「大竹しのぶ」という女優(こまつ座公演『太鼓たたいて笛ふいて』)
紀伊國屋サザンシアターで公演中の『太鼓たたいて笛ふいて』を観てきました。
『放浪記』や『浮雲』で知られる作家・林芙美子を描く、井上ひさし原作の評伝劇です。

林芙美子を演じるのが大竹しのぶさん。
このタイトル、どんな意味なのか、気になりますね。
太鼓をたたいて笛をふけば、その音色に誘われて鼓舞されて、人は前へと進みます。
耳に心地よく、あるいは勇ましい音色であればあるほど、その足取りははずみます。
ちょっと「ハーメルンの笛吹き」などというお話が思い出されます。
じつは林芙美子も太鼓をたたきました。
笛をふきました。
そのようにして戦時中、従軍女流作家としての彼女は、軍の宣伝に一役買いました。
というか、おおいに活躍しました。
彼女自身、あるひとつの「物語」を盲信し、文章を書くことによりその布教に手を貸してしまった。
でもそれが取り返しのつかないことだったことに気づく時が来ます。
自らの「非」を悟った彼女は、戦後、猛然として「別の」物語を書き始めます。
戦争未亡人や傷痍軍人や、そのほか戦争で傷を負った市井の人たちを見据えた「物語」です。
創作に没頭する中で、その営みはいつしか鬼気さえ帯びてきます。
自らの過去を「清算する」ことの困難に立ち向かいます。
心臓に持病を持つ彼女にとっては、凄絶な消耗戦ともいえる戦いです。
とてもむずかしいテーマが取り上げられているなあと思いました。
「物語」を供給する側にあるすべての人たちにとって「他人事」では済まないテーマです。
同時に、「物語」を受け取る側にいるぼくたちにとっても、そのむずかしさは同じです。
耳を研ぎ澄まし、「音」を聞き分けること。
「ハーメルンの笛」にずるずると引きずり出されるネズミの群れにはならないために。
舞台上の大竹しのぶさんから、いっときも目が離せませんでした。
とくに後半、第二幕がすばらしかった。
戦争で心に傷を負ってしまった若者がいます。
彼が自身の胸の内を哀しいまでに滑稽に吐露する長台詞の場面。
彼女はじっと佇み、その叫びを聞きます。
何も言わず、ただ黙っている聞いているだけです。
特に演技をしているとも思えないはずのそのとき。
言葉にできないすべての思いが濛気となって、彼女の小柄な姿を包みます。
その立ち姿がゆらゆら揺れて、眼前にまで迫ってくるような……
これが「オーラ」というものかなあと思いました。
『映画を見ればわかること』(川本三郎著:キネマ旬報社)という本の中で、以前上演された『欲望という名の電車』のことが書かれています。ヒロインのブランチを演じたのが大竹しのぶさんでした。
これまでのヴィヴィアン・リーとも杉村春子とも違った新しいブランチを作り出している。可愛く、痛々しいのである。ただ精神を無残に病んでゆく狂女としてのブランチではなく、大竹しのぶのブランチは、狂気と同時に、童女のようなイノセンスにあふれている。
(中略)
晩年、テネシー・ウィリアムズはテレビでアン・マーグレットが演じたブランチを絶賛したが、もし大竹しのぶのブランチを見たらそれ以上に激賞したのではないか。
もう、手放しの褒めようですね。
そういえば、ブランチも林芙美子も、どちらも同じように抜き差しならない「過去」を持ってしまう女性です。
ただ、ブランチがついには正気を見失ってしまうのに対し、林芙美子は最後まであきらめません。
斃れるその日まで、ペンを手放すことなく戦い抜きました。
大竹しのぶさんは、この二人をそれぞれ見事に演じ分けられたんだと思います。
ほんとにすごい女優さんですね。
その昔、映画『青春の門』で初恋の「信介しゃん」をけなげに慕っていたあの少女がなつかしいです。
それでは。
『放浪記』や『浮雲』で知られる作家・林芙美子を描く、井上ひさし原作の評伝劇です。

林芙美子を演じるのが大竹しのぶさん。
このタイトル、どんな意味なのか、気になりますね。
太鼓をたたいて笛をふけば、その音色に誘われて鼓舞されて、人は前へと進みます。
耳に心地よく、あるいは勇ましい音色であればあるほど、その足取りははずみます。
ちょっと「ハーメルンの笛吹き」などというお話が思い出されます。
じつは林芙美子も太鼓をたたきました。
笛をふきました。
そのようにして戦時中、従軍女流作家としての彼女は、軍の宣伝に一役買いました。
というか、おおいに活躍しました。
彼女自身、あるひとつの「物語」を盲信し、文章を書くことによりその布教に手を貸してしまった。
でもそれが取り返しのつかないことだったことに気づく時が来ます。
自らの「非」を悟った彼女は、戦後、猛然として「別の」物語を書き始めます。
戦争未亡人や傷痍軍人や、そのほか戦争で傷を負った市井の人たちを見据えた「物語」です。
創作に没頭する中で、その営みはいつしか鬼気さえ帯びてきます。
自らの過去を「清算する」ことの困難に立ち向かいます。
心臓に持病を持つ彼女にとっては、凄絶な消耗戦ともいえる戦いです。
とてもむずかしいテーマが取り上げられているなあと思いました。
「物語」を供給する側にあるすべての人たちにとって「他人事」では済まないテーマです。
同時に、「物語」を受け取る側にいるぼくたちにとっても、そのむずかしさは同じです。
