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忘れないこと、忘れたいこと

いま、CSで連続放映中の『北の国から』を懐かしく観ています。
1980年代から90年代、昭和から平成にかけての激動する時代を背景に、ひとつの家族に焦点を当て続けたドラマです。
この家族にもいろいろあったけど、じぶんもこの頃は人生の岐路だったし、世の中全体もベルリンの壁が壊れたりバブルが一気にはじけたり地下鉄でサリンがまかれたり、さまざま大変だったなあ、などと思いながら観ているとしみじみしてしまいます。

さて、先日、スペシャル編の『北の国から98’ 時代』を観ていたら、こんなセリフにぶつかりました。

「純のこと、思い出すことはひとつもない。だって、忘れることが一秒もない気がするから」

黒板純(吉岡秀隆)の恋人、しゅう(宮沢りえ)が、彼と思うように会えない苦しさつらさをノートにつづった言葉です。
せつないまでに一途な思いの込められた言葉です。
そういえば、吉原の遊女高尾太夫が伊達の殿様に送った恋文にも、「忘れねばこそ思い出さず候」という有名なフレーズがあります。いっときも忘れずにいつも思い続けている。だからあなたを「思い出す」ということもない。
どれだけ時を隔てても、恋人たちの抱く思いは、未来永劫、いつも同じなんでしょうね。

いっぽう、能の『綾鼓』には、こんな詞章もあります。

  「忘れんと思ふ心こそ忘れぬより思ひなれ」

忘れようと思う心の方が、忘れないでいることよりもつらいせつない、というような意味です。「忘れることが一秒もない」というしゅう(宮沢りえ)の思いも、いつか「忘れられない」つらさへと変わる定めなのでしょうか。そして、「忘れよう」とする、「忘れ去ろう」とするしかない、そのことの、より一層大きく、耐えがたい苦しみ。覚えていないといけない、ただそれだけのことが苦行のように思えます。

だとすれば、年と共にだんだん「物忘れが多くなる」というのは、悪いことばかりではないのかもしれません。こういうつらさから救ってくれているわけだから。

とはいえ、「物忘れ」は、思わぬ諍いを呼ぶこともあります。
先週末、高校のクラス会の席で、「三年のときの教室が校舎の何階にあったか」で各自の記憶が錯綜し、意見が対立しました。
「一階だ」と声高に怒号する女性陣に対し、「二階だったような気が・・・」とおずおず抗弁する、ぼくを含めた男性陣。

お互い、決め手に欠けていたけど、どうみても「二階派」の形勢不利は否定できませんでした。しかし、声が大きく、顔に迫力のあるほうの言い分が一方的にまかりとおり、思い出が改変され、記憶がねつ造される、そんなことが許されるでしょうか。釈然としません。

「教室が一階にあっただなんて思い出したりはしない。だって、忘れることが一秒もない気がするから」

もしもあのとき、宮沢りえの可憐さでこんなふうに囁かれていたとしたら・・・
ぼくもすぐさま「一階派」に身を翻していたかもしれないです。

それでは。



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プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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