生ずる日が訪れるかもしれません。なにより、きちんとした行動記録が残っていれば、とつぜんアリバイを求められたとしても、余裕で応対できそうだし。

そもそも、なんで日記を兼ねた手帳など購入したのか。
年末に、『246』(新潮文庫)という本を読んだせいかもしれません。


沢木耕太郎が『深夜特急』を書き終えたころに綴った、約9ヶ月にわたる日記、あるいは日記風エッセーです。
読んだ人間の行動にすぐ影響を与えるのは、この著者の大きな持ち味です。ぼくはすぐに影響されました。『深夜特急』を読んだときに会社を辞めなかったのは、まだ会社に勤めていなかったからだと思います。

著者は、一流企業に就職が決まり、いざ初出勤のその日、「丸の内のオフィス街に向かって,東京駅から中央郵便局に向かう信号を、傘をさし黙々と歩むサラリーマンの流れに身を任せて渡っている」ときに、とつぜん、会社に入らないことを決意します。いったいどうしてなのか。

「理由を訊ねられると、雨のせいだ、といつも答えていた。」(『深夜特急2』)

人生における決定的な決断が「雨のせい」というのは、なんともかっこいいなあと、あこがれたことを思い出します。
ずいぶんあとになってぼく自身、勤めていた会社を辞めることになるけど、クールに「雨のせい」と語ることはできませんでした。「雨が降ってずぶぬれになったせい」とは言えるかもしれません。

ところで、今回、この『246』を読むと、彼が会社に入ることを直前で拒んだ「本当の理由」が明かされています。
なるほどそういうことだったのか、と、とても興味深いものがありました。
ただ、同時に思うのは・・・・
「人生における決断」って、はたして、ただひとつの「理由」に帰することができるのだろうか、ということ。

ぼく自身について言えば、その種の決断には、たいてい3つの理由があったような気がします。
主たる理由、従たる理由、隠れた理由の3つ。
その3つ揃って、はじめて前へと背中を押される・・・

「雨のせい」というのは、沢木耕太郎が入社を捨てた「主たる理由」ではなかったとしても、「従たる理由」ではあったのではないだろうか。そしてまだ明かされない、当の本人にも意識されることのない「隠れた理由」さえもひょっとしたら・・・などと、想像が勝手に膨らむのでした。

ぼくが「日記帳を兼ねた豪華な手帳」をわざわざ購入した「主たる理由」は『246』を直前に読んだこと。
じつは「従たる理由」があります。
5000円分の商品券を、そのときポケットに持っていたこと。
普段買わないものを買いたい気分だったわけです。
即物的で世知辛くて、ロマンの欠片もない理由ですね。
なお、購入したとき、雨はとくに降っていませんでした。


それでは。

プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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