耳を研ぎ澄まし、「音」を聞き分けること。
「ハーメルンの笛」にずるずると引きずり出されるネズミの群れにはならないために。
舞台上の大竹しのぶさんから、いっときも目が離せませんでした。
とくに後半、第二幕がすばらしかった。
戦争で心に傷を負ってしまった若者がいます。
彼が自身の胸の内を哀しいまでに滑稽に吐露する長台詞の場面。
彼女はじっと佇み、その叫びを聞きます。
何も言わず、ただ黙っている聞いているだけです。
特に演技をしているとも思えないはずのそのとき。
言葉にできないすべての思いが濛気となって、彼女の小柄な姿を包みます。
その立ち姿がゆらゆら揺れて、眼前にまで迫ってくるような……
これが「オーラ」というものかなあと思いました。
『映画を見ればわかること』(川本三郎著:キネマ旬報社)という本の中で、以前上演された『欲望という名の電車』のことが書かれています。ヒロインのブランチを演じたのが大竹しのぶさんでした。
これまでのヴィヴィアン・リーとも杉村春子とも違った新しいブランチを作り出している。可愛く、痛々しいのである。ただ精神を無残に病んでゆく狂女としてのブランチではなく、大竹しのぶのブランチは、狂気と同時に、童女のようなイノセンスにあふれている。
(中略)
晩年、テネシー・ウィリアムズはテレビでアン・マーグレットが演じたブランチを絶賛したが、もし大竹しのぶのブランチを見たらそれ以上に激賞したのではないか。
もう、手放しの褒めようですね。
そういえば、ブランチも林芙美子も、どちらも同じように抜き差しならない「過去」を持ってしまう女性です。
ただ、ブランチがついには正気を見失ってしまうのに対し、林芙美子は最後まであきらめません。
斃れるその日まで、ペンを手放すことなく戦い抜きました。
大竹しのぶさんは、この二人をそれぞれ見事に演じ分けられたんだと思います。
ほんとにすごい女優さんですね。
その昔、映画『青春の門』で初恋の「信介しゃん」をけなげに慕っていたあの少女がなつかしいです。
それでは。
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コメントの投稿
No title
こんばんは!
JIROさんの感動がストレートに伝わってくる、熱ーい文章でした。
『太鼓たたいて笛ふいて』…素晴らしいタイトルですね!
これは決して過去のことではなく、現在でもよくあること
ですよね。耳を研ぎ澄ます、本当にそうですね。
自らの「非」を認め、それを償っていく行為、簡単にできることでは
ないし、ものすごいエネルギーがいることでしょうね。
それを演ずる大竹しのぶさん、その劇を書いた井上ひさしさん、
魂の叫びが聞こえてくるようです。
それを観に行ったJIROさん、うらやましいかぎりです^^
JIROさんの感動がストレートに伝わってくる、熱ーい文章でした。
『太鼓たたいて笛ふいて』…素晴らしいタイトルですね!
これは決して過去のことではなく、現在でもよくあること
ですよね。耳を研ぎ澄ます、本当にそうですね。
自らの「非」を認め、それを償っていく行為、簡単にできることでは
ないし、ものすごいエネルギーがいることでしょうね。
それを演ずる大竹しのぶさん、その劇を書いた井上ひさしさん、
魂の叫びが聞こえてくるようです。
それを観に行ったJIROさん、うらやましいかぎりです^^
Re: No title
こんにちは、くまねこくんさん!
えーと、できるだけ気持ちを落ち着けて書いたつもりなんだけど、やっぱり書き方が熱くなってしまったみたいですね-^^;
テーマについて言えば、太鼓をたたかれて、そのうえ笛までふかれたら、ぼくなんて、真っ先に付和雷同してしまいそうなタイプです。
危ないと思ったらとりあえず「耳をふさぐ」勇気も必要なんでしょうね。
大竹しのぶさんは「いつも身近にいる女優」というイメージだったけど、いつのまにかはるかな高みまで行ってしまったんだなあと感じました。
うれしいようなまぶしいような、なぜだかすこしさびしいような気がしています。
井上ひさしさんの小説はどれも大好きです。
ただ、生の舞台で作品を観るのは今回が初めて。
これをきっかけに、もっといろいろ観てみたいなあと思いました。
いい映画や舞台と、たくさんたくさん出会いたいですよね(^_^)
えーと、できるだけ気持ちを落ち着けて書いたつもりなんだけど、やっぱり書き方が熱くなってしまったみたいですね-^^;
テーマについて言えば、太鼓をたたかれて、そのうえ笛までふかれたら、ぼくなんて、真っ先に付和雷同してしまいそうなタイプです。
危ないと思ったらとりあえず「耳をふさぐ」勇気も必要なんでしょうね。
大竹しのぶさんは「いつも身近にいる女優」というイメージだったけど、いつのまにかはるかな高みまで行ってしまったんだなあと感じました。
うれしいようなまぶしいような、なぜだかすこしさびしいような気がしています。
井上ひさしさんの小説はどれも大好きです。
ただ、生の舞台で作品を観るのは今回が初めて。
これをきっかけに、もっといろいろ観てみたいなあと思いました。
いい映画や舞台と、たくさんたくさん出会いたいですよね(^_^)