スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

疑似家族の「いま」(『プラージュ』:誉田哲也)

賃貸住宅市場で、いま、「シェアハウス」が注目されているみたいです。
ひとつの住居を複数で利用する。コスト面でのメリットはもとより、さまざまな事情を抱えた人たちにとって利用しやすいという側面もあります。

そんな、シェアハウス(のような住まい)を舞台にした小説を読みました(『プラージュ』:誉田哲也)。



住んでいるのは、みんなどこかいわくありげな人たちです。
どんな「いわく」かといえば・・・それぞれ、かつて過ちを犯し、前科を負ってしまった人たちばかりが寄り集っている、ということ。
お互い同士、事情を抱えていることがわかっているから、住人たちはみんな、無遠慮に相手の心に踏み込むことをしたりはしません。作中、「暴くまでもなく、晒される。隠さなければ、暴かれることもない」と語られる関係です。でも、誰かが危難に遭えば、体を張ってでも助け出そうとしたりもします。
住人のひとりは、こんなことを感じます。

 「不安になるほど、ここには垣根というものがない。なのに、それが不思議と心地好い。」

普段は適度な距離をとって接しているのに、いざとなれば一気にその距離をとっぱらってしまう。そんな不思議なコミュニティです。

以前、映画にもなった『パレード』(吉田修一)という本では、かなり違った関係が描かれていました。マンションの一室で共同生活することになった数人の男女。一見、和気あいあいのように見えるその暮らしぶりとは裏腹に、お互いの「本当の姿」に対して、徹底的に無関心です。身近に接していながら、お互いの姿をなにも見てはいない、見えてもいない。読み終えて思わずぞっとするほどのリアリティがありました。

『プラージュ』も『パレード』も、一種の「疑似家族」テーマの物語です。
「疑似家族」は、これまで繰り返し小説や映画で描かれ続けてきました。
たとえば28年前に書かれた『キッチン』(吉本ばなな)でも、フィクショナルな「家族」との生活の中で、ただゆっくりと主人公は再生していきます。

『パレード』を読むと、いまがそんな時代とはかけ離れてしまったことを感じさせられます。
いっぽう『プラージュ』は、このうそ寒さを感じさせる「表面的」なだけの人間関係に疑問符を投げかけ、もういちど揺さぶりをかけるかのようなお話です。

もちろん、「シェアハウス」はよいことばかりではありません。
ハウスを経営する女性は、若い住人にこう語ります。

 「ずっとここにいることは、誰にも、できないんだからね。そのうち君は、ここを出ていかなきゃいけないんだからね・・・」

テンポラリーであることが宿命であるシェアハウス。
「プラージュ」とは、フランス語で「海辺」を意味するとのこと。
どんなに居心地がよかろうが、いずれは立ち去る場所が「海辺」です。
立ち去って、残るのはただ思い出だけ。

ぼくは「海辺」にたたずんだ思い出というのは、ほとんどありません。
なのに「海辺」から連想される言葉は「沈む夕日」です。
なぜなんでしょうね。べつに夕日に向かって叫んだ思い出があるわけじゃないんだけど。

それでは。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

JIRO

Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
司法書士とはなにをする人か?
・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

カレンダー
03 | 2018/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。