それを贖(あがな)うことは許されない(『劇場』(又吉直樹)を読みました)

文芸誌「新潮」に掲載された、又吉直樹の新作「劇場」を読みました。
小説って、できるだけ先入観や予備知識など持たずに読みたいと思うんだけど、この人の作品の場合、それはとても難しいです。
したがって、「あの芥川賞を取った」、「あの」又吉直樹の、「あの」処女作「火花」に続く二作目を、単行本化に先立って読んでみました。

夢を追いながら傷つき、ボロボロになり、目指すべき場所さえ見失う。幸福そのものに思えた同棲生活も、気づいてみれば相手を深いところで損なってしまう。それはもう、いくら悔いても贖(あがな)うことさえ許されません。必ずしも目新しいとはいえないテーマだけど、最後まで一気に読ませる力があります。次作を読む際は、余分な「先入観」はずっと薄らいでいると思います。

ボクシングでは、選手をボクサータイプとファイタータイプに分けることがあります。
おおまかにいえば、相手との距離を保ちながら戦うのがボクサータイプ。自分は打たれずに相手を倒す、そんな勝ち方を目指します。いっぽう、相手の懐に飛び込み、しゃにむに接近戦を挑むのがファイタータイプ。どれだけ打たれても打ち負けずに相手を倒す、そんな戦い方をするボクサーです。

又吉直樹の本作(「劇場」)の主人公は、がむしゃらにインファイトを挑み続けているように見えます。ただ、彼には、パンチ力があるわけではない。ないことを自分でじゅうぶんに分かっています。分かっているのに、いや、分かっているからこそ、距離をとって戦うことができない。相手の懐深く飛び込み、持っている限りのパンチを繰り出し続けるしかない。当然、自分もぼこぼこに殴られます。でも、「夢」に近づくにはそうするしかない、肉をすべて切らせなければ骨は断てない、ひたすらそう思い込んでいるみたいに見えます。

でも、同棲している大好きな彼女には、このスタイルを貫けない。生活の中に二つの基準(スタンダード)を抱え込んでしまうことで生じる「ゆらぎ」。そういう迷いやゆらぎの中から得るものと失うものがあるとして、そもそもその両者は天秤にかけることなんてできるのだろうか。そんなことも考えさせられてしまいます。

たまたま同じタイミングで、村上春樹の新作(「騎士団長殺し」)を読みました。こちらでは、ボクサータイプの主人公が、いつもどおりひょうひょうとアウトボクシングをしようとするけれど、知らぬ間に「境界」がおぼろになり、別の空間への「入り口」が開き、インファイトに引きずりこまれそうになるけれど、間一髪で相手との距離を取り戻し、すべてはドローになりました、というような物語でした(たぶん)。

なにかに戦いを挑めば、又吉作品のようにボロボロになることを避けられず、といって平和に暮らしたくても、春樹作品のように、邪悪なる存在は虎視眈々と魔の手を伸ばしてきます。
はてさて、どうしたらいいんでしょうね。ここが思案のしどころですね。


それでは。

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Author:JIRO
東京下町で開業する司法書士です。
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・・・一言では説明が難しいです。
といって二言三言あれば説明できるわけではなし。

このブログでは、日頃の出来事や読んだ本、観た映画などのことを書きつらねてみたいと思います。
あ、お仕事のこともすこし触れていきます。

(ホームページ http://www.noguchi-office.jp/)

相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